第13章 ユーゴ連邦の瓦解と ボスニア・ヘルチェゴビナの新植民地化 座長:市澤 麻由子(3年生) 報告者:久保 陽(2年生) コメンテーター:七戸 理恵(4年生) <報告者・レジュメ> <平和定着とマクロ経済政策> ・西側の世論は、旧ユーゴの内戦がひとえに好戦的な民族主義、歴史的に根深い人種的、宗教的紛争のためであると曖昧にし、バルカン半島の権力争いでは、政治間の葛藤だけを強調した。また1995年11月デイトンで署名された合意書はボツニア・ヘルツェゴビナに平和定着の転機をもたらし、資本主義市場経済の導入によって新たな独立国の再建が始まるだろうと報道した。これらによって世界の世論の目には、人口2400万人を抱えるユーゴが、経験した貧困と破壊過程について西側諸国には、責任がないものと映った。 ・しかし国際債権団によってユーゴに施行された経済改革政策は、ユーゴの崩壊に関係(責任)があった。 政策によってユーゴにもたらされたもの → ユーゴの国家経済の崩壊・工業部門の瓦解と福祉国家の分裂・経済成長低下・債務増加・債務返済負担の過重・貨幣の価値下落・生活水準の急激な下落 <マクロ経済改革の後ろに隠された戦略的利害関係> ・この経済改革は、戦略的構造調整を強固に推し進めるやり方である。 米国政府の目的は、共産党とその政府を転覆させるため、「静かな改革」を企むと同時に、東欧諸国を市場経済に編入させる目的であった。 → 1983年、IMFの支援の下に導入された第二次経済安定化政策は、かなりの激しいインフレーションを引き起こし、貿易自由化と貸出凍結措置によって、投資は有史以来 最低を記録した。 ・またユーゴ経済を破壊している金利問題によって賃金まで自由化された。 <IMFとの協約> ・連邦予算を債務返済用に回すために、連邦中央政府が共和国と自治州に対する予算支援を中断するや、政治的分裂と分離主義運動がいっそう過熱した。これに対して労働組合が一致団結し、抵抗運動を行った。(この運動に人種差別はなかった。)しかし抵抗もむなしく実質賃金は、1990年の上半期で、41%ほど減少し、1990年にはインフレーションが70%を超えた。 ・IMFとの協約によって連邦政府は、自国の中央銀行でさえ貸出を禁止し、これにより予算執行過程が事実上麻痺し、社会福祉および経済計画を実行する能力を喪失した。また商業貸出の規制撤廃により公共企業に対する投資は完全に中断された。そして過去10年間に積み重なった構造調整プログラムの弊害は、ユーゴ共和国を経済的、社会的に瓦解させた。 <1989年の企業改革> ・国際債権団の構造調整プログラムは、公共企業制度の撤廃を望んだ。 1989年に改正された企業法の内容 → 労働者の基本組織の自主管理公共企業を資本主義的私企業へと転換させることと、労働者委員会を債権団が始めとした企業所有主が主導する「社会理事会」へと代替させること その法の意図 → ユーゴ経済を民営化し、公共部門を瓦解させようとする意図 <法制改編> ・1989年の金融運用法は、ユーゴ連邦の産業を瓦解するのに決定的な役割を果たした。この法案は、企業活動の均等性と透明性を保障するという美名の下に、債務履行能力がない企業を破産させた。 ・1989年の外国人投資法は、外国資本が産業・金融・保険・サービス部門に無制限に投資することができる道を切り開いた。(施行される前までは、外国人投資は公企業との合弁に局限させられていた) ・1990年の社会資本法は公企業を外国資本に売却することを始め、公企業の奪取を合法化させた。 <破壊を誘導する構造調整プログラム> ・金融運用法によると連鎖破産メカニズムによって2年間たらずの間に、全産業人口270万人を超える労働者が職場を失うようになったのである。このうち大規模破産と解雇は、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ共和国で発生した。 ・そして数多くの公企業が破産を免れるために賃金を支給しなかったのである。(1990年の上半期の間、全産業人口の20%に該当する50万人の労働者が賃金を受け取ることができなかった) IMFが支援する1990年1月の経済改革と構造調整プログラムは、企業の売り上げ損失を増加させるなどし、様々な企業の倒産を煽った。また貿易機構規制撤廃により輸入消費財が氾濫し、IMFの経済改革を実施するという条件で借りてきた金は、消費財輸入に充当させられたのである。 ・満ち潮のように流れ込んできた消費財によって国内企業は、国内市場におけるポジションを失ったり、破産せざるを得なくなった。 ・そして債権団の戦略は企業の効率性と競争力を育てるという美名の下、大規模産業体を無力化したし、小規模単位に解体することだったのである。 <過剰労働力の分割> ・1989年から1990年の間にユーゴの産業基盤は完全に解体させられた。 ・金融運用法に従って、2435の企業とここに雇用されている130万人の労働者は、債務不履行企業に分類され、破産手続きに従って処理された。(全270万人の労働者のうち190万人が、過剰労働力と分類された) ・1989年労働法では、解雇手当支給は義務化されていたが、世界銀行は解雇手当支出を不当であると主張した。⇒事実上企業に破産宣告を下すことと同じであった。 ・解雇労働者の再就業のために世界銀行が提案したのは、中小企業の育成であった。しかし、財政緊縮と企業に対する制限的貸出政策が実行されている状況で、このような提案は無意味なものであった。 <戦後再建> ・債権団の監督の下に施行された民営化プログラムは、経済基盤の瓦解と共和国の国民の貧困化を加重化させ、1990年からの4年間にGDPは50%も減少した。 ・ショック療法が目的を達成しなかったので、第2次経済安定化および構造調整が出された。 その内容・・・財政および通貨政策に対する決定権は外国の債権団がにぎること、大々的な予算削減⇒戦後復興さらに厳しく ・(マケドニアの場合・・・国際支援団が提供した支援金は、マケドニアの再建のために使われず、「更新可能な短期借款」として、マケドニア政府が世界銀行から借りた債務を返済するのに使われた←悪循環) <経済改革の社会的意味> ・世界銀行は、マケドニアの人口の大多数が、医療保険料を納付する能力がなく、基本的な医療の恩恵すら受けることができないでいる実状を知りながら、「解決策」として「資本主義的」医療保険制度を導入した ←矛盾 <ボスニア・ヘルツェゴビナの再建> ・1995年西側諸国は、ボスニア・ヘルツェゴビナの政治的・経済的主権を認めない再建計画を発表した。 ・その内容・・・基本的にNATO占領軍と西側政府の監視の下に、ボスニア・ヘルツェゴビナを分裂させ再建、植民地総督府(最高代表)を設ける ・また中央銀行総裁は、IMFが任命することになっており、加えて中央銀行としての機能を担当することができないように憲法に規定されていた。 ・債務が増えるだけで戦争によって疲弊したボスニア経済を再建するための資金は、どこからも借りることができなかった。 ・もともと自らの財源によって戦後復興を成し遂げるというのは、初めから不可能だったのである。 <ボスニア油田に対する多国籍企業の集中攻略> ・デイトン協定によるボスニア・ヘルツェゴビナの領土分割は、西側諸国の経済的利害関係に決定的な影響を及ぼす重要な事案であった。 <むすび> ・新自由主義の旗の下、ユーゴに適用されたマクロ経済改革政策は、国全体を破滅へと追いやった。 ・構造調整がユーゴに及ぼした政治・社会的影響は、意図的に隠蔽され、人々は実際に何が起きたのかさえ、わからなくなり、文化的・人種的・宗教的葛藤だけが強調され、それだけが内戦の唯一の原因であると思わせたが、実際に内戦は、それ以前から進んできた深刻な政治・経済的瓦解の結果にすぎなかったのである。 ・ユーゴの経験は、発展途上国を始めとして最近の米国、カナダ、西欧諸国に適用された構造調整が、いかなる結果を生み出すのかをよく示している。ユーゴで起きた経済危機は、他の国より早く発生しただけであり、他の国が避けて通れる問題ではない。構造調整は、新自由主義というイデオロギーが全世界の全ての国家に強要する残忍かつ破壊的な経済モデルなのである。 XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX <コメンテーター・レジュメ>
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