2003年度第11回ゼミ報告:第13章(7月3日)


    第13章 ユーゴ連邦の瓦解と
         ボスニア・ヘルチェゴビナの新植民地化


                     

 座長:市澤 麻由子(3年生)
 報告者:久保 陽(2年生)

 コメンテーター:七戸 理恵(4年生)


<報告者・レジュメ>


<平和定着とマクロ経済政策>

・西側の世論は、旧ユーゴの内戦がひとえに好戦的な民族主義、歴史的に根深い人種的、宗教的紛争のためであると曖昧にし、バルカン半島の権力争いでは、政治間の葛藤だけを強調した。また1995年11月デイトンで署名された合意書はボツニア・ヘルツェゴビナに平和定着の転機をもたらし、資本主義市場経済の導入によって新たな独立国の再建が始まるだろうと報道した。これらによって世界の世論の目には、人口2400万人を抱えるユーゴが、経験した貧困と破壊過程について西側諸国には、責任がないものと映った。
・しかし国際債権団によってユーゴに施行された経済改革政策は、ユーゴの崩壊に関係(責任)があった。
政策によってユーゴにもたらされたもの 
 → ユーゴの国家経済の崩壊・工業部門の瓦解と福祉国家の分裂・経済成長低下・債務増加・債務返済負担の過重・貨幣の価値下落・生活水準の急激な下落

<マクロ経済改革の後ろに隠された戦略的利害関係

・この経済改革は、戦略的構造調整を強固に推し進めるやり方である。
米国政府の目的は、共産党とその政府を転覆させるため、「静かな改革」を企むと同時に、東欧諸国を市場経済に編入させる目的であった。
  → 1983年、IMFの支援の下に導入された第二次経済安定化政策は、かなりの激しいインフレーションを引き起こし、貿易自由化と貸出凍結措置によって、投資は有史以来 最低を記録した。
・またユーゴ経済を破壊している金利問題によって賃金まで自由化された。

<IMFとの協約>

・連邦予算を債務返済用に回すために、連邦中央政府が共和国と自治州に対する予算支援を中断するや、政治的分裂と分離主義運動がいっそう過熱した。これに対して労働組合が一致団結し、抵抗運動を行った。(この運動に人種差別はなかった。)しかし抵抗もむなしく実質賃金は、1990年の上半期で、41%ほど減少し、1990年にはインフレーションが70%を超えた。
・IMFとの協約によって連邦政府は、自国の中央銀行でさえ貸出を禁止し、これにより予算執行過程が事実上麻痺し、社会福祉および経済計画を実行する能力を喪失した。また商業貸出の規制撤廃により公共企業に対する投資は完全に中断された。そして過去10年間に積み重なった構造調整プログラムの弊害は、ユーゴ共和国を経済的、社会的に瓦解させた。

<1989年の企業改革>

・国際債権団の構造調整プログラムは、公共企業制度の撤廃を望んだ。
 1989年に改正された企業法の内容
  → 労働者の基本組織の自主管理公共企業を資本主義的私企業へと転換させることと、労働者委員会を債権団が始めとした企業所有主が主導する「社会理事会」へと代替させること
 その法の意図
  → ユーゴ経済を民営化し、公共部門を瓦解させようとする意図

<法制改編>

・1989年の金融運用法は、ユーゴ連邦の産業を瓦解するのに決定的な役割を果たした。この法案は、企業活動の均等性と透明性を保障するという美名の下に、債務履行能力がない企業を破産させた。
・1989年の外国人投資法は、外国資本が産業・金融・保険・サービス部門に無制限に投資することができる道を切り開いた。(施行される前までは、外国人投資は公企業との合弁に局限させられていた)
・1990年の社会資本法は公企業を外国資本に売却することを始め、公企業の奪取を合法化させた。

<破壊を誘導する構造調整プログラム>

・金融運用法によると連鎖破産メカニズムによって2年間たらずの間に、全産業人口270万人を超える労働者が職場を失うようになったのである。このうち大規模破産と解雇は、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ共和国で発生した。
・そして数多くの公企業が破産を免れるために賃金を支給しなかったのである。(1990年の上半期の間、全産業人口の20%に該当する50万人の労働者が賃金を受け取ることができなかった)
 IMFが支援する1990年1月の経済改革と構造調整プログラムは、企業の売り上げ損失を増加させるなどし、様々な企業の倒産を煽った。また貿易機構規制撤廃により輸入消費財が氾濫し、IMFの経済改革を実施するという条件で借りてきた金は、消費財輸入に充当させられたのである。
・満ち潮のように流れ込んできた消費財によって国内企業は、国内市場におけるポジションを失ったり、破産せざるを得なくなった。
・そして債権団の戦略は企業の効率性と競争力を育てるという美名の下、大規模産業体を無力化したし、小規模単位に解体することだったのである。

<過剰労働力の分割>

・1989年から1990年の間にユーゴの産業基盤は完全に解体させられた。
・金融運用法に従って、2435の企業とここに雇用されている130万人の労働者は、債務不履行企業に分類され、破産手続きに従って処理された。(全270万人の労働者のうち190万人が、過剰労働力と分類された)
・1989年労働法では、解雇手当支給は義務化されていたが、世界銀行は解雇手当支出を不当であると主張した。⇒事実上企業に破産宣告を下すことと同じであった。
・解雇労働者の再就業のために世界銀行が提案したのは、中小企業の育成であった。しかし、財政緊縮と企業に対する制限的貸出政策が実行されている状況で、このような提案は無意味なものであった。

<戦後再建>

・債権団の監督の下に施行された民営化プログラムは、経済基盤の瓦解と共和国の国民の貧困化を加重化させ、1990年からの4年間にGDPは50%も減少した。
・ショック療法が目的を達成しなかったので、第2次経済安定化および構造調整が出された。
その内容・・・財政および通貨政策に対する決定権は外国の債権団がにぎること、大々的な予算削減⇒戦後復興さらに厳しく
・(マケドニアの場合・・・国際支援団が提供した支援金は、マケドニアの再建のために使われず、「更新可能な短期借款」として、マケドニア政府が世界銀行から借りた債務を返済するのに使われた←悪循環)

<経済改革の社会的意味>

・世界銀行は、マケドニアの人口の大多数が、医療保険料を納付する能力がなく、基本的な医療の恩恵すら受けることができないでいる実状を知りながら、「解決策」として「資本主義的」医療保険制度を導入した  ←矛盾

<ボスニア・ヘルツェゴビナの再建>

・1995年西側諸国は、ボスニア・ヘルツェゴビナの政治的・経済的主権を認めない再建計画を発表した。   
・その内容・・・基本的にNATO占領軍と西側政府の監視の下に、ボスニア・ヘルツェゴビナを分裂させ再建、植民地総督府(最高代表)を設ける
・また中央銀行総裁は、IMFが任命することになっており、加えて中央銀行としての機能を担当することができないように憲法に規定されていた。
・債務が増えるだけで戦争によって疲弊したボスニア経済を再建するための資金は、どこからも借りることができなかった。
・もともと自らの財源によって戦後復興を成し遂げるというのは、初めから不可能だったのである。

<ボスニア油田に対する多国籍企業の集中攻略>

・デイトン協定によるボスニア・ヘルツェゴビナの領土分割は、西側諸国の経済的利害関係に決定的な影響を及ぼす重要な事案であった。

<むすび>

・新自由主義の旗の下、ユーゴに適用されたマクロ経済改革政策は、国全体を破滅へと追いやった。
・構造調整がユーゴに及ぼした政治・社会的影響は、意図的に隠蔽され、人々は実際に何が起きたのかさえ、わからなくなり、文化的・人種的・宗教的葛藤だけが強調され、それだけが内戦の唯一の原因であると思わせたが、実際に内戦は、それ以前から進んできた深刻な政治・経済的瓦解の結果にすぎなかったのである。
・ユーゴの経験は、発展途上国を始めとして最近の米国、カナダ、西欧諸国に適用された構造調整が、いかなる結果を生み出すのかをよく示している。ユーゴで起きた経済危機は、他の国より早く発生しただけであり、他の国が避けて通れる問題ではない。構造調整は、新自由主義というイデオロギーが全世界の全ての国家に強要する残忍かつ破壊的な経済モデルなのである。

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<コメンテーター・レジュメ>


旧ユーゴスラビアと「紛争」の背景



 イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニアの各国と国境を接していた「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国旧ユーゴスラビア)」。約2,500万人の人口だが、主要民族だけで6つ、少数民族も数多く、「モザイク国家」と呼ばれてきた。
 オスマン帝国とオーストリア・ハンガリー帝国の支配を経てユーゴスラビア王国が建国されたが、第2次世界大戦で、わずか10日間で降伏。ナチス・ドイツは民族分断統治を試み、クロアチア側に傀儡政権が樹立され、クロアチア、セルビア両民族を中心とする勢力が対立。双方に多数の犠牲者が出た。
 こうした中、ナチスへの抵抗運動を指導、旧ユーゴを建国し、後に大統領となったのがチトー。ナチスへの抵抗運動の中で呼びかけられた「諸民族の友愛と団結」は、旧ユーゴの国是となった。
 1980年、チトー大統領死去。政治は求心力を失い、中心となる指導者が不在のまま集団指導体制へ移行した。同時期に対外債務の返済が始まり、インフレ・失業が深刻化。1989年の近隣の東欧諸国の社会主義政権崩壊も旧ユーゴに大きな衝撃を与えた。
 1991年経済的に豊かなスロベニア、クロアチアが連邦からの離脱を宣言。それに反対する連邦軍(セルビア人勢力が主力)が戦車隊を派遣し、内戦が勃発。結局翌年に両国は独立した。
 旧ユーゴの中でも、特にボスニア・ヘルツェゴビナは、様々な民族が混在する地域。セルビア、クロアチア、ムスリムの主要三民族を代表する勢力が戦闘を展開する中で、「民族浄化」、「強制収容所」、レイプといった残虐行為が頻発した。1993年から戦闘が本格化し、約20万人が死亡、数百万人が難民となった。
 1995年10月の停戦合意、12月の和平協定調印で、「ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国」は、ムスリム人勢力とクロアチア人勢力を中心とする「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」と、セルビア人を中心とする「セルビア共和国」という二つの地方で構成されることになった。
 NATO軍の空爆と関連して最近数多く報道されたコソボ自治州は、(新)ユーゴ(=ユーゴスラビア連邦共和国)の中心であるセルビア共和国の中の自治州で、人口の9割をアルバニア系のイスラム教徒が占める。セルビア共和国により自治権が剥奪された後、アルバニア系住民は独立を宣言、抵抗を続けたが、セルビア軍・警察などによるアルバニア人への弾圧が強化され、空爆への引き金となった。

国 名:

ボスニア・ヘルツェゴビナ
(Bosnia and Herzegovina)

国旗

2003年1月 現在

政治体制・内政

1.政体

複数政党制に基づく共和制

2.元首

3主要民族の代表から成る大統領評議会議長(現在はセルビア系のシャロヴィッチ議長)

3.議会

2院制(代議院42名、民族院15名)

4.政府

3主要民族から成る閣僚評議会が政府の役割を果たしている。
(1)首相に当たるのは閣僚評議会議長で、現在は、アドナン・テルジッチ氏(ムスリム系)(2003年1月就任)。
(2)外相はムラデン・イヴァニッチ氏(セルビア系)(2003年1月就任)。

5.内政

1)ボスニアは旧ユーゴ連邦を構成した共和国の一つで、約430万人の人口の民族構成はムスリム系44%、セルビア系33%、クロアチア系17%だった。旧ユーゴ連邦の崩壊が進む中、92年4月、BHの独立を巡って民族間で紛争が勃発し、3年半以上にわたり各民族がBH全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万、難民・避難民200万と言われる戦後欧州で最悪の紛争となった。
(2)95年12月、デイトン和平合意の成立により戦闘は終息。ボスニアは、ムスリム系及びクロアチア系住民が中心の「BH連邦」及びセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国という2つの主体から構成される一つの国家とされた。それぞれの主体が独自の警察や軍を有するなど、高度に分権化されている。
(3)和平履行は、民生面を上級代表事務所(OHR)が、軍事面をNATO中心の多国籍部隊(SFOR)が担当。軍事面での成果は上がっており、治安も概ね安定している。しかし、民族間の確執は未だ根強く、民生面での和平履行は進展が遅い。OHRが掲げている現在の主要課題は、国家機構の整備・強化、難民・避難民帰還の促進及び経済改革の3点。難民・避難民の帰還は少しずつ進展しているが、現在でも約100万近くの難民・避難民が存在すると言われる。
(4) 2000年に行われた選挙の結果、中央政府及びボスニア連邦において、紛争勃発以来初めての非民族主義政権が誕生した。
(5) しかし、2002年10月に行われた選挙において、非民族主義勢力が敗北し、紛争を主導した民族主義勢力が政権に復帰した。

外交・国防

1.外交方針

1)ムスリム勢力がイスラム系諸国とのつながりを持ちつつも、ボスニア全体としては欧州諸国の一員としての道を歩もうとしている。97年は中欧イニシアティヴ(CEI)の議長国を務めた。
(2)近隣諸国との関係改善・強化等、外交上の課題は多いが、中央政府が十分機能せず、本格的な外交活動を展開するに至ってないのが現状。
(3)国内の復旧・復興を促進する観点から、外国からの援助の受容が最重要の外交課題となっている。

2.軍事力

 ムスリム、クロアチア系、セルビア系の各民族がそれぞれ独自の軍事力を有している。また、デイトン包括和平合意に基づき軍備管理協定による軍事上の安定を図る努力がなされた結果、常任軍事委員会が設置され同委員会は兵力の15%削減を決定、99年末に実施された。(削減前の兵力は、ボスニア連邦側が約2万7千、スルプスカ共和国が約2万。)なお、ボスニアとしては、NATOとの間で「平和のためのパートナーシップ」協定の締結を希望している。

経済(単位 米ドル)

1.主要産業

木材業、鉱業、繊維業、電力

2.GDP

45億ドル(99年)

3.1人当たり

965ドル(99年)

4.経済成長率

9.7%(99年)

5.物価上昇率

3.0%(99年)

6.失業率

ボスニア連邦:43.5% スルプスカ共和国:36%

7.貿易額

1)輸出 7億5千万ドル
(2)輸入 25億ドル

8.通貨

 これまではドイツ・マルクが広く流通していたが、97年7月より国内統一通貨(兌換マルク)が発行されている。
(注)ボスニアは、紛争の影響で正常な経済運営がなされておらず、依然多くを国際社会の援助に頼っているのが現状。