〔古典に親しむ〕
 竹取物語
(作者不詳)
 
・かぐや姫の誕生
かぐや姫の成長

貴公子たちの妻問い
石作りの皇子の話
庫持の皇子の話
帝の求婚
かぐや姫の告白

月からの使者
かぐや姫の昇天
ふじの煙
 
「竹取物語」について
 
平安時代の物語文学(1巻)で、9世紀後半の成立とされる。『源氏物語』に「物語の出(い)で来はじめの祖(おや)」とあって、現存する最も古い物語。作者は不明ながら、文体・用語・思想傾向などから漢籍や仏典にくわしい男性知識人と推測される。
 
 竹取りの老人が竹の中に見つけた小さな女の子は、やがて成長して光り輝く美女となる。かぐや姫と名づけられた彼女のもとには多くの求婚者が訪れるが、熱心な5人の公達や帝の求婚をも退け、ついには8月15日の夜に月の国へと帰るというストーリー。
 
 登場人物については、かぐや姫・老夫婦・帝などは架空の人物だが、実在の人物が登場していることも本作品の特徴である。5人の公達のうち、安倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物である。また、車持皇子のモデルは藤原不比等、石作皇子のモデルは多治比嶋だっただろうと推定されている。この5人はいずれも壬申の乱の功臣で天武天皇・持統天皇に仕えた人物であることから、奈良時代初期が物語の舞台に設定されたとされている。
 
 なお、チベットにもこれとよく似た話があり『竹取物語』の原型かと注目されたが、大正ごろに日本から輸入されたとの説もある。

 
 
 
 

 
 
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【かぐや姫の誕生】
 
 今は昔、竹取の翁(おきな)といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さかきの造(みやつこ)となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁言ふやう、「我、朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。子となり給ふべき人なめり」とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻(め)の嫗(おうな)に預けて養はす。うつくしきことかぎりなし。いと幼ければ籠(こ)に入れて養ふ。 
 
(現代語訳)
 
 今となっては昔のこと、竹取りの翁という者がいた。野山に入って竹を取っては、さまざまなことに使っていた。名前はさかきの造といった。彼が取っている竹の中で、根元が光る竹が一本あった。不思議に思って近寄ってみると、竹の筒の中から光っている。その筒の中を見ると、三寸くらいの人がたいそうかわいらしい様子で坐っている。じいさんが言うには、「私が毎朝毎晩見る竹の中にいらっしゃるので分かった。きっと私の子になりなさるはずの人のようだ」と思い、手のひらに入れて家へ持ち帰った。彼の妻であるばあさんに預けて育てた。かわいらしいことこの上ない。たいそう小さいので、かごに入れて育てた。
 
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【かぐや姫の成長】

 
 竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけてのちに竹取るに、節を隔ててよごとに金(こがね)ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やうやう豊かになりゆく。
 
 この児
(ちご)、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月(みつき)ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳(も)着す。帳のうちよりも出(い)ださず、いつき養ふ。この児のかたちけうらなること世になく、屋(や)のうちは暗き所なく光満ちたり。翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しきこともやみぬ。腹立たしきことも慰みけり。翁、竹を取ること久しくなりぬ。いきほひ猛(まう)の者になりけり。
 
 この子いと大きになりぬれば、名を三室戸斎部
(みむろどいんべ)の秋田を呼びてつけさす。秋田、なよ竹のかぐや姫とつけつ。このほど三日、うちあげ遊ぶ。よろづの遊びをぞしける。男はうけきらはず呼び集(つど)へて、いとかしこく遊ぶ。
 
(現代語訳)

 
 竹取の翁が竹を取る時に、この子を見つけてからは節を隔てて節の間ごとに黄金の入っている竹を見つけることが重なった。そうして、翁はだんだんと裕福になっていった。
 
 この子は、養育するうちに、すくすくと成長した。三か月くらい経つころには、人並みほどの背丈になったので、髪を結い上げる儀式を手配し、裳を着せた。帳台の中からも外には出さず、大切に育てた。この子の容貌の美しさには比類がなく、家の中には暗い所がなく光に満ちている。翁は、気分が悪く苦しいときも、この子を見ると苦しさが消えてなくなった。腹立たしいことも慰められた。この間に翁は黄金の入った竹を取り続けて長くなった。そして、財力の大きい者になっていった。
 
 この子は、背丈がたいそう大きくなったので、三室戸斎部のあきたを呼んで名前をつけさせた。あきたは、「なよたけのかぐや姫」と名づけた。この三日間、酒盛りをして楽しんだ。詩歌や舞などいろいろな遊びを催した。男という男はだれかれ構わず呼び集めて、たいそう盛大に楽しんだ。

 
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【貴公子たちの妻問い】
 
(一)
 世界のをのこ、貴
(あて)なるも卑しきも、いかでこのかぐや姫を得てしがな、見てしがなと、音に聞きめでて惑ふ。そのあたりの垣にも、家の門(と)にも、をる人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安きいも寝ず、闇(やみ)の夜にいでて、穴をくじり、かいばみ惑ひ合へり。さる時よりなむ、よばひとは言ひける。
 
 人のものともせぬ所に惑ひありけれども、なにの験
(しるし)あるべくも見えず。家の人どもにものをだに言はむとて、言ひかかれども、ことともせず。あたりを離れぬ君達(きんだち)、夜を明かし日を暮らす、多かり。おろかなる人は、「ようなきありきは、よしなかりけり」とて、来ずなりにけり。
 
 その中に、なほ言ひけるは、色好みと言はるる限り五人、思ひやむ時なく夜昼来ける。その名ども、石作
(いしつくり)の皇子(みこ)・庫持(くらもち)の皇子・右大臣阿部のみむらじ・大納言大伴の御行(みゆき)・中納言石上(いそのかみ)のまろたり、この人々なりけり。
 
(現代語訳)
 
 世間の男たちは、身分が貴い者も卑しい者も、どうにかしてこのかぐや姫を得たい、妻にしたいと、噂に聞いては恋い慕い、思い悩んだ。翁の家の垣根にも門にも、家の中にいてさえ容易に見られないのに、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に穴をえぐり、覗き込むほどに夢中になっていた。そのような時から、女に求婚することを「よばひ」と言ったとか。
 
 人が行きそうにない所をもさまようものの、何の効果もない。家の人たちにことづけようとして話しかけても、問題にされない。辺りを離れようとしない貴公子たちは、夜を明かしながら過ごす者が多かった。志が大したことない人は、「必要もない出歩きは、無駄だった」と言って、来なくなった。
 
 そんな中で、それでもなお言い寄ったのは、色好みと評判の五人、恋心が止まず夜昼となくやって来た。その人たちの名は、石作の皇子・庫持の皇子・右大臣阿部のみむらじ・大納言大伴の御行・中納言石上のまろたり、といった。
 
 
(二)
 これを見つけて、翁、かぐや姫に言ふやう、「わが子の仏、変化
(へんげ)の人と申しながら、ここら大きさまで養ひ奉る志おろかならず。翁の申さむことは聞きたまひてむや」と言へば、かぐや姫「何事をか、のたまはむことは、承らざらむ。変化のものにてはべりけむ身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ」と言ふ。翁「うれしくものたまふものかな」と言ふ。「翁、年七十に余りぬ。けふともあすとも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす、女は男にあふことをす。そののちなむ門(かど)広くもなりはべる。いかでか、さることなくてはおはせむ」。
 
 かぐや姫のいはく「なんでふさることかしはべらむ」と言へば、「変化の人といふとも、女の身持ちたまへり。翁のあらむ限りは、かうてもいますかりなむかし。この人々の年月を経て、かうのみいましつつのたまふことを、思ひ定めて、ひとりひとりにあひ奉りたまひね」と言へば、かぐや姫のいはく、「よくもあらぬかたちを、深き心も知らで、あだ心つきなば、のち悔しきこともあるべきを、と思ふばかりなり。世のかしこき人なりとも、深き志を知らでは、あひがたしと思ふ」と言ふ。
 
 翁いはく、「思ひのごとくも、のたまふものかな。そもそもいかやうなる志あらむ人にか、あはむとおぼす。かばかり志おろかならぬ人々にこそあめれ」。かぐや姫のいはく、「なにばかりの深きをか見むと言はむ。いささかのことなり。人の志等しかんなり。いかでか、中に劣りまさりは知らむ。五人の中に、ゆかしきものを見せたまへらむに、御志まさりたりとて、仕うまつらむと、そのおはすらむ人々に申したまへ」と言ふ。「よきことなり」とうけつ。

 
(現代語訳)
 
 このようす(五人の貴公子たちの熱心な求婚ぶり)を見て、翁がかぐや姫に、「仏のように大切なわが子よ、仮にこの世に来た変化の人とはいえ、これほど大きくなるまで養い申し上げた私の志は並々ではない。爺の申すこと聞いてもらえるだろうか」と言うと、かぐや姫は「どんなことをおっしゃっても、お聞きしないことがありましょうか。変化の身というつもりはなく、あなた様をほんとうの親とばかり思い申し上げています」と言う。翁は、「うれしくもおっしゃるものだ」と言った。「爺は、齢七十を越えた。今日とも明日とも分からない命だ。この世の人は、男は女に婿入りをし、女は男に嫁ぐことをする。そうして一門が大きく発展していく。あなたも結婚のないままおられるわけにはいかない」。
 
 かぐや姫が「どうして私がそのようなことをいたしましょうか」と言うと、「変化の人とはいえ、あなたは女の身体をお持ちだ。爺が生きている間はこうしてもいられましょう。しかし、あの人たち(五人の貴公子)が長い年月、このようにおいでになっておっしゃることをよく考えて、どなたかお一人と結婚してさしあげなさい」と言った。かぐや姫は、「よくもない顔立ちで、相手の深い心も知らず軽々しく結婚して、浮気でもされたら後悔するに違いないと不安です。天下の恐れ多い方々であっても、深い志を知らないままに結婚などできません」と言う。
 
 翁は、「思う通りをおっしゃるものだ。いったいどんな志のある方に嫁ごうとお思いか。あの人たちは並々ならぬ志の方々であろうに」。かぐや姫は、「どれほどの志の深さを見ようというのではなく、ほんのちょっとしたことなのです。五人の方の志はみな等しいようです。どうしてその優劣が分かりましょうか。五人の中に、私が見たいと思うものをお見せくださったならばその御方に、御志がすぐれていると思い、妻としてお仕えいたしましょう、とお伝えください」と言う。翁は「よろしい」と承知した。
 
 
(三)
 日暮るるほど、例の集まりぬ。あるいは笛を吹き、あるいは歌をうたひ、あるいは唱歌
(しゃうが)をし、あるいはうそぶき、扇を鳴らしなどするに、翁、出でていはく、かたじけなく、きたなげなる所に、年月を経てものし給ふこと、極まりたるかしこまり、と申す。翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ君達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ、と申すもことわりなり、いづれも、劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし、仕うまつらむことは、それになむ定むべき、と言へば、これ、よきことなり、人の御恨みもあるまじ、と言ふ。五人の人々も、よきことなり、と言へば、翁、入りて言ふ。
 
 かぐや姫、石作の皇子には、仏の御石の鉢といふ物あり、それを取りて賜べ、と言ふ。庫持
(くらもち)の皇子には、東の海に蓬莱といふ山あるなり、それに白銀を根とし黄金を茎とし白き珠を実として立てる木あり、それ一枝、折りて賜はらむ、と言ふ。いま一人には、唐土(もろこし)にある火鼠(ひねずみ)の皮衣を賜へ、大伴の大納言には、龍(たつ)の頸に五色に光る珠あり、それを取りて賜へ、石上の中納言には、燕(つばくらめ)の持たる子安の貝、一つ取りて賜へ、と言ふ。
 
 翁、難きことにこそあんなれ、この国にある物にもあらず、かく難しきことをば、いかに申さむ、と言ふ。かぐや姫、なにか難しからむ、と言へば、翁、とまれかくまれ、申さむ、とて、出でて、かくなむ、聞こゆるやうに見せ給へ、と言へば、皇子たち、上達部、聞きて、おいらかに、あたりよりだにな歩きそ、とやのたまはぬ、と言ひて、倦
(う)んじて、みな帰りぬ。
 
(現代語訳)
 
 
日が暮れるころ、例のごとく五人の貴公子たちが集まった。ある人は笛を吹き、ある人は歌をうたい、ある人は唱歌をし、ある人は口笛を吹き、扇を鳴らして拍子をとったりなどしていると、翁が出てきて言うことには、「もったいなくもむさ苦しい住まいに、長い間お通いなさること、この上なく恐縮に存じます」と申し上げる。「姫に『この爺の命は今日明日とも知れないのだから、これほどにおっしゃる君達に、よく考えを決めてお仕え申し上げなさい』と申すのも道理だというものでありました。そこで姫が、『どなたが劣っている優れているということはおありにならないので、私の見たいと思っているものをお見せくださることで、お心ざしはわかるはずです。お仕えするのは、それによって決めましょう』と言うので、『それはよい考えです。そうすればお恨みも残らないでしょう』と申しました」と言う。五人の貴公子たちも、「それはよいことだ」と言うので、翁が入ってかぐや姫にそのことを言う。
 
 かぐや姫は、「石作の皇子には、仏の尊い石の鉢という物がありますので、それを取ってきて私に下さい」と言う。「庫持の皇子には、東の海に蓬莱という山があり、そこに銀を根とし金を茎とし真珠を実とする木が立っているといいます。それを一枝、折ってきて頂きましょう」と言う。「もう一人の方には、唐にある火鼠の皮衣を下さいますよう。大伴の大納言には、龍の頸に五色に光る珠がありますから、それを取ってきて下さい。石上の中納言には、燕の持っている子安貝を一つ取ってきて下さい」と言う。
 
 翁は、「できそうもないことばかりですね。この国にある物でもありません。そのような難しいことを、どのように申し上げましょうか」と言う。かぐや姫が、「どうして難しいことがありましょうか」と言うので、翁は、「ともかくも、申し上げてきましょう」と言い、出て行って、「これこれこのような次第です。申します通りにお見せください」と言うと、皇子たちや上達部はそれを聞いて、「おだやかに『近くを通ることさえしないでください』とでもおっしゃらないものだろうか」と言いながら、うんざりして、みな帰ってしまった。
 
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【石作りの皇子の話】
 
 なほ、この女見では、世にあるまじき心地のしければ、天竺(てんぢく)にある物も持て来ぬものかはと思ひめぐらして、石作(いしつくり)の皇子は、心の支度(したく)ある人にて、「天竺に二つとなき鉢(はち)を、百千万里の程行きたりとも、いかでかとるべき」と思ひて、かぐや姫のもとには、「今日なむ天竺へ石の鉢とりにまかる」と聞かせて、三年ばかり、大和国(やまとのくに)十市(とをち)の郡(こほり)にある山寺に、賓頭盧(びんづる)の前なる鉢の、ひた黒に墨つきたるをとりて、錦の袋に入れて、造り花の枝につけて、かぐや姫の家に持て来て見せければ、かぐや姫あやしがりて見るに、鉢の中に文(ふみ)あり。ひろげて見れば、
 
  海山の道に心をつくし果てないしのはちの涙ながれき
 
 かぐや姫、光やあると見るに、蛍
(ほたる)ばかりの光だになし。
 
  おく露の光をだにぞ宿さましをぐら山にて何もとめけむ
 
とて返しいだす。鉢を門に捨てて、この歌の返しをす。
 
  しら山にあへば光の失
(う)するかとはちを捨ててもたのまるるかな
 
とよみて入れたり。かぐや姫、返しもせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ、言ひかかづらひて帰りぬ。かの鉢を捨ててまた言ひけるよりぞ、面
(おも)なき事をば、はぢを捨つとは言ひける。
 
(現代語訳)

 それでもやはり、この女と結婚しないでは、この世に生きてはいられない気持ちがしたので、たとえ天竺にある物であっても持ってこようと思いをめぐらし、石作りの皇子は目先の利く人であったので、「天竺に二つとない鉢を、百千万里の彼方へ出かけたとして、どうして手に入れることができよう」と思い、かぐや姫のもとには、「今日、まさに天竺へ鉢を取りに参ります」と知らせておいて、三年ほど経ってから、大和の国十市の郡にある山寺で、賓頭盧(びんずる)の前にある鉢の、真っ黒にすす墨がついているのを手に入れて、錦の袋に入れ、造花の枝につけてかぐや姫の家に持ってきて見せた。かぐや姫が半信半疑でその鉢を見ると、中に手紙が入っている。広げて見ると、
 
 <筑紫の国を出て、海を越え山を越え、はるか遠い天竺までの道のりに精根を尽くし、石の鉢を手に入れる苦労に泣き、血の涙が流れましたよ。>
 
 かぐや姫が、石の鉢にあるはずの光があるかと見たが、蛍ほどの光さえもない。
 
 <もし、この鉢が本物でしたら、野に置く露ほどの光でも宿しているはずなのに、小暗きおぐら山で、いったい何を探してきたのですか。>
 
と言って鉢を返した。石作の皇子は鉢を門口に捨てて、この歌の返歌をした。
 
 <白山のような光り輝くあなたに会ったので、先ほどまであった光が失せたのかと鉢を捨てましたが、恥を捨てて、ただあなたの御心にすがりたい。>
 
と詠んで差し入れた。かぐや姫は返歌もしなかった。耳にも聞き入れようとしなかったので、皇子は何を言うこともできず帰っていった。あの鉢を捨ててまた言い寄ったことから、厚かましいことを「恥を捨てる」と言うのであった。
 
(注)賓頭盧 ・・・ 釈迦の弟子。中国では秦の時代から唐の時代まで寺院の食堂にその像を安置し、毎日食物を供えたといわれ、「鉢」はそのためのものだったか。
 
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【庫持皇子の話】
 
(一)
 庫持
(くらもち)の皇子(みこ)は、心たばかりある人にて、公(おほやけ)には、「筑紫の国に湯あみにまからむ」とていとま申して、かぐや姫の家には、「玉の枝取りになむまかる」と言はせて下りたまふに、仕(つか)うまつるべき人々皆難波まで御(み)送りしけり。皇子、「いと忍びて」とのたまはせて、人もあまた率(ゐ)ておはしまさず、近う仕うまつる限りして出でたまひぬ。御送りの人々見奉り送りて帰りぬ。おはしぬと人には見えたまひて、三日ばかりありて漕(こ)ぎ帰りたまひぬ。
 
 かねてこと皆仰せたりければ、その時一の宝なりける鍛冶匠
(かぢたくみ)六人を召し取りて、たはやすく人寄りて来(く)まじき家を造りて、かまどを三重(みへ)にしこめて、匠らを入れたまひつつ、皇子も同じ所にこもりたまひて、しらせたまひたる限り十六そを、かみにくどをあけて、玉の枝を作りたまふ。かぐや姫のたまふやうにたがはす作りいでつ。いとかしこくたばかりて、難波にみそかに持ていでぬ。
 
 「舟に乗りて帰り来にけり」と殿に告げやりて、いといたく苦しがりたるさましてゐたまへり。迎へに人多く参りたり。玉の枝をば長櫃
(ながひつ)に入れて、物おほひて持ちて参る。いつか聞きけむ、「庫持の皇子は優曇華(うどんげ)の花持ちて上りたまへり」とののしりけり。これをかぐや姫聞きて、われは皇子に負けぬべしと、胸うちつぶれて思ひけり。
 
(現代語訳)
 
 庫持の皇子は、策略にたけた人で、朝廷には「筑紫の国に湯治に出かけます」と言って休暇を願い出て、かぐや姫の家には「玉の枝を取りに参ります」と使いに言わせて地方に下ろうとするので、お仕えしている人々はみな難波までお送りしたのだった。皇子は、「ごく内密に」と言い、お供も大勢は連れて行かず、身近に仕える者だけで出発した。見送った人々は都に戻った。人々には出発したと見せかけて、三日ほどして、難波に漕ぎ戻ってきた。
 
 あらかじめ事はすべて命じていたので、当時、随一の宝とされていた鍛冶細工師六人を召し寄せて、簡単には人が近寄れそうもない家を造って、かまどを三重に囲み、細工師らを入れ、皇子も同じ所にこもり、治めている荘園十六か所をはじめ、蔵の財産すべてをつぎ込んで、玉の枝を作らせた。かぐや姫が言っていたのと寸分たがわず作り上げた。たいへんうまく仕立て上げて、難波にひそかに運び込んだ。
 
 「舟に乗って帰ってきた」と自分の屋敷に知らせをやり、自分はひどく疲れて辛そうなようすで座り込んでいた。迎えの人が大勢やって来た。玉の枝は長櫃に入れて、物でおおって都へ運んだ。いつ聞いたのであろうか、「庫持の皇子は優曇華(うどんげ)の花を持って都へお上りになった」と世間では騒いでいた。これをかぐや姫が聞いて、私は皇子に負かされてしまうに違いないと、胸がしめつけられる思いがした。
 
 
(二)
 かかるほどに、門
(かど)をたたきて、「庫持の皇子おはしたり」と告ぐ。「旅の御姿ながらおはしたり」と言へば、会ひ奉る。皇子のたまはく、「命を捨てて、かの玉の枝持ちて来たる」とて、「かぐや姫に見せ奉りたまへ」と言へば、翁持ちて入りたり。この玉の枝に文(ふみ)ぞ付きたりける。
 
  いたづらに身はなしつとも玉の枝を手折らでただに帰らざらまし
 
 これをあはれとも見でをるに、竹取の翁走り入りていはく、「この皇子に申したまひし蓬莱
(ほうらい)の玉の枝を、一つの所あやまたず持ておはしませり。なにをもちてとかく申すべき。旅の御姿ながら、わが御家へも寄りたまはずしておはしたり。はやこの皇子にあひ仕うまつりたまへ」と言ふに、物も言はで、つらづゑをつきて、いみじう嘆かしげに思ひたり。この皇子、「今さへなにかと言ふべからず」と言ふままに、縁にはひ上りたまひぬ。翁、ことわりに思ふに、「この国に見えぬ玉の枝なり。このたびは、いかでかいなび申さむ。さまもよき人におはす」など言ひゐたり。かぐや姫の言ふやう、「親ののたまふことを、ひたぶるにいなび申さむことのいとほしさに、取りがたきものを」。かくあさましくて持てきたることをねたく思ひ、翁は、閨(ねや)のうち、しつらひなどす。
 
(現代語訳)
 
 こうしているうちに、門をたたいて、「庫持の皇がおいでになった」と皇子の使者が告げてきた。「旅のお姿でいらっしゃる」と取次ぎの者が言うので、翁はお会いした。皇子が言うには、「命を捨てて、あの玉の枝を持って来ました」と言って、「かぐや姫にお見せください」と言うので、翁は玉の枝を持って奥に入った。その玉の枝には、手紙が結びつけてあった。
 
 <たとえむなしくわが身が果てたとしても、玉の枝を手折らずに手ぶらで帰りはしなかったでしょう。>
 
 かぐや姫は、大してすばらしい歌とも思わずにいると、翁が部屋に走って来て言うには、「あなたがこの皇子に申し上げた蓬莱の玉の枝を、少しもたがわずに持って来られた。これ以上何をもってとやかく言えましょう。しかも、旅のお姿のまま、ご自分のお屋敷にもお寄りにならずお越しになっている。もはやこの皇子に嫁ぎなされ」と言うのに、かぐや姫は物も言わず、頬杖をついて、たいそう嘆かわしそうにしている。皇子は、「今となっては何やかんやと言えないはず」と言うやいなや、縁側に這い上がった。翁はもっともと思い、「この国では見られぬ玉の枝です。このたびはどうしてお断り申せましょう。ようすもよいお方だ」などと言っている。かぐや姫が言うには、「親の仰せをひたすら拒み続ける気の毒さから、手に入れがたいものを注文しましたのに・・・」。このように意外な感じで、皇子が持ってきたことをいまいましく思っていた。一方、翁は、寝所の中の準備をし始めた。
 
 
(三)
 翁聞きて、うち嘆きてよめる、
 
  くれ竹のよよの竹取り野山にもさやはわびしきふしをのみ見し
 
 これを皇子聞きて、「ここらの日ごろ思ひわびはべる心は、けふなむ落ちゐぬる」とのたまひて、返し、
 
  わがたもとけふかわければわびしさのちぐさの数も忘られぬべし
 
とのたまふ。
 
 かかるほどに、男
(をのこ)ども六人連ねて庭にいで来たり。ひとりの男、文挟(ふみばさ)みに文をはさみて申す、「内匠寮(たくみづかさ)の匠、漢部(あやべ)の内麿(うちまろ)申さく、玉の木を作り仕うまつりしこと、五穀(ごこく)断ちて、千余日に力を尽くしたること少なからず。しかるに禄(ろく)いまだ賜はらず。これを賜ひて家子(けご)に賜はせむ」と言ひてささげたり。竹取の翁、「この匠が申すことは何事ぞ」とかたぶきをり。皇子はわれにもあらぬ気色にて、肝消えゐたまへり。これをかぐや姫聞きて、「この奉る文を取れ」と言ひて見れば、文に申しけるやう、
 
「皇子の君、千日卑しき匠らともろともに同じ所に隠れゐたまひて、かしこき玉の枝作らせたまひて、宮
(つかさ)も賜はむと仰せたまひき。これをこのごろ案ずるに、御使ひとおはしますべきかぐや姫の要(えう)じたまふべきなりけり、と承りて、この宮より賜はらむ」
 
と申して、「賜はるべきなり」と言ふを聞きて、かぐや姫の、暮るるままに思ひわびつるここち、笑ひさかへて、翁を呼びとりて言ふやう、「まことに蓬莱
(ほうらい)の木かとこそ思ひつれ。かくあさましきそらごとにてありければ、はやとく返したまへ」と言へば、翁答ふ、「定かに作らせたるものと聞きつれば、返さむこといとやすし」とうなづきてをりけり。かぐや姫の心ゆき果てて、ありつる歌の返し、
 
  まことかと聞きて見つれば言
(こと)の葉を飾れる玉の枝にぞありける
 
と言ひて、玉の枝も返しつ。竹取の翁、さばかり語らひつるが、さすがに覚えて眠りをり。皇子は立つもはした、ゐるもはしたにてゐたまへり。日の暮れぬればすべりいでたまひぬ。

 
(現代語訳)
 
 翁は皇子の苦労話を聞いて、ふとため息をついて歌を詠んだ、
 
 <くれ竹の代々(よよ)の昔より、竹を取ってきた私ですが、その野山でもそんなに辛い目ばかり見たでしょうか。>
 
 これを皇子が聞いて、「多くの日数思い苦しんできました心は、今日という日はすっかり落ち着きました」と言って、歌を返し、
 
 <海の潮や涙にぬれた私の袂(たもと)が今日はすっかり乾き、数々の辛さも自然に忘れていくに違いありません。>
 
と言う。
 
 そうこうしていると、男どもが六人連れ立って庭に現れた。その中の一人が文挟みに文をはさんで申し出た。「内匠寮の細工人、漢部の内麿と申します。玉の木を作ってお仕えし、食うものも食わず、千日余りも力を尽くしたことは並大抵ではありません。にもかかわらずお手当てを未だに頂いていません。早く頂いて、手下どもに与えたい」と言って、文を高く差し上げた。竹取の翁は、「この細工人の申すことは何事ぞ」と首をかしげる。皇子は茫然自失となり、肝がつぶれている。これをかぐや姫が聞いて、「その差し出している文を取れ」と召使いに言って、受け取って見ると、書いてあったのは、
 
「皇子の君は、千日の間、身分の卑しい細工師らとともに同じ所に隠れ住まわれて、立派な玉の枝を私らに作らせ、出来上がったら官職も授けようと仰られた。このことを今あらためて考えますと、皇子の召人(めしうど)になられるはずのかぐや姫がお求めに違いないお品だと知り、それならば、このお屋敷からお手当てを頂戴したい」
 
とのことで、「当然に頂けるはずです」とも話すのを聞き、日が暮れるにつれて辛い心地のしていたかぐや姫は、急に晴れ晴れとうれしそうに笑って、翁を呼び寄せて言うには、「ほんとうに蓬莱の木かと思っていました。でも、このようにとんでもない偽物であったので、すぐにもお返しください」、翁は答えて、「確かに人に作らせたものと聞いたからには、返すのはいともたやすい」とうなずいた。かぐや姫の心はすっかり晴れやかになり、先ほどの歌に返し、
 
 <ほんとうかと聞いて実際に見てみれば、何と言葉をたくみに飾った偽物の玉の枝でしたよ。>
 
と言って、玉の枝ごと返してしまった。竹取の翁は、あれほど意気投合して語り合ったことが、さすがに気恥ずかしくなり、眠ったふりをしている。皇子は、立ち上がるのもばつが悪く、座っているのもきまりが悪いようすで、そのままじっとしていた。日が暮れ、闇にまぎれてこっそりと抜け出ていった。
 
 
(四)
 かの憂へをしたる匠
(たくみ)をば、かぐや姫呼びすえて、「うれしき人どもなり」と言ひて、禄いと多く取らせたまふ。匠らいみじく喜び、「思ひつるやうにもあるかな」と言ひて、帰る道にて、庫持の皇子、血の流るるまで懲(ちやう)ぜさせたまふ。禄得しかひもなく、皆取り捨てさせたまひてければ、逃げ失せにけり。かくてこの皇子は、「一生の恥、これに過ぐるはあらじ。女を得ずなりぬるのみにあらず、天下の人の、見思はむことの恥づかしきこと」とのたまひて、ただ一ところ、深き山へ入りたまひぬ。宮司(みやづかさ)、さぶらふ人々、皆手を分かちて求め奉れども、御死にもやしたまひけむ、え見つけ奉らずなりぬ。皇子の、御伴に隠したまはむとて年ごろ見えたまはざりけるなりけり。
 
(現代語訳)
 
 あの嘆願をしてきた細工師を、かぐや姫が呼び寄せて、「ありがたい人たちです」と言って、褒美をたいそう多く取らせた。細工師らは大いに喜び、「思ったとおりだった」と言って帰る道々、庫持の皇子が家来たちを使い、彼らを血が流れるまで打ち懲らしめた。褒美をもらった甲斐もなく、みな取り上げて捨てさせたので、無一物になって逃げ失せてしまった。そうしてこの皇子は、「一生の恥として、これにまさるものはあるまい。女を得られなかったのみならず、世間の人々が私を見て、あれこれ思うことの何と恥ずかしいことよ」と言い、ただ一人で、深い山へ入っていった。宮家の役人、お仕えしていた者たち、皆で手分けして捜したが、亡くなったのであろうか、見つけることができなかった。皇子は、お供たちに身を隠そうとして長い年月出てこなかったのだ。
 
(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。
 
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