銀月光


月が銀色の光を放つ冬の夜、青龍のゴウは悟郎のマンション前の階段に腰をかけて、静かに酒をあおっていた。
悟郎と和解、というより魅せられてから、テント生活に入っているが、
元が動物だけに、半野宿にも、なんの不都合もない。
だいたい、地底に封じられていた時間を思えば、
このように月をあおぎながら酒をたしなむなど、極楽浄土といってよかった。
「という例えは正しくないか、おれは仏門に入っているわけではないからな……」
と、獣の長の一人は、背後から突然、名を呼ばれた。
「あの、ゴウ……?」
「……これは聖者殿、どうなさったのです、このような時間に?」
振り向くと、そこにはいまの彼の忠誠の対象が立っていた。
「いや、ちょっと窓の外を見たら、ゴウが一人でこんなところにいるから、どうしたのかなって思って……」
パジャマの上にコートを着込んだ悟郎が、心配そうに自分を見ているのに、ゴウは微笑んだ。
「それは申し訳ありませんでした。いえ、特になにをしていたというわけではないのです。月を眺めながら、これを……」
微笑を浮かべたまま、ゴウは大きめの杯をかかげてみせる。
「ああ、お酒か。ゴウはお酒好きなの?」
ホッとしたように笑いながら、悟郎はゴウに断ってから、隣りに座った。
「いえ、特に好きというわけではないのですが、せっかくの月夜ですので」
そう言いつつも、ゴウの脇に置いてある一升瓶は、すでに半分に減っている。
「そうだね、こんなに綺麗なお月さまだものね。他のみんなは寝てるの?」
「ええ、ここに来てから毎日、大騒ぎですので、皆疲れているのでしょう。……どうですか、聖者殿も?」
毎日繰り返される、守護天使対四聖獣の大決戦を仲裁している悟郎は苦笑するが、
差し出された杯には手を振った。
「い、いいよ、ぼくは。お酒、ほとんど飲んだことがないから」
「さようですか、それではおれは失礼させてもらってよろしいでしょうか?」
「うん、もちろん。あ、でもゴウは一人で静かにしてたいかな? だったらぼくは帰るけど……」
「いやいや構いません。おれも本来、一人より大勢で飲む方が好きですから。……じつはこの酒は、ユキと飲むつもりだったのですよ。おれの花嫁と……」
四聖獣がしようとしたことは略奪婚以外の何物でもないが、
花嫁たちを粗雑に扱うつもりはまったくなかった。どころか、その逆である。
四聖獣にとって彼女たちは「運命の女性」であり、
手に入れようとする方法に問題はあったが、想いそのものに嘘はなかったのだ。
そしてそれは、悟郎にも伝わった。
「……ゴウ、ぼくにももらえるかな、それ」
寂しげに笑うゴウの表情に、ユキへの真摯な想いを見た悟郎は、手を差し出した。
「……いや、聖者殿、ご無理をなさらなくても…」
「ぼくじゃユキさんの代わりにはならないだろうけど、でも、その、一人で飲むよりはいいんじゃないかなって……」
不器用ではあるが、自分を気づかってくれる悟郎のやさしさに、
ゴウの男らしい微笑は、さらに深くなった。
「……それでは、お付き合いいただきましょうか」
 

「……へえ、飲みやすいお酒だね、これ」
目をつぶって一口飲んだ悟郎は、そのやわらかい味に、今度はやや大きめに目を開いた。
「ええまあ」
曖昧に笑うゴウは、わざわざ女性にも飲みやすい酒を選んでいたということを、恥ずかしげに告げた。
「そうなんだ。でもそれじゃますます、ぼくが飲むのもなんだね……」
「いやじつは、一度ユキを誘ったのですが『私はまだ未成年ですから』と断られまして」
「なんだ、そうだったんだ」
ゴウの照れくさそうな告白に、悟郎は笑いを誘われ、それを見たゴウも、笑いながら抗議する。
「ひどいですな、聖者殿、お笑いになるとは」
「ごめんごめん。でもぼくも、女の子には縁がなかったから、笑えた立場じゃないね」
「それも我々のせいですな、申し訳ございません」
「それはどうかなあ。きみたちの呪いがなくても、ぼくはもてなかったような気もするし。でも、せっかくだから、おあいこってことで、いい?」
「ええ、そうしましょう」
笑いあいながら、聖者と青龍は杯に口をつける。


「……それにしても、まだたまに信じられない時があるよ」
二杯目に手をつけながら、悟郎がしみじみと言う。
「なにがですか?」
「なにもかもだよ。あの子たちが現れてくれたこと、きみたちがやってきてくれたこと、そしてぼくが人間じゃないってこと……」
「……やはり、不安になられますか? ご自分が人間ではないということは」
「ううん、そのことは特に。というより、まだ聖者だなんて、全然自覚がないから、不安になりようがないんだ。不安はどっちかっていうと……」
「……どちらかと言うと?」
「……いや、これはぼくの問題だから、きみたちに言うべきことじゃないな」
軽く首を振ると、悟郎は一息に飲み干す。
守護天使たちがやってきてから、悟郎が暗い表情をすることはほとんどなくなった。
さらに四聖獣の呪いも解け、運も開けてきたが、
聖者ではあっても、まだその能力に目覚めていない彼は、いまだ未熟な青年である。
である以上、悩みがなくなることはない。
「……聖者殿、我らは聖者殿をお守りするためにここにいるのです。それは御身だけではなく、心にも及ぶつもりです。我らの力はまだまだ不足でしょうが、悩みを聞く程度のことはできるつもりですぞ。話すだけでもずいぶん違うものです、よければおれに話してください。もし他の者に知られたくないことであれば、おれは絶対に他言しませんから」
ゴウの忠誠心は、言葉に変じて、少し固まっていた悟郎の心を揺さぶり、開かせる。
「……わかったよ、ありがとう、ゴウ。でもみんなにはないしょだよ」
「聖者殿がそうおっしゃられるなら、もちろん」
真剣なゴウへ、小さく笑いかけてから、悟郎は三杯目を一口飲む。


「……ぼくの不安はね、みんな、いつかはいなくなっちゃうんだろうなあって、そのこと…」
「え? ……それは、我らが、ということでしょうか?」
「ううん、きみたち四聖獣だけじゃなくて、いまぼくの側にいてくれる全員だよ」
あまりに意外なことを、しかし心からの想いとして語られて、ゴウは唖然とした。
「……聖者殿、そのようなこと、あるわけがございません。皆、聖者殿のお側に仕えることこそが幸福と知っている者ばかりですぞ」
「うん、それもわかってるつもりだよ。でもね、きみたち四聖獣が現れてから、それだけがあの子たちの幸福じゃないってことも、わかっちゃったから……」
「……どういうことでしょう? 我らはなにか、聖者殿に不都合なことをしてるでしょうか?」
困惑しながら尋ねるゴウに、悟郎は寂しげな微笑みのまま、頭を振る。
「そうじゃないよ、ゴウ。むしろ、いいことをしてくれたんだ、きみたちは」
「……?」
まだ困惑したままのゴウに、悟郎はまた笑ってみせた。今度は寂しさの中に、明るさも込めて。
「ゴウ、シンとアユミ、どう思う?」
「どう……と申されますと?」
「ぼくはね、とっても似合ってると思うんだ。お互い好き合ってるのは、いつもミカから鈍い鈍いって言われるぼくにもわかるくらいだし」
「…………」
「ツバサもあんなだけど、レイのことを嫌ってはいないと思うし、当然ユキさんもゴウのことを嫌ってはいない。タマミはまだちょっとわかんないけど……」
最後は笑いながら、でも寂しさを添えて。
「つまり、守護天使にとって、主人であるぼくは絶対じゃないってことが、きみたちが現れて、よくわかったんだ」
「聖者殿、それは……」
「いいんだよ、ゴウ。さっきも言ったけど、これはむしろ、いいことなんだ。せっかく生まれ変わったのに、ぼくに――ちょっとやな言い方をすれば、前世にしばられて生きる必要がないっていうのは、いいことなんだよ」
「聖者殿……」
ちびちびと飲りながら語る悟郎に対し、ゴウは手に持った杯を動かすこともできない。


「それとね、ぼくが彼女たちの絶対じゃないってことがわかったらね、もうひとつ気がついたこともあったんだ」
「と、申されますと?」
悟郎は三杯目を空け、飲ませすぎに気をつけながら、ゴウは四杯目を軽く注ぐ。
「ありがとう……うん、モモのこと。モモにボーイフレンドがいるのは知ってる?」
「ええ、たしか人間の子供で……」
「ダイスケくんっていうんだ、その子。ボーイフレンドっていっても、すごく淡いもので、でもだから、見ていて微笑ましくて……」
四杯目を一口飲む悟郎を見て、ゴウも思い出したように杯を口につける。
「もしも守護天使であるみんなが、きみたち四聖獣だけに惹かれるんだったら、ぼくも全員がいなくなるとは考えなかったかもしれない。でもモモは、人間の男の子に惹かれてる。いくら幼い想いでも、ううん、それだけにその想いは純粋だと思うんだ」
「…………」
「守護天使は、ぼくやきみたちだけじゃなく、人間も好きになれる。だとすれば、いつかみんな、ぼく以外の人を、ぼく以上に大事に想うようにもなるかもしれない」
「聖者殿……」
「……わかってるんだ、それが彼女たちの新しい幸せだったら、ぼくは祝福してあげなくちゃいけないって。でも、それができる自信は、いまのぼくにはない……」
そこまで言うと、悟郎は空けた杯を置き、少しうつむいた。


冬の冷気が二人を凍らせたかのようだった。冷風が彼らの間を過ぎ、
遠く深夜の微音が鼓膜を震わせる以外、なにも動く物はない。
聖者の想いは深い。だが悟郎の心は、まだそれを受け入れられるだけの大きさがない。
若い悟郎にとって、それは当然で、そのために自分たちがいるはずなのに、この無力さはどうだ。
「なにが獣の神だ、なにが四聖獣の長だ……」
いくら自分たちの魂そのものとはいえ、獣神具という「力」にこだわり、
それ以外の大事な物を、自身の内に育む努力を怠っていた自分の未熟さと愚かさを、
ゴウはいま、嫌というほど思い知らされていた。
「聖者殿……」
さらに長い時間が流れた後、ゴウは悟郎の名を読んだ。
なにを言えばよいかわからなかったが、そうせずにはいられなかった。
と、ふいに彼らを照らす銀色の光が濃くなった。錯覚ではなく、たしかに。
同時に冷たいはずの空気があたたかく、いや、やわらかく彼らを包みこむ。
「これは……?」
「古い友人たちと酒精(アルコール)を酌み交わすと、私も饒舌になるらしい」
それまでうつむいていた悟郎が、顔を上げた。
「聖者殿……?」
悟郎の顔、悟郎の声。しかし普段の悟郎をはるかに凌駕する、
深い穏やかさをたたえた声と表情は、決して悟郎のものではない。
そのことを瞬間的に察したゴウは、ほとんど本能のまま、階段の下の段に降り、膝をついた。
「……お久しゅうございます、聖者殿……!」
ゴウの声が、感銘に震える。
「私とわかってくれたか、ゴウ」
「はい、忘れるはずもございません。いま一度、言上させていただきます。お久しゅうございます、聖者殿」
彼の前にいるのは、睦悟郎の前世であり、彼の敬愛する「聖者」その人だったのだ。
それは、人の歴史すら届かない、悠久の時を越えた再会に他ならなかった。


「たしかに久しぶりだ。いや、久闊を叙する前に、私はおぬしたちに謝らねばならぬ。獣神具のこと、その後のおぬしたちの苦難、本当にすまなかった。この程度のことで許されるとは思わぬが、この通りだ……」
恐縮するゴウを、あらためて自分の隣りに座らせた悟郎=聖者は、
穏やかな表情を苦悩に変えて、頭を下げた。
「お、畏れ多いことです、おやめください、聖者殿」
これにはゴウが慌ててしまった。
「では、許してもらえるだろうか?」
「お許しをいただくのは、私たちの方でございます。聖者殿の真意も知らず、逆怨みの数々、いかなる罰を受けようと、今度こそお怨みは申し上げません」
「逆怨みなどではないよ、おぬしたちの想いは。正当なものだ。しかしそうだな、それならばお互いさまということで、手を打つか?」
「はい、異存はございません。……これは先程と同じでございますね」
「なるほど、たしかにそうだな」
聖者の提案が、悟郎のそれと同じであったことに二人は気づき、声をそろえて笑った。


「それにしても聖者殿、このような目覚め方をされるとは、思いもよりませんでした」
ゴウは、あらためて聖者に五杯目――彼にとっては一杯目――を、うやうやしく注いだ。
「いや、私はまだ目覚めてはいない。これは一時的なものだ。またすぐ眠りにつく」
「さようでございますか……」
聖者のその言葉に、ゴウの表情も沈む。
それを見て、さらに言いにくそうに聖者は続けた。
「そして本格的に目覚める時には、私はすでに私ではなくなっているはずだ。いまの睦悟郎に私の人格が影響されているように、目覚めた私の人格は、彼の人格も加味されているであろうからな」
「……さようですか…」
複雑な表情で繰り返すゴウに、聖者は笑ってみせた。
「そのような顔をするな、ゴウ。それはよいことなのだから……これも悟郎の言い草にそっくりだな」
「え?」
微笑みながら、聖者は、彼の身分からすれば粗末な杯を傾ける。
「睦悟郎は素晴らしい青年だ。彼とともに、彼として生きてきた私には、そのことがよくわかる。彼は私などより、はるかに大きな器と清らかな心を持っているよ」
「まさかそのような……」
「疑うか、私を?」
「いえ……」
いたずらっぽく笑う聖者に、ゴウは赤面した。
そうなのだ、そもそも自分が悟郎を信じるのは聖者の転生した人物であること、
それが根拠であり、その聖者の口から語られることを信じないのは本末転倒というものである。
「信じまする、聖者殿のおっしゃることであれば」
「……と言われるのも、私にとってはうれしくはないことだな」
「え?」
意外なことを聞かされ面食らうゴウに、聖者は表情をあらためた。


「ゴウ、私はおぬしたちに、悟郎本人の力になってやって欲しいのだ。私の生まれ変わりとしての悟郎ではなくな」
「……それはなにか違うのでしょうか?」
「まったく違う。悟郎は私よりはるかに聖者の名に値する男だ。そのことを、彼はおぬしたちの前で証明してみせたではないか」
「……?」
首をかしげるゴウに、聖者は語り続ける。月の光と酒の香とともに。
「私はあの時、おぬしたちの行動を止めるために、獣神具を奪い、おぬしたちに怨みを抱かせたまま、後事をメガミたちに託すことしかできなかった……」
「それは、我らの責任であり、聖者殿のせいでは……」
強い口調で聖者を弁護しようとするゴウを、聖者本人は無言で制する。
「ひるがえって、悟郎はどうであった? 彼はあくまでも争いを拒み、ついにはおぬしたちの心を開かせたではないか。それも聖者としての自覚がある私と違い、人間として生きてきた身で。すでに生を終えようとしていた私にすらできなかったことを、彼は若輩にして、為してしまったのだ。私との差は歴然であろう」
「…………」
「守護天使であるあの子たちも、悟郎が聖者だから彼に好意を持っているわけではない。彼であればこそ、喜んで側にいるのだ。そのことをもっと自覚できれば、悟郎も先程のような悩みを持たずに済もうにな」
「先程の……守護天使が彼の側から離れていく、という話でございますか?」
「そう、それだ。彼女たちは、前世に縛られて彼の元に転生してきたわけではない。彼女たち自身の望み、ほとんど渇望いってよいほどの強い想いによって、帰ってきたのだ。そして、死別ではなく、生あっての別れであれば、それは必ず善き別れになるのだが……まあ、いまの悟郎にそこまで理解しろというのは酷だな」
「善き別れ……にございますか?」
「そう、善き別れは、善き再会をもたらす。今宵の我らのようにな」
「あ……」
満つる月が放つ銀光の中、笑いながら杯を掲げる聖者に、ゴウも笑顔で杯を返す。


「悟郎はこれから、まだまだ経験を積まねばならぬ。それは決して快いものばかりではないであろう。そして人の心しか持たぬのに、人ではない彼に、運命とやらは、人では耐えきれぬものを与えるやもしれぬ……」
歴史を越えた生を持つ二人の会話は続き、だが永遠ではありえない。
そのことを知る聖者は、「善き再会」を惜しむように、ゴウに深いまなざしを向けた。
「その時のために、守護天使たちと、おぬしたちの力が必要なのだ。悟郎を助けてやってはくれぬか、ゴウ?」
「……我らは、すでに聖者殿にお仕えする身でございます。しかしあらためて誓えとおっしゃるのであれば、喜んでそうさせていただきます」
ゴウも表情を深いものにすると、その場にひざまずき、誓約した。
「……我ら四聖獣、この身に変えても新しき聖者殿、睦悟郎殿をお守りいたします」
「ありがとう、ゴウ……」
数千年、あるいは数万年をけみした者にしかできない笑みを浮かべると、聖者はゴウに頭を下げる。
そして「固い話は終わった」と言わんばかりに、ゴウを元の位置に座らせると、笑顔の種類を変えた。
「それにしても、おぬしらといい、あの子たちといい、その台詞が好きだな」
「覚悟の現われでございますれば」
どことなく得意げなゴウの口調に、聖者は微苦笑をもらす。
「じつはな、私はその台詞、あまり好きではないのだ。皆の気持ちはありがたいのだが」
聖者の意を汲んだゴウは破顔する。
「聖者殿のご気性ならば、『自分を犠牲にしても生き残れ』と、おっしゃるでしょうからな」
「わかっているのなら、そうしてくれ」
「我らの気性からいって、それは無理です」
笑顔のゴウ、微苦笑の聖者という図は変わらない。
「やれやれ、主人と呼ばれる者に頼まれれば、普通、否やはないはずであるのにな。いっそのこと、命令してみようか。『私より自分たちを大事にせよ』と」
「それができる聖者殿では、ございませぬな」
「まったくだ」
聖者は「微苦笑」を「苦笑」に昇格させた。
悟郎同様、聖者も他者に「命令」など、したくはないのである。
「それにそのようなご命令をなさっても、我らは聞きませぬよ。守護天使たちも同じでしょう」
「いったいどちらが主で、どちらが従であるのか……」
「さて、私もたまに忘れてしまいます」
ゴウのすまし顔に、聖者の笑いも、ほがらかなものに変わる。
四聖獣も守護天使も、彼にとって大事な友人であり、決して臣下や従者ではないのだ。
それはこれからも変わらない。これまで彼らが生きてきた時間と、同じ長さの時が流れても。


「……さて、そろそろ終わりのようだ」
聖者が最後の一杯を空ける。
その言葉が、聖者に残された時間のことであると、ゴウは悟った。
「聖者殿……」
「今宵は楽しかった… おぬしに謝罪することもできたし、前世の存在である私に、もう心残りはないよ。シンたちにも、おぬしから私が謝っていたと告げてくれ」
「は、必ず……」
必死に表情を固くし、激情がまぶたからあふれるのを押さえようとしているゴウの肩に、
聖者はやさしく手を乗せる。
「そのような顔をする必要はない、ゴウ。また必ず会えるのだから。その時に、また三人で飲むことにしよう」
「はい……」
「それまで、しばしお別れだ… また逢おう、青龍のゴウ……」
「聖者殿……」
ゴウの肩に乗せられた手が、急速に弛緩する。
顔を伏せていたゴウはハッとすると、慌てて倒れかかってくる聖者を抱きとめた。
「聖者殿……」
そう呼んでみるが、返事はない。すでに眠りについているようだ。
そして、自分の腕の中で規則正しい寝息を立てている「聖者」が、
すでにいつもの悟郎に戻っていることをゴウは悟った。
「またお逢いしましょう、聖者殿。必ず」
そしてそれまで、聖者、いや、睦悟郎は自分たちが守ってみせる。
あらためてそう誓いながら、ふと、聖者の言葉を思い出し、いぶかしげな表情を作った。
「それにしても、三人とは……?」
と、ゴウは銀色の光が、やわらかな空気とともに、
まだ自分たちを包んでくれていることに気がついた。
「……そうか、最初はお前と二人で飲んでいたのにな。忘れていてすまなかった」
腕に悟郎を抱いたまま、ゴウは夜空をあおぎ、微笑を見せる。
そこには、彼らと同じく、人の歴史と動物の記憶を越える時を生きてきた銀輪の星が、
彼に微笑みを返していた……


「いーけないんだ、いけないんだ、メーガミさまに、いーっちゃお!」
「も、元はといえば、てめえたちが……」
「ルルたん、知らないぉ」
「ぬ……ぬがああああ!!!!」
次の日の夜、相変わらず守護天使たちと四聖獣の死闘は繰り返されていた。
それをいまゴウは、悟郎の部屋から少し離れたベランダで、
背後にヘビのユキをともないながら、獣の聴覚をもって聞いていた。
「ごめんね、ゴウ。ぼく、途中で寝ちゃって…… 部屋まで運んでくれたんだよね、ありがとう」
この日の朝、ゴウは昨夜のことを悟郎がまったく憶えていないと聞かされていた。
「本当に憶えてらっしゃらないのですか?」
「う、うん、その、二杯目くらいから全然……」
ということは、悟郎は自分がゴウに悩みを相談したことも憶えていないことになる。
しかしゴウには元々他言するつもりはなかったし、それより気にかかることもあった。
「……なにか、お体に変化はございませぬか?」
「え、えーっと、ナナには『ご主人さま、お酒くさーい!』って怒られたけど、特に二日酔いとかにはなってないみたい。他の子たちにはお酒の匂いも嗅ぎ取れないくらいだから、大丈夫だよ」
「いや、そうではなくて……」
少しせわしない口調のゴウだったが、きょとんとする悟郎を見て、ふっと表情をやわらげた。
「さようですか、なによりです。あの酒は昨夜も申した通り、女人にも飲みやすく、アルコール分も低いものでしたからな」
「……そんなお酒で酔っ払って眠り込んじゃうなんて、ぼくはやっぱりお酒は飲まない方がいいみたいだね」
「……いや、そのうち飲めるようになるでしょう。その時は、またお付き合いいただけるでしょうか?」
「うん、ぼくでよければ」
にっこり笑う悟郎に、ゴウは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、聖者殿……」

自分は昨夜、誓約をした。睦悟郎のために力を貸すと。
そして思い知らされてもいた。いまの自分たちには、その力がないということを。
力を付けなければならない。単なる暴力ではなく、それ以上の力を。
そのために、いまはここを離れなければならない。
青龍のゴウは、昨夜の誓約を知る、もう一人の悠久の友を、
赤と青の瞳で見上げながら、背後のユキに告げた。

「朝には、ここを出ようと思っている……」


                                         おわり



=天原の感想=

しっとりとした良いお話ですね。
なんて言うか、男同士の語らいって感じで格好良いです。
守護天使達の気持ち……。難しいですね……。
他人には分からないですからね。誰かの心の中なんて。
守護天使達も、悟郎さんも、まだまだ成長している途中なんですね。
未来の事なんて分からないですけど、彼女たちがどんな道を進むにしても……
みんな幸せになって欲しいと思います。

文叔さん、投稿どうもありがとうございました〜。