日野富子とは、足利八代将軍、義政の正室の事です。
NHK大河ドラマ「花の乱」をご記憶の方は主演の三田佳子を思い浮かべるでしょう。しかし、その視聴率は、歴代大河の中で最低なのだそうです。分かりにくい時代、それに悪女とされている日野富子に人気が無かったからでしょうね。
でも、映像も美しく、私には印象に残る作品でした。
義政と言う人は、父が暗殺されたり、兄が病死したりして思いがけずに将軍になってしまった人です。「兄だけが可愛がられた」、と言うトラウマがあったとされますが、兄弟間の確執と言うのは歴史上でもゴロゴロしてますからね。
将軍になっても彼は存在する事だけに意味があり、政治などさせて貰えなかったし、又、興味も無かったと言うのは事実だと思います。となれば、趣味の「酒、女、歌、別荘造り」などに精を出す事になります。
そんな男の元に16歳で嫁いで来たのが富子でした。日野家は代々の将軍に正室を送り出して勢力を保持して来た公家でした。だから彼女も道具です。しかし、何の苦労も無く育った姫さまは花の御所での幸せな暮らしを夢見ていたかも知れません。
しかしながら、最初から波乱含みでした。夫には既に若い側室たちが居て(これは当然の事ですが)、特に、今参局(いままいりのつぼね、通称、お今)と言う女盛りの女性がくっ付いていました。彼女は「将軍お世話係り、兼、母親代わり、兼、側室」と言う強力な立場にありました。富子は否が応でも女の戦いに投げ込まれたのです。
後継ぎを作るのが義政の唯一の仕事ですが、側室に生まれるのは女子ばかりでした。熾烈な競争の中、富子に待望の男子が誕生しました。 しかし、この子は虚弱で生後間もなく死亡してしまいました。「お今が呪いをかけた」、と言う証拠が上がり、彼女は島流しにされます。(真実はお今の権勢を苦々しく思っていた連中と富子方の謀略です)。
お今は無実を叫び、長年連れ添った?義政を恨みつつ自害して果てました。
義政のショックやダメージがどれほどだったかと言うと、案外と軽かった、と言う印象なんですね・・。又、この頃には、世情不安に加えて打ち続く災害で死者が溢れ、川と言わず市中と言わず死臭を放って居たのですが、それを聞かされても義政は、「致し方あるまい」、と言うだけでした。
富子は「この人は駄目だ」、と言う判定を下したのではないかと思います。
ともかく、富子は女の戦いには勝ちました。しかし、その後も男子は生まれず、義政は「自分には男子が授からないのだ」、と思い込み(まだ30歳なのに)、あろう事か、寺に入っている自分の弟(義視)に次期将軍の座を与えようとしました。ま、早く将軍などと言うものから開放されて、もっと自由に遊びたかったのですね。中々承諾しない弟に対して「以後、自分に男子が授かっても将軍はお前だ」、と固い約束をします。 これは富子には無断でした。
以後も義政の思慮の無さ、安請け合いは富子を悩ましただけでは無く、争乱を引き起こしたりします。
間もなく、皮肉にも富子は身ごもり、男子を産みました。こうなると引き下がる母などはおりません。波乱の幕開けでした。義政はシラーッとしています。
加えて、この頃、実力者や大名家では、それぞれに問題を抱えていました。
家督争い、領地争い、政略結婚、などなど限りなし。昨日の敵は今日の友、敵の敵は味方、と目まぐるしい、それに将軍問題もからみ、まるで天下分け目のような様相になってしまいました。東西の総大将は「細川勝元」と「山名宗全」です。
京都市中をを焼け野原にしてしまった「応仁の乱」が始まったのです。1467年から10年以上も続きました。
京の周辺だけに限らず地方からの応援隊も駆けつけ、更に荒れる都。屋敷や家々は焼かれ、餓死、疫病死など、又もや地獄絵図が繰り広げられました。
しかし、安全上の問題から閉じ込められた形の御所では、相変わらず夜毎の宴会が催されていたのです。正に無政府状態。
そのうち、何が気に入らないのか、義政はポッと家出して別居してしまいました。(思った事はやる、事態はなるようになる、スタイル)。戦乱はダラダラと数年間も続いていました。しかしながら、両軍の大将が相次いで病死した事もあり、少し落ち着いて来た頃、義政がぷらっと御所へ訪ねて来ました、(自分の家なんだけどね)。早く将軍を辞めたい、と言う事らしいのです。
幸い、実力者の世代交代なども続いてましたので、このドサクサに紛れて?晴れて息子の義尚(よしひさ)を九代将軍にする事が出来たのでした。富子、二つ目の勝利でした。 そして将軍後見役として実権を握り、政治を行うようになります。夫がやらなかった事でした。
将軍になるハズだった義視はどうなったか?、頼みにしていた者にも死なれて「兄を信じた自分がバカだった」、と傷心を抱いて落ち延びて行きました。
富子は息子の為、つまりは財政再建の為に立ち上がります。関所を作り、高利貸しをやり、買占めをやり、なりふりかまわず金を貯めました。自分の商才に初めて気がついたのかも知れません。
これが悪女と言われた理由の一つであります。天下を眺めれば、どこもかしこも荒れ放題、一揆も頻発しました。戦いに疲れた武士たちは、やっとこさ故郷が心配になり、ボチボチと帰り支度を始めます。応仁の乱は、10年を越えて収束に向かっていました。
身軽になった義政は相変わらず趣味に生きていました。祖父の義満が建てた金閣寺に匹敵する銀閣寺を目指していたのです。富子にすれば、
「最早、義尚には私しかいない、守ってやらねば」、との思いは強くなる一方だったでしょう。適齢期になった義尚の正室には、日野家の血を絶やさぬ為に兄の娘を選びます。義尚は母に頭が上がらなかった事でしょう。
しかしながら、息子は父親に似ていました、趣味までが。あろう事か、父と女を争うような事もやったのです。 そして、父がやったように妻を置いてお気に入りの場所へ移ってしまうのです。もう一家はバラバラでした。 でも富子は泣いてばかりは居られません。
義尚に後継ぎが生まれる可能性は少ないし、、深酒で体は蝕まれていました。
富子は後継者問題で悩む事になります。