機械?商品?
初めに私は日産ファンです。従って、こう言う事を書くのは辛いのですが、 それだけに日産の悪かった事を知っておいた方が良いと思い書く事にしました。 「日産はどうして凋落したのか?」を色々な視点から考えてみましょう。 営業等の人々は口出し出来ない日産は昭和40年代以降トヨタに連戦連敗を喫しながら、どうして 機械優先主義から脱する事が出来なかったのかを考えてみます。 どの文献を見ても書いてある事は一つでした。 その理由は、早い話が日産内で技術(機械)屋が偉かったからです。 文献によると、営業が「あなたの作ったクルマのここは良くない」とか
「モデルチェンジする時はこうして欲しい」等と言おうものなら、天地が
ひっくり返る程の大騒ぎになったそうです。 一方のトヨタは?一方のトヨタはと言うとトヨタ自販の神谷正太郎氏の考えである 「お客様は神様」と言う考えが色濃く残っています。 彼の考え方について、もう少し詳しく説明しましよう。 技師を呼びつけ、「このクルマのここを改良しなかったら、うちは売ら
ないぞ」という事を平気で言うそうです。 もし日産だったら、即刻クビになっていた事でしょう。 ただし、神谷氏の場合は特殊であった事も付け加えておきます(詳しくは下参照)。 神谷正太郎氏は元々アメリカの大学を卒業した後、日本GMに入 社したと言う経歴を持ちます。当時GMは大阪に、フォードは神奈川 に工場を持ち、それぞれがノックダウン生産をしていました。しかし 第二次世界大戦開始と共に、自動車が入って来なくなったのをきっか けに、GMの優秀な人材を引き連れてトヨタに入社した人です。 それだけに神谷の言葉には説得力があった訳です(資料によると逆ら えなかったと言うのが正解らしいですが)。 考え方の違い実際に日産のエンジンは信頼性が高く、タクシー業界の人々は日産
のエンジンは壊れないと言うのが定説でした。 自動車と言う商品は、コストとの兼ね合いが重要です。トヨタは耐久
性を軽んじていた訳ではないですが、耐久性やサービス性(修理のし
易さ・ユーザーのランニングコスト等)をトータルで考えると「耐久性に難
があっても部品が安いから結局得である」と言う流れを作ったのです。 こうして、必然的に「販売のトヨタ」と「技術の日産」と言うイメージが 出来あがって行った訳です。 信念・思想トヨタは、昭和40年代から(アメリカ的な)販売優先主義を目指していた様です。 では日産はと言うと、こちらはQC(クオリティ・コントロール)の権威で ある「デミング(学者)」に傾倒していた様です。 つまり片方は、QCに夢中になり、もう一方は量の拡大こそがクオリ ティを高めるという信念でクルマを作っていたと言う事になりますね。 それは皮肉にも「機械としての自動車」という考えでは日産の方 が遥かに上でありながら、「商品としての自動車」と言う考えでは トヨタの方が上である、という結果を残したと言うのは、両社の業 績の差を見れば一目瞭然ですね。 あとがきここで、両社の信念の違いが分かるエピソードを一つ紹介しましょう。 日産がゾーンボディについて説明をした所、三本さんが「どれくらい安 全かアピールする為に、クルマの衝突実験をCMで流してみたらどう です?」と言ったのです。その開発者は、乗り気だったのですが、後日 談として、彼の上司が「何故我々が必死になって作ったクルマの壊れ た映像を流さなきゃならんのだ!」と大激怒したと言う事が分かりました。 三本さんはトヨタにも同じ事を言ったのですが、即採用となりました。 結局、衝突安全ボディとしては、日産のゾーンボディ・コンセプト の方が先であっても、トヨタのGOAの方が知名度が有ると言う結果をもたらしたのです。 これを書き終わって、つくづく自動車作りって難しいなと思いました。 他に「日産は皇族との関係があった/本社が東京にあったので官僚に
逆らえなかった」逆に「トヨタは本社が東京から離れていた為自由にや
れた」と言う意見もありました。しかし、それだけで「これほどの差が開
くのか?」と考えると、開かないだろうと思います。 以上、ここまで長々と付き合って頂いて有難う御座いました。 資料
・CARトップ
・日本自動車50年の歴史 ・スカイラインミュージアムで入手したパンフレット ・間違いだらけのクルマ選び(徳大寺有恒著) ・他数冊(図書館で見たので、題名は分かりません) |