「私のワーカホリック体験」
私はメーカーでインダストリアルデザインをしていました。
その仕事がとても好きでした。
だから毎日仕事をバリバリとこなしていました。

会社が終わる22:30ギリギリまで仕事をして、
仕事を家に持って帰って、そのまま朝まで徹夜で
仕事をして、そのまま会社へ出勤し、またバリバ
リとを仕事して、また22:30まで残業をするなん
てこともよくやっていました。

私の勤めていた会社は土日が休みでした。
金曜日はコスト削減の為『ノー残業デー』となり
ました。
つまり金曜日だけは定時の17:25を過ぎれば、帰
宅しなければならなくなったわけです。

でも帰宅しても当時の私には行くところがありま
せんでした。

当時、私は車で通勤していました。
その駐車場までのたった200メートルくらいの距離
をトボトボと独りで歩く時「いい知れない虚しさ」
を感じることがよくありました。

そのうちに平日でもなるべく残業をカットするよ
うな方向へ会社の意向は変化してゆきました。

以前は会社から帰れる定時が待ち遠しい私でした。
仕事から解放されるわけですから嬉しいに決まっ
てます。

ところが定時に会社から帰宅する駐車場への路が虚しくてたまらない気分になるようになってきました。

仕事はかなりハードだったので、正直キツかったし、ヘトヘトでした。
なのに金曜の晩、仕事が終わって、車に乗るのですが、なんだかそのまま一人のマンションに戻るのが物足りないんです。
それで夜遅くまで開いているドラッグストアーや書店、ディスカウントショップなど、用もないのにはしごをしました。
そしてその後で食料を買い込んで、一人暮らしのマンション着くと、そのままドサッと布団の上に倒れ込むように横になりました。

風呂にも入らず、食事もせずそのまま眠ってしまいます。
土日は何処へも出かけず、ただ買い込んだ食べ物を食べては眠り食べては眠りするだけでした。

日曜の深夜は翌日の出勤が嫌で嫌でたまらなくて、ついつい夜更かしをしてました。
朝方に少しうたた寝するか、眠らないままで月曜日の朝は重たい気持ちと身体をひきずるように出社してました。

当時の私の自慢はエゲツないほどハードな仕事を次々とこなしてゆくことでした。
睡眠時間を削って、実に困難な業務をこなすこと、そして質の高いアウトプットを出すこと。
私のデザインはいつも好評でした。
自分の身体をかえりみず、そんな具合にハードな仕事をこなす自分がほんとに自慢でした。

当時の私にとって、職場に居て一番辛かったのは、仕事の谷間でした。

普通なら「楽できて、ラッキー」なのでしょうが、私の場合は仕事の隙間が何よりの苦痛でした

仕事がない時は居室に居てもいたたまれないのです。

何か仕事をしていなければ落ち着かないのです。

だから多い時は3本くらいの仕事をパラレルでこなしていました。
インダストリアルデザイナーは全員に仕事が入るわけではありません。
ですからプロ野球の選手のようにレギュラーポジション争いは熾烈なものがありました。

仕事の谷間が怖い私は、次から次へと仕事を請け負いました。
ただでさえキツイ仕事をいつもパラレルで抱え、なおかつ職場においてのシステムは非常に効率が悪く
私のストレスはかなりのものでした。
そういったストレスを仕事にぶつけるようにしていました。

そんな状態を12年程続けているうちに、鬱病をこじらせ、自律神経を失調しました。

有給休暇はどんどんなくなってゆき、『欠勤』が増え、ついには『無断欠勤』さえするようになって行きました。

そして身体を壊して、救急車を呼ばなければならない事態となりました。

病院で精密検査や心理テストをきちんと受けました。
結果、専門のカウンセラーともよく相談した上で「現実にすでに業務に支障をきたし初めている。このまま業務
を続けると、職場の信頼をどんどん落とす事になるだけである。しばらく休職の手続きと取った方が賢明である」
と判断し、私は気が変わらないうちに、すぐにその病院から職場の上司にその旨連絡しました。

更に、精密検査や心理テストの結果をふまえ、私は重度の『鬱病』であること、また『PTSD』患者であるこ
とが解り、長期の休職に踏み切ることにしました。

会社に出向き、デザイン部の部長と総務課の人間と面接し手続きを取りました。

34歳の後半に今の妻と結婚し、35歳でそういった事態となったのです。

休職の手続きをした後ホッとしたのか、ひどい症状が沢山出ました。

しかし信頼のおける実に優秀な精神科の主治医のもと向精神薬などを処方して頂き、自宅のマンションで静養し、
なんとか薬を服用することで、そんな症状を抱えながらも、ほんとうに少しずつ行動できるようになって行きました。
そして徐々にカウンセリングなどを始めました。

幸いカウンセリングは『認知行動療法』がご専門の優れたカウンセラーをご紹介頂き、その方によるカウンセリン
グを毎週かかさず受けました。
短くても30分〜60分。長い時は2時間も時間をさいて下さいました。

そんな暮らしを始めて自分で驚いたのは『家に居てもゆっくりと休めない』ということでした。
『いたたまれない』のです。

『何もすることがない状態』がたまらなく苦痛なんです。

つまり会社に居ても家に居ても、空白の時間が私にはひどく苦痛だったのです。

この事実にはまいりました。愕然としました。

私は実家と離れて暮らしていました。実家には両親が住んでいました。
あとは結婚した姉が一人居ました。
そんな肉親と長いこと『共依存関係(互いに滅ぼし合うと解っているのに離れられない関係)』だったことにも気
がつきました。
姉からの『夫婦間のDV問題』に関する電話での相談に、当時の私はかなりのエネルギーを消耗していました。

実家に電話を入れて、私の事情を説明して「しばらくそっとしておいてほしい」と頼み、肉親との関係を絶ちました。

両親も姉も私の話しの主旨は全く理解できていなかったようです。
しかし肉親が理解しようがしまいが、そんなことはどうでもよかったのです。
とにかく、なんとか静かな環境に身を置くことができるようになりたかったのです。

私はこんな具合にして、自分の心のケアーの為の、いわゆる『安全な居場所』の確保に成功しました。
やっとこさ、自分が快復して行く為の場所も時間も得ることができたわけです。
私はそんな感じで自分が『嗜癖』していた対象であった『仕事』や『肉親が起こす問題』などからどんどん離れて行き
ました。

ところが問題はその後でした。

『嗜癖』する対象を失うということは、つまり『アルコホリック』の方がお酒をいっさい断つようなものです。
喫煙のご経験がおありの方ならおわかりいただけると思いますが、禁煙はかなりきついです。
それよりも、もっともっと苦しい気分が襲う毎日が始まりました。
それは想像を超える苦しみでした。
まったく地獄でした。つまりシラフの生活の苦しみです。

35歳で働きもせず、将来の見通しはまったく立っていない。
なのに『鬱病』で思考することも行動することさえ全くままならない。
職場への復帰のメドもまったく立っていない!
結婚生活はいったいどうなってしまうのか!

そこに『鬱病』独特のネガティブ思考が追い打ちをかけました
「私はこのままどんどんひどくなって、そのうち会社はクビになり、のたれ死にするのだろう」
「こんな生き恥さらすくらいなら、いっそ死んでしまった方がどれほど楽になれるだろう」
そんな考えばかり浮かんで来ました。

それまでの私は『仕事』や『肉親が起こす問題』に没頭することで、いわばそんな『空白の恐怖』を
まぎらせていたことに気がつかされました。

私はそんな物凄い苦しみの中で、「私は何かをしていないとこの世に安心して居られない人間なんだ」
「私は何かでないと、安心してこの世に居られない人間なんだ」ということを身を持って実感したの
です。

こんな具合にして私は自身が『ワーカホリック』であったことに少しずつ気がついて行けました。
つまり仕事を詰め込むことで、自分の心の隙間を埋めようとしていたのです。

耐えきれない程の『痛切な寂しさ』『虚しさ』を感じないで済むように、自分にそういった感覚を
感じさせる暇を与えない為にガンガンと自分に仕事を詰め込んでいたのです。

そうやって『絶対に感じたくない事柄』から目を背けていたのです。

『アルコホリック』の方が何かから目を背ける為に酒をあおるように、
私は感じたくないものから耳を覆い、
目隠しをするように
『仕事』という『酒』を浴びるようにがぶ飲みしていた毎日だったのです。

これが私の『ワーカホリック』体験です。

『ワーカホリック』の怖いところは、他者から見て『仕事熱心』なことは賞賛されますし、自分でも「実によくやっ
ている」と思いがちなので、自分の行為がまさか心の病気だとは気がつきにくいのです。

しかし、肝心なことをおろそかにして、ましてや自分の身体を壊してまで一心不乱に仕事に没頭することがはたして
自分の人生を幸せにしてくれていたのか?
本末は転倒していなかったのか?
客観的に見て、自分や家族がどんどん不幸になって行くのに、その仕事の量が調節できないようなら『ワーカホリッ
ク』を疑ってもいいかもしれません。

ちなみに『ワーカホリック』は『アディクション(嗜癖)』のひとつです。
『アディクション』に関してはまた機会を見て別のページにて詳細を解説してみたいと考えております。