月の山紀行 3


9  ゴリラに会う

今回、ルウェンゾリに登れなかった替わりに、ゴリラの見学ツアーに行った。

野生のゴリラは2度目。もっとも、最初の時は、コンゴで「喰った」時だが。

マウンテンゴリラは絶滅の危機に瀕している。
今回のグループは研究のために「人づけ」されたもので、
人が近づいても、怖がらず、自然に振舞う。
しかし、必要以上に刺激しないよう、1日のツアー客は10人まで、と決まっており、
見学時間も1時間だけだ。

そこブインディ国立公園は世界遺産にも、指定されていてる。
ゴリラはボスであるオスを中心に、群れを作っている。
そのグループは10頭で形成されていた。
「シルバーバック」とも呼ばれるボスは巨大で、のんびりとしており、
その回りを、子供がはしゃぎ、遊んでいる。
ふざけ過ぎると、母親が叩いて叱る。その姿は人間そっくりで、とても、かわいい。
これは観光資源になるな、と思ったが、本当はそっとしておいた方が、いい。

ちなみに、12年前に喰ったゴリラは、ローランドゴリラで味はチンパンジーに似ていた。



10 言葉、フランス語

2月にフランス語の語学研修のため、上京する。
おふらんす語なんて、まったく私に似合わないが、いたしかたない。

アフリカ、特に私のよく行った、コンゴ、チャドなどの西部の国の公用語は、
仏語がほとんどだ。
以前はフランスの植民地だったからである。
むろん、アフリカにも固有の言語は、たくさんある。
部族ごとに違うと言ってもいい。

しかし、あまりに多すぎて収拾がつかず、
やむを得ず宗主国であった、ヨーロッパの言葉を、
共通語として使用しているのが、実情だ。

東アフリカは英語だが、スワヒリ語も多く用いられる。
スワヒリ語はアフリカ独自の言葉である。
しかし、やはり共通語として、ひとつの部族の言語に頼るわけにはいかず、
バンツー語の文法を基本に、アラビア語の単語を多く使っている。

コンゴでよく話されるリンガラ語という言葉もある。
リンガラミュージックが有名で、やはりバンツー語系だが、フランス語の影響が大きい。

共通語としての性格上、地域性ばかりを、重視することはできないのだ。
当然、ヨーロッパとの関係上、かつての宗主国の言葉を、話さざるを得ない面も、
無視できない。

そのかわりアフリカでは、公用語と、自分達の部族語の、
2つ以上の言葉を使いこなせる人が多いようだ。
と言うよりも、日本人の方が「語学オンチ」すぎるのかもしれない。

ただ、アフリカの人に、「日本人の英語が1番ウマイ」と言われた事がある。
お世辞もあるが、どうやら、むこうの人の発音と日本人のそれとが、わりあい近く、
分りやすいことが、あるようだ。



11 エボラの脅威、その結末

猛威を振るったウガンダのエボラ出血熱もようやく沈静化した。
結局、410人感染。162人死亡。
死者の総数や致死率は、前回ザイールより低いが、感染者の数は上回った。

これは何を意味するのか?

アフリカでは、日本で想像もつかない病気が多い。
私の赴任したチャドでは、メナンジット(脳脊髄膜炎)という病気が流行っており、
私もフランスで予防接種を受けた。
私の帰国後、一緒に働いていた現地スタッフが、それで死んだ。

がっちりした体格の、健康そのものの若者だった。

元気な青年でさえ、そうなのだから、子供の死亡率は目を覆うばかりである。
強い者が、生き残る。と、いうことなのだろうか。

チャドでの1年目。私はかなり病いに、打ちのめされた。
マラリアにA型肝炎併発で、半年で10キロ痩せたほどだった。
日陰でも50度を越す暑さ。
それに加え、プロジェクトの立ち上がりで日本人は私だけの日が何週間も続くという、
精神的疲労で参ったようだ。

2年目は心も体も余裕ができたせいか、快調だったが、検査してみると、
住血吸虫とアメーバ赤痢に感染していた。
気力、体力が充実していたので、発病はしなかったが。

アフリカに来る人達のなかに、こんな言葉があることを現地で知った。
「アフリカで喰えないやつは、アフリカに喰われる」
食欲が衰えるようでは、体がもたない、ということだ。
逆に言えば、栄養と休養をしっかり取っているのなら、
アフリカでも生きていける、ということだ。

だけれども、その2つとも満足に取れない現地の人達はどうすればいいのだろう。



12 日本の対外支援

今回の語学研修はJICA, 国際開発事業団の枠内で行われる。
NGOスタッフとして受ければ無料である。むろんテキスト代等はかかるだろうが。

政府としても、出来る範囲内であるが、NGOの支援を始めている。
それは、ありがたいことである。しかしー。

外務省は紛争国に関与しない、という原則を持っている。
従ってそれらの国には、必要最低限しか人員派遣をしない。
青年海外協力隊や、JICAの技術者を送らないということだ。

治安悪化の中、安全確保のためと、内乱状況において、
現政府と反政府のどちらにも肩入れが出来ないからだ。

内政干渉のおそれもあるが、援助した方が潰れたら、
モトが取れん、というのが正直なところだろう。

だが、本来、最も援助、協力を求めているのは、
そういった紛争国の民衆である。

国内が荒れ、疲労しきれば、食べ物さえもままならない。
いきおい食料のため動物を狩り、燃料のため森林を切る。
貧困は増長していく。

日本政府が動けない部分をNGOが補っていく。
実際の現場に出て行く団体も増えている。
政府も理解と協力に動いている。

しかしー。
NGOの力はあまりに、微力だ。
きめの細かい活動はできても、全体から見れば、あまりに小さい。

だが、あえて、それでも行く。酔狂とでも、いうべきものかもしれない。



13 今の想い

「月の山紀行」久々のアップである。
まったく長いご無沙汰で、お詫びの言葉もない。
あらかじめお断りしなければならないのは、
上記の9より12は、2000年当時の文章である。

その後、様々な事があった。
そんなアフリカへの想いを、
これからも書き連ねていきたい。

お付き合いいただければ、幸いである。

今年、急逝されたシスター永瀬さん、ジャンゴト。
彼らへの想いを、書き連ねていきたい。



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