「大往生の島」の著者 佐野眞一氏の沖家室島逗留日記

                    大往生のあとさき    ー後編−
                                   

その日の夕方、お寺のコピ−を使っているとき、たまたま横を通った新山さんが、
「佐野さんの本はいつ出るんだろう・ね」と声をかけてきた。私は原稿が出来上がっ
たんだから、もうお話しいいだろうと思い、いままでのいきさつをお話しした。  
                      
「エッ、ナニ?… で、どんなことを書いてあった?」  

「え−と、方丈さまを中心に島の歴史と今のお年寄りの暮らしぶりとか、方丈さまの
学生運動の頃のこととか、結構詳しく……」                  
  
戸惑った様子で、                   

「ナニ?、ウ−ン、ア−そうだったのかあ」       

と、言葉少なに、考え込むように歩いていく新山さんとは対照的に、私はこのとき
初めて肩の荷が降りたというか、喉に刺さった鯛の骨がとれたような感じだった。 
     
年が明けて二月、佐野氏から電話が入った。      

「本が出来上がり送ったよ。綺麗な本に仕上がったよ。むかしの組合の仲間にもすす
めてください」         

読んだと最初に一報が入ったのが、中国新聞社の青木解説委員だった。     

「松本くんが最初から登場しているじゃないか。まだ、途中までしか読んでいない
が、いいことを書いているよ」   

そのほかにも、何人かが電話をくれた。        

送られてきた本は、きれいな写真も入った豪華装丁だ。それを持って家に帰って家
族に見せたところ、女房が、

「この裏表紙の写真の上の方に小さく載っているのウチの子じゃないの?」

それは、中学二年生の私の長女だった。それを見た娘は、「ギャ−、ウチが載っと
る−」とキャ−キャ−大騒ぎをしていた。私にとっては二重の記念となった。   

石井さんのところに行ってみると、案の定、なじみのUタ−ン老人になっていると
ころに引っ掛かっていた。    

「私は佐野さんが、技法のひとつとして、そう書いたのであって、私という人物を松
本くんらと同じレベルで、ちゃんと書いてもらっていると思う。むしろ、そうするこ
とによって私の特徴がより浮き彫りなっていると思う。でもねえ、女房にとっては、
新山さんや松本くんがちゃんとなまえ入りで載っているのに、ウチの主人はないとは
ぶてているんだよ。今度、ウチに遊びにきたときに、女房にはなしてくれんかのう」
                       
「石井さんは愛されているんですね」          

私は、石井さんの考えは当たっていると思う。この本の主人公はあくまでもこの島
の圧倒的多数の老人だ。普通に暮らしている老人それぞれが自分らしい生き方を貫い
ている。そのことを書いているのであって、だれかれの紹介の本ではない。つまり、
「なじみのUタ−ン老人」とすることで、その人を通して島の老人全体の姿を映し出
そうとしたものであると思う。                       

今年の三月、この本の出版記念パ−ティ−が泊清寺で開かれたとき、このことをた
ずねた石井さんに、佐野氏と編集担当の照井氏は、「さすがですね。その通りです」
と明快に答えた。                        
                           
    続々とテレビ取材                 
                           
この本が出版されてから、マスコミの注目の的となった。いくつかの例をあげてみ
たい。            
 
一番記憶に残っているのは、テレビ朝日の「たけしのテレビタックル」だった。
ディレクタ−の市野氏という方が訪れたのは、今年の一月二十五日だった。この日は
「周防大島高齢者フォ−ラム」が開催され、永六輔氏が講演された日だった。少しこ
の話に触れるが、このフォ−ラムには私も東和町からのパネリストとして出演した。

幸運だったのが、永さんと会話をすることができたことだ。それは永さんから声を
かけてきた。私が舞台の袖を歩いていると、掲示板に目をやっていた永さんが私の方
を向き、偶然にも目があった。   
 
…アッ、永さんだ…はやる心を抑えながら軽く会釈をすると、

「アッ、すみません。これなんと読むのですか?」    

「これは情島といいます。永さん、沖家室の鯛の里の松本です」         
                
「アッ、そう。君がそう。いつもどうも。ごめんなさい、急に声をかけちゃって」 

「お会いできて嬉しいです。後の講演楽しみにしています」

お互い深々とお辞儀をし、永さんはステ−ジに向っていった。         
                
永さんとは何度かはがきでやりとりしていた。今回の講演に際しても、事前にはが
きで講演を楽しみにしていますと送っていた。三日前にご返事もいただいていた。僅
かな会話ではあったが、なによりも私を分かっていてくれたことに感激だった。  
                     
永さんの講演は爆笑の渦となった。会場を手玉にとる技はさすがこれがプロだと
思った。そして、はなしの中身も沖家室がたびたび登場した。

「私が以前に大島にきたのは、沖家室の泊清寺」 「佐野眞一さんが書いた大往生の
島の沖家室」 「沖家室、あそこは浄土の島」と連発したのだ。     

講演の後で新山さんが、               

「永さんが、沖家室を連発するのでみなさんに悪くてねえ」

永さんも講演の後新山さんに、「あなたが真前に座ってい
たので、やりにくかったよ」と語ったそうである。    
                           
                           
  「たけしのテレビタックル」で放送         
                           


話はもとに戻るが、その日の夕方、テレビ朝日の市野氏がやってきた。番組企画の
いきさつを聞いてみると、プロデュ−サ−が「大往生の島」の本を読んで、企画が持
ち上がったということである。

打ち合せのなかで、島の人はカメラを向けると家に逃げ込むので、スム−ズにいく
方法はないだろうかと相談していた。

「新山さんがカメラをもってインタビュ−するのどうだろう」

これならみんなも逃げることはないだろう。                 
      
これが当たった。なによりもユニ−クで身近に感じる仕上がりとなった。番組タイ
トルも「理想郷の島」となった。新山さんが小型カメラを持ち、声をかけていく。そ
れを大型カメラで追っていく。実に新鮮だった。一番おもしろかったのが、柳原フサ
コさんの場面だった。           

この方は本のなかで、タンスの中に死装束を入れて、いつお迎えが来てもいいよう
に準備しているという、九十三才の元気なおばあちゃんのことだ。島では、一番の取
材の対象になっている、アイドルならぬババドル的存在だ。     
 
少しそれるが、この方の拝む姿はとてもサマになっている日頃は腰が「く」の字に
曲がっているのだが、正座すると拝む姿勢がちょうど「L」字型になる。おしりがペ
チャンと畳について、丸く曲がった背中で上向き加減の顔先に手を合わせると、阿弥
陀様の顔とおばあちゃんの指先が一直線に結ばれているように見える。まるで示し合
わせているかのようだ。
 
住職の話しの中に、一心に拝んでいると指先が熱くなるときがあるという。あるお
ばあさんの話しによると、それは指先から信仰がこぼれているんじゃという。フサコ
さんの一心に拝んでいる指先からも、この信仰心が溢れているようにさえ思え、葬式
などで多くのお年寄りが拝んでいるなかで、私はその真摯で、ひたむきに手を合わす
姿にみとれることがしばしばある。                     

話は元のテレビに戻るが、              

「おばあちゃんのゲンキの秘訣はなんですか?」     

「ゲンキゆうたら、いつゆうこたあないがの……なんようのう…」        
                
画面には、「??????」のマ−クが入る。      

「なんか勘違いしとる。もう一回聞こう。ゲンキの秘訣はなんですか?」     
                
また頓珍漢な答えが返ってくる。           

「そうじゃなくて、ゲンキの秘訣」           

「なんの?ゲンキの季節?」              

「だめだコリャ」                   

と言って引き揚げるカメラ。決して冷やかしたものではなく畑で元気に働いている
姿と、ほのぼのとした様子がよく出いた。この一場面が、番組のなかの瞬間視聴率で
一番高かったそうである。                    
 
数日後、テレビ局から柳原フサコさんを番組に出演させたいがどうかという依頼が
新山さんに入った。ビ−トたけしと対談するなど見物ではあるが、残念ながらご本人
は断った。

このほかにも、この夏には大型番組の企画が入っている。

テレビ局のほかにも、福祉関係の視察、本を読んでの来島が続いている。    
                
今年のはじめになるが、本にも登場してくる千葉大学の斎藤先生がお寺にみえら
れ、私ども郷土史研究会にご出席いただいたとき、この島の良さについて、「むかし
の原風景が残されていることでしょう」と述べられた。        
 
実は、私はこの島の良さについては、残された自然とか、歴史的な町並みのみに長
い間捕われていて、島の老人の暮らしぶりなどあまり興味がなかった。      
     
以前にこんなことがあった。NHKの「ひるどき日本列島」という生番組がこの島
を取り上げた。打ち合せの段階でディレクターから、お年寄りだけではなくて、若い
人もこの島では頑張っていることを伝えたいので、この島の紹介を私にしてほしいと
依頼された。私は、きれいな自然と町並みにこだわってそこに的を絞った。船から島
を中継し、島では大正の町並みを私が解説するという構想がまとまった。    

放送直前に私は、東京のテム研究所に連絡をとった。この研究所は文化財保護や、
民俗調査をする機関で、宮本先生に学んだ方が主宰されている。実は、私が郷土史に
ひかれるようになったのは、三年前に、この方たちの漁業史の調査に私もスタッフと
して加わってからだ。そこの所長の真島氏に、島が放送されるので、是非見てほしい
と伝えた。     

 「どんな内容を伝えるのか?」と聞かれて、趣旨を説明すると「何言ってるんだ。
かむろの良さは、今のお年寄りの生活にあるんじゃないのか?」と叱られてしまっ
た。    

放送は台風の直撃にあって、予定を消化しきれずに終わってしまった。それなり
に、歴史的な家並みは映されたが、中途半端になってしまった感は拭えない。   
      
新山さんは、それ以前から私が立てた方向に、疑問を投げ掛けていたのだが、すで
に分かっていたのだと思う。   
 
かむろの良さは平面で捕らえるは難しい。普段の生活の中で時折感じることがあ
る。               

たとえば、私がUターンをしたての頃、島の寄り合いに出席して、話しがヨコ道に
反れることに面食らった。ひとつの話題に沿って進むのは五分がいいところだ。その
うち誰かが「きょうアンタはなんぼ釣った?」とヨコに反れる。するとその人のまわ
りでその話題になる。他のまわりでも違う話題になっている。中には居眠りする人も
でてくる。司会役が元に戻す。五分くらいでまた話しが反れる。なかなか合意に達し
ない。                       
 
そのうち長老クラスの先代の住職などが、「あ〜、こうすりゃあどうかいの」と言
うと、同年代の古老が、「ウンウンほうじゃの」。そうすると大方が「ほうじゃ、ほ
うじゃ」とうなずく。日頃のことなどさんざん喋ったあと、お開きになると、みんな
満足そうに「エカッタ、エカッタ」とサッサと引き上げていく。         
          
会社の会議などに慣らされた私にとっては、当初の頃は「どうなっとるん」と思っ
ていた。ところが最近は、この不思義なやりとりが、ここに根付いた最良のルールな
んだと分かってきた。むしろ、この平和的な光景が楽しくてしょうがない。    
                     
ここは、生活そのものがオープンだから、誰がどういう考えを持っているか、お
およそ分かる。よほど異論がある場合を除いては暗黙の了解が成り立っているのだろ
う。    

こうした環境の中では、仮にボス的な人が入ってきても、そのうち、このおおらか
さに自然に包み込まれていくのだろう。争いごとが少ないのもうなずける。五十、六
十ではまだハナタレで、八十ならんとモノが言われんとよくう。私ども四十ではネン
ゴ(ナマイキ)垂れなと一蹴されるのがオチだ。しかし、たいへん大事にはされる。
一見タテ型社会のようにみえるが、長老も現役としての役割と責任を持たされてい
て、バランスが保たれている。   

ここの良さは、形やモノだけではないようで、そうして観察すると、まだまだ一杯
ありそうだ。          

このほかにも、先日、広島の比治山女子短大生活学科の山田先生から「私の生徒
が、『大往生の島』をテキストにしている」とお話しがあった。たいへんな反響だ。
      
本を読む人は全国で数万人であろう。しかし、この本をきっかけにテレビ局が取材
に訪れ、全国にこの島が紹介される構図を佐野氏は予測していたのだと思う。   
     
「これからカムロはブ−ムになるぞ。鯛の里はたいへんなことになるぞ」といったの
は、このことだったのだ。   

だからといって、島の暮らしぶりは一向にかわることはない。近所のお年寄りに、
「かむろは今すごく注目されとるんと」と言っても、「フーン。どこがあ」という
そっけない答えがかえってくるだけである。             ・
                           
                           
  大往生のあとさき                 
                           
今年の三月、京都東本願寺の方がお見えになった。連如上人五百回法要の参拝者向け
に上映するビデオの制作のためで「差異(バラバラ)で一緒」というテーマだった。
これも「大往生の島」の本がキッカケをだった。         
 
浄土真宗の本山が、他宗派である浄土宗の島を題材にすることにまず驚いたのだが、
さらに驚いたのが、「この島は本当に浄土宗なのですか?」と問われたことだった。
というのは、新山住職と話しをしていると、まるで浄土真宗のお坊さんと話しをして
いるように感じたと言うのである。現実の問題や課題、政治の分野にまでに積極的に
発言をしている点だという。確かに、浄土真宗は靖国参拝問題や、同和問題に積
極的に発言していることは知っている。私は宗派の違いは良く分からないが、浄土真
宗のいう浄土とは、この世にあるという。しかし浄土宗のいう浄土とはあくまでもあ
の世であって、死後の世界である。私はどちらがどうとか言うほど、その定義に認識
はないが、少なくとも人々が平和で豊かに暮らせる世の中のために宗教活動に取り組
む過程で、現実の問題や課題は避けて通れないことだと思う。         

実際に、現在の泊清寺の歴史を聞いてみると、明治の排仏毀釈という宗教弾圧の時代
に、そのときの住職は逆に反骨的に韓国に渡って布教活動に打って出ている。先にも
触れたが雑誌「かむろ」の発行責任者は、現在の住職の祖父にあたる方で、海外に在
住する島の出身者とのきずなを保つことに積極的に役割を果たしてきた。先の住職
も、戦後、島の産業基盤が崩壊し、高度成長で若者が都会に流出する時代の嵐のな
か、「かむろ製作所」を立ち上げ、島の人々の生活を支えた。

今の住職の積極的な姿勢はその歴史的延長にあるように思う。この島のお年寄りが精
神的に豊かだと言われるのは、いつの時代も積極的に歩んできた寺との信頼関係を抜
きには語れない。                       
佐野氏がこの本の中で、この島と寺の歴史にこだわったのはそこにあると思う。 
                
私が「大往生のあとさき」と書いたのは、高齢化率日本一というデータは、図形でい
えば逆ピラミッドどころかTの字で根元はまさに点である。滅びゆく島という危機的
な人口構成から脱し切れているとは言えないからだ。この島を時代の嵐から必死に
守ってきた今のお年寄りが、いくら大往生と呼ばれて往ったにしても、そのあとに何
もなくなったのでは、浮かばれないのではないか。              

本の中で老人医療の専門家である早川一光氏は「…いまの輝きは、落日寸前の夕陽の
ような輝きのようなものでしょう」と語っているが、このままでは本当に最後の光芒
になってしまいかねない。                   
五年先を考えてみても、七十代を中心に漁業を続けている人が何人として現役漁師で
残るだろうか。土地に苗を植え続ける人が何人残るだろうか。次の世代の私たちに残
そうとしているものははあまりにも大きい。           
 
そんな不安がいつも頭をよぎる中で、私は、「旅する巨人」とともにこの本の中で救
われた文章がある。      


 近代化によって忘れられた土地をくまなく歩き、そこに
 否定的要素ではなく、あえて肯定的要素を見出し、人々を
 明るく励まして歩いた宮本民俗学の一旦を垣間見るような
 気がした。                     
                           
 「この島はそのうち無人島になるぞ」と陰口さえ叩かれたこの島が、佐野氏によっ
て肯定的要素を見出してくれたことは、決してあきらめてはいけないよという、大き
な励ましとなった。次はこれを私たちがどう広げていくかだと思う。それが、佐野氏
に対する恩返しだと思う。この島の歴史は奥が深い。手付かずの史料はまだ山とあ
る。まず、それらとじっくり向き合ってみたい。そこに未来を切り開くヒントが隠さ
れているのかもしれない。               
                           

 佐野先生へ                
 
僕が佐野先生の逗留した記録を書こうと思ったのは、先生とご一緒した日々が楽し
かったのもあるのですが、それともう一つ、先生が去ってからも、「なぜ?」とタバ
コをくわえ首をかしげながら考え込む姿が僕の脳裏から離れなかったからです。島の
老人の明るさは「なぜ?」とする先生そのものが、僕にとっては「なぜ?」でした。
今までの記憶をたどりながら、その疑問を解くために自分なりに整理してみようと思
いました。                     

僕のような一介の宿屋が、こともあろうに先生の舞台裏を書くことなど「無礼者」
とお叱りをうけるだろうとは思いながらも、ただの思い出に終わらせたくはなかった
し、僕にとってはかけがえのない歴史的な数ページだったのです。だから、日記とす
ることでお許しください。         
                           
今でも、「旅する巨人」と「大往生の島」の二つの本を目の前に置きながら、鯛の
刺身を肴にコップ酒を呑んでいると、

「ヤー、どうも、どうも。松本くん、カムロの鯛がたべたくなったよ」
 
と、今にも先生が上がり込んでくるような気がします。            
            

先生。「大往生の島」のあとさきは、結局のところ僕らがつくっていく以外にあり
ません。いずれまた、お寺でみんなとカラオケでもやりながらイッパイやりましょ
う。なじみのUターン老人もそのときまで往生しないって。      
 
この島では大往生のことをええ往生と言うんですよ。ではみんなのええ往生を願っ
て、カ・ン・パ・イ」      
                           
                 鯛の里 松本昭司  
                              


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