文字と音韻の話

キリル文字表記

キリル文字音素対応するラテン文字キリル文字音素対応するラテン文字
АаaaНнnn
БбbbЊњn'nj
ВвvvОоoo
ГгggПпpp
ДдddРрrr
Ђђd'đСсss
ЕеeeТтtt
ЖжʒžЋћt'ć
ЗзzzУуuu
ИиiiФфff
ЈјjjХхxh
КкkkЦцtsc
ЛлllЧчč
Љљl'ljЏџ
МмmmШшʃš

 セルビア語には30の文字があります。ラテン文字についてはこのコンテンツの一番最後をご覧下さい。

母音の発音

 うち5つは母音です。
Аа(=A)
  ア。日本語のアと考えて問題はありません。
Ее(=E)
  エ。ロシア語を知っている人は、くれぐれも「イェ」と読まないように注意してください。
Ии(=I)
  イ。Nのひっくりがえった奴ではなくて、Iを二つ並べてつなげた形です。ロシア語を知っている人は、この文字が軟音化を引き起こさないということに注意してください。ТИТОはチトーではなくティトーです。(軟音化を引き起こした場合は、ЋИТОと書かなければなりません。)
Оо(=O)
  オです。ロシア語ではアクセントがないときにアと発音しますが、セルビア語では常にオと読みます。
Уу(=U)
  ウ。日本語のウは唇を丸めないという特徴を持っているので、唇を突き出して発音するようにするという注意が必要です。

破裂音の発音

 うち、24が子音です。
 子音のうち、8つが破裂音です。破裂音とは、口の中のどこかを閉鎖して息を止め、それからその閉鎖を開放することで発せられる子音のことをいいます。一瞬の破裂する音ですから、連続して発音し続けられないという特徴を持ちます。黙音、閉鎖音などともいいます。
 喉のあたりの音2つ。
Кк(=K)
  カ行の子音、つまりkです。
Гг(=G)
  ガ行の子音、つまりgです。
 口蓋から歯にかけての音4つ。
Тт(=T)
  日本語のタ行の子音に近いのですが、もう少し前で発音されます。
  具体的には、日本語や英語のtは歯と歯茎の間あたりを叩くのですが、ロシア語やセルビア語は歯先を叩く音です。
  日本語や英語のtと同じように発音しても通じるので気にする必要はあまりありませんが、日本語の拗音とロシア語・セルビア語の軟音が一致しないように感じられるのは、じつはこのあたりに原因があるようです。
Дд(=D)
  先ほどのТの有声音に当たります。こちらも歯先の音です。
Ћћ
  Tの軟音(iやjの混じった音。日本語の拗音に当たる)です。日本語には存在しません。聞いた感じでは「チ」と聞こえます。歯茎を叩く破裂音で、чとは違う音です。
  人名によく見られる、「……ヴィチ」の最後の音がこれです。ただ、方言によってはчとの区別が曖昧になっているということなので、чと発音しても問題ないかも知れません。
Ђђ
  Дの軟音で、Ћの有声音に当たります。ブロック体ではЂと見分けにくいので注意しましょう。字の最後が左に向いているのがЂ、右に向いているのがЋです。
 唇のあたりの音が5つ。
Пп(=P)
  ラテン文字のPにあたる文字です。π、という書き方をすると馴染みがあるでしょうか。パ行の子音です。
Бб(=B)
  ラテン文字のBです。小文字はbに似てなくもないですね。バ行の子音です。

摩擦音の発音

 子音のうち、7つが摩擦音です。
 摩擦音とは、口のどこかをほとんど閉鎖しながら、少しだけ息が漏れる状態にして、息の漏れる際の摩擦音を響かせる子音です。擦音ともいいます。
Хх(=H)
  「ハ」の子音に当たります。喉の奥から絞り出すような音です。寒い日に手のひらに息を吐く、あの「ハーッ」という音。
Сс(=S)
  日本語のサ行の子音です。字の形はラテンアルファベットのCに似ていますが起源としては関係がなく、Σの背中が丸まって出来た文字です。つまり、Sに当たる文字なのです。
Зз(=Z)
  ザ行の子音です。Zの最後を左に丸めて出来た文字で、要するにZです。зиを「ジ」とやってしまわないよう注意。「ズィ」です。
Шш
  シャシシュシェショの子音です。英語で書くとshです。сの軟音にあたります。
Жж
  日本語東京方言には(多分大阪方言にも)存在しない音です(一部方言では「ジ」をこれで発音し、「ヂ」と区別するそうです)。耳で聞くと「ジ」と聞こえますが、ЏともЂとも違う音で、шの有声音でзの軟音でもあります。
  ややこしい話ですが、日本語の「シ」はшなのですが、その有声音である「ジ」はжにならずにЏになってしまっています。本来Џは「ヂ」で、жが「ジ」だったはずなのですが、時代の流れとともに「ジ」の発音が変化し、Џに合流してしまいました。
Фф(=F)
  ラテン文字のFにあたる文字です。日本語の「フ」は両唇で発音しますが、欧米のfはみな唇と歯で発音します。下唇を歯で噛んで発音しましょう。
Вв(=V)
  ビーではなくVにあたる文字です。間違えやすいので注意。下唇を歯で噛んで発音しましょう。

鼻音の発音

 子音のうち、3つが鼻音です。
 鼻音とは、口で息の流れを止めて、鼻に流して響かせる音です。口のどこで息の流れを止めたかによって音色が変わってきます。
Нн(=N)
  エイチではなくエヌです。つまり、n。наを「ハ」と読まないよう注意。
Њњ
  先ほどのнにь、つまりjが付いた文字で、нの軟音「ニ」にあたります。
Мм(=M)
  そのまんまMです。マ行子音。

流音の発音

 子音のうち、3つが流音です。
 流音は、簡単に言えばLとRのことですが、特殊な子音で、母音のように音節を形成することが出来ます。英語やフランス語、ドイツ語ではLやRが音節を形成することはありませんが、もともと印欧祖語ではLやRが音節を作るのは普通だったようで、この特徴がスラヴ語の多くに継承されています。セルビア語も例外ではありません。
Лл(=L)
  日本人の苦手な発音で有名な"L"にあたる文字です。舌先は歯茎に付いているが舌の左右の部分は歯から離れているという状態から、その左右の隙間から息を出して発音する音です。このため、「側面音」とも言います。рとの区別に注意しましょう。
  流音の説明のところでも触れましたが、このLが音節を作ることがあるということに注意してください。
Љљ
  лの軟音です。「リ」という感じの音。л+ьと書くと、ロシア語履修者だけがなるほどと言いそう。このьは、ロシア文字で"j"にあたる文字なのです。
Рр(=R)
  P(ピー)ではなくRにあたる文字です。ギリシャではピーをΠ、アールをΡと書いたのですが、ローマではΠの右側の柱が円くなってしまい、Pに変化。これだとΡと区別できないので、Ρの方にひげをつけてRと書くようになりました。
  キリル文字はギリシャ文字を手本にしたので、ピーはП、アールはРのままです。
  発音は英語のrでも日本語のラ行子音でもなく、いわゆる巻き舌のRです。
  流音の説明のところでも触れましたが、このRが音節を作ることがあるということに注意してください。

二重子音の発音

 二重子音を表す文字が、3つあります。
Чч
  日本語の「チ」の子音(英語で書けばch)です。Ћとの違いには注意しましょう。この音はкの音韻変化によって現れることが多い、いわばкの親戚で、тとは赤の他人です。
  歯先を舌で叩いてから「チ」と言おうとするとうまく発音できるかと思います。
Џџ
  日本語の「ジ」の子音(英語で書けばj)です。Ђとはこれまたちょっと違う音で、なおかつ赤の他人なので注意しましょう。
  歯先を舌で叩いてから「ジ」と言うとうまく行くと思います。
Цц
  「ツ」の子音です。чと同様、кの親戚にあたる音です。

半母音Јと軟音

 残りひとつは、半母音です。
Јј
  英語のy、ロシア語のьにあたる文字で、ヤ行子音です。この文字を取り入れたのは近代セルビア語の創始者ヴク・カラジチの功績なんだそうです。まあ、ロシア語を知らない日本人にはあまり実感の湧かない話ですが。
  ロシア語では、この[j]という音を、状況によっていろいろな書き分けをします。母音の前に来たときは専用の文字を使います(j+a→я、など)し、母音の後ろに来たときはйを使います(a+j→ай)。そして、子音の後ろにくっついたときは、ьを使います(p+j→пь)。このように同じ音を表すのに使い分けが面倒です。
  これに対しセルビア語の場合、すべてјという文字が使用できます。j+a→ја、a+j→ај、k+j→кј。

 スラヴ諸語では、軟音−硬音という対応が非常に重要なファクターです。軟音とは「イ」という音色を伴った子音のことで、これに対し硬音は「イ」という音色を伴いません。
 具体的には、

硬子音дзлнст
軟子音ђжљњшћјцчџ
です。これに対し、бвгфкмпрхの9つを中立子音といいます。
 硬子音はどんなときも硬く読まれる子音です。この直後にјが来ることは出来ません。これに対し軟子音はどんなときでも軟らかく読まれ、この直後にјを伴うことはありえません(そのもの自身に既にјの音色が付いているからです)。中立子音は状況によって軟らかくも硬くもなり、このため直後にјが来ることが出来ます。
 このため、例えば「ニャ」という音を表記するとき、нјаとすることは出来ません。н+јという組み合わせはあり得ないからです。このようなときはњаと書かなければなりません。もしнјаという並びがあれば、それはнとјの間に区切りがあって、ヌ・ヤと発音されるはずです。
 硬音か軟音かが一番ものを言うのは、語幹末(単語から変化語尾を除いた部分)です。語幹に変化語尾をつけるとき、語幹末の子音が硬音なのか軟音なのかによって変化語尾が違ってくるからです。

アクセント

 セルビア語のアクセントは非常に独特です。強いて言えば、中国語が一番似ているかも知れません。
 まず、種別としては高低アクセント(ピッチ・アクセント)です。つまり、音の高低でアクセントを表します。
 日本語も高低アクセントを持っていますが、日本語のアクセントは音節ごとの高さを拘束します。つまり、「わたしは」は、
 わたしは(低高高高)→「私は」
 わたしは(低高高低)→「渡しは」
 というわけです(私は関西方言話者なので、あってるかどうかいまいち自信がありませんが)。
 これに対しセルビア語の場合、音節の内部で音の高低の変化があります。
 例えば、град(長・下降)「町は」の場合、「グラード」の「ラー」の部分を発音している間に、その音程が下降するということになります。ため息をつくような感じといえばわかりやすいでしょうか。
 逆に、вино「ワインは」(長・上昇)の場合、「ヴィーノ」の「ヴィー」の部分を発音している間に、その音程が上昇します。うまい例が見つからないのですが、キレた時の「ああん?」という声のように、といえばわかりやすいでしょうか。
 当然といえば当然の話ですが、下降アクセントを実現するためには前もって上昇しておかなければなりません。下降アクセントのある音節の直前で音程は上昇し、下降に備えます。上昇アクセントの直後では、音程は緩やかに下降します。つまり、どっちも上昇→下降という音程を伴うのです。上昇アクセントと下降アクセントの違いは、上昇している部分を強く発音するのか下降している部分を強く発音するのかの違いであり、つまるところ強弱の差なのです。
 上昇アクセント:上昇→下降
 下降アクセント:上昇→下降
 アクセントは更に、その音節が長いのか短いのかも区別します。つまり、セルビア語のアクセントは、
 長い上昇アクセント:記号はʹ (アクサン・テーギュ)
 長い下降アクセント:記号はˆ (アクサン・シルコンフレクス)
 短い上昇アクセント:記号はʺ (重アクサン・テーギュ)
 短い下降アクセント:記号はˋ (アクサン・グラーヴ)
 です。但し、このアクセント構造は今では少し簡略化されました。具体的には短い上昇アクセントは短い下降アクセントに合流し、消滅しています。
 また、ややこしいことに、アクセントは語形変化によって移動します。一部の前置詞はアクセントを単語から奪い去ります。
 у граду(短・上昇)「町へ」
 градуは先ほどのградの変化形で、前置詞уにアクセントを奪われています。なお、"гра"の部分が長く発音されるのは変わりません。
 なお、セルビア語では……いくつかのスラヴ語で見られる現象ですが……рもアクセントを持ちます。
 врх(長・下降)「頂上」
 このコンテンツでは、出来るだけアクセントを明示したいと思うのですが、残念ながらセルビア語の単語のアクセントをきちんと明示しているものは少ないというのが現状です。調べが付かなかった場合はご容赦下さい。

 以下はアクセントに関する規則です。
・一音節語は必ず下降アクセントを持つ。
・二音節以上の語の場合、4種類のアクセントのどれも可能であるが、最後の音節にアクセントが来ることはない。語頭以外にアクセントが来たときは必ず上昇アクセントを持つ。

有声音、無声音

 有声音とは発音する際に声帯を震わす音、無声音はふるわさない音を言います。日本語で言えば濁音と清音の関係ということになるでしょうか。dは有声音、tは無声音です。
 有声音と無声音は声帯を使うか否かという違いしかないため、非常に近い存在です。このため、その音の置かれる位置によって有声音が無声化したり、無声音が有声化するということは、どの言語でもよく見られます。
 例えば、日本語では単語末の有声子音が無声化することがあります。
 例)英語のbedをベッと発音する。
 この「単語末有声子音の無声化」は、非常に多くの言語で見られる現象で、むしろこれの起こらない英語は例外的存在です。
 セルビア語もこの現象の起こらない希有な言語で、ロシア語に慣れている人は注意が必要です。
 Петроград(ロシア語)はピトラグラーですが、
 Београд(セルビア語)はベオグラーと発音します。
 しかし、有声子音の前に来た無声子音は有声化し、無声子音の前に来た有声子音は無声化します。しかも、その変化を反映して表記します。
 роб(奴隷、ロブと読む)→ропство(奴隷の、ロプストヴォ)
 要するに、読む分には書いてあるとおり読めば絶対間違いはないということなのですが、書くときに間違える可能性を孕んだルールになっているのです。
 なお、無声−有声の対応は以下の通りです。
 п-б;т-д;к-г;с-з;ш-ж;ћ-ђ;ч-џ
 фとвは音韻上無声−有声の関係にありますが、このような変化は起こりません。
 対応関係を持たない子音、つまりхцјрとфвは、変化を引き起こすことも出来ません(ропствоのвは有声子音ですが、直前のтをдにすることは出来ないのです)。

その他の主な音韻変化

 セルビア語では以下のような音韻変化がありますが、あまり気にする必要はありません。そうなんだ、と読み流してくださって結構です。

・аの挿入
 セルビア語では、語末に来ることが出来る子音結合は-ст,-шт,-зд,-ждだけです。外来語を受け入れたとき、これ以外の子音結合で終わっていたときには、子音の間にаを挟むことになっています。
 факат←fact
 但しこのаは、格変化によってその子音結合が語末でなくなったときには消失します。
 факта(факатの単数生格形)

・語末лのо化
 語末のлがоになることが良くあります。但し必ずというわけではありません。

・軟子音のあとのоのе化
 軟子音(ђжјљњћцчџш)のあとにоが来るとき、このоはеに変化します。但し、(1)所有形容詞を作る-ов(2)派生動詞を作る語尾-овати(3)男性・中性名詞の単数造格語尾-омにおいてしか見られません。

ラテン文字等による表記

ラテン文字音素対応するキリル文字ラテン文字音素対応するキリル文字
AaaаLllл
BbbбLjljl'љ
CctsцMmmм
ČčчNnnн
Ććt'ћNjnjn'њ
DddдOooо
DždžџPppп
Đđd'ђRrrр
EeeеSssс
FffфŠšʃш
GggгTttт
HhxхUuuу
IiiиVvvв
JjjјZzzз
KkkкŽžʒж

 セルビア語と非常に近い関係にあるクロアチア語、およびボスニア語では上記のようなラテン文字表記を行います。分裂前のユーゴスラヴィアでは、両方の表記が許容され、両方の文字が学校で教えられました。教科書はラテン文字とキリル文字が両方入っていたそうです。
 分裂後、セルビア語はキリル文字を正統とし、クロアチア語とボスニア語はラテン文字を正統とするという道を選択したのですが、ことはそれほど簡単ではありません。
 まず、キリル文字は使用人口という点ではそこそこ多いのですが、読めない人口も非常に多いという問題を抱えています。ラテン文字のように、日常的に使用していないけど読めるという人が多いわけではありません。
 学術論文でセルビア語を引用する場合も、大抵ラテン文字で書かれています。
 更に、インターネットでは、キリル文字表記はもちろん、上記のラテン文字表記でもフォントの不備のために表記できない可能性が大です。このため、以下のような措置を取ることがあるようです。
措置その一。文字に付いている記号を完全に無視して表記。
 なんだか読めた気分にしてくれる方法ですが、読み間違いの多発は必至です。
措置その二。類似した英語の表記を駆使する。
 ロシア語でメールを出すときに教わった方法がこれです。具体的には、
 č(ч)→ch
 š(ш)→sh
 ž(ж)→zh
と表記します。ロシア語にない文字(ćđ)に関してはどうすればいいのか分かりませんが、ロシア風にtj,djとやればいいのでしょうか。読みやすさでは一番といえるかと思います。
措置その三。重子音で表す。
 「サイバー・ユーゴスラヴィア」のオンライン辞書では、šをss、žをzz、ćをcc、čをcccとして検索するよう指示しています。セルビア語・クロアチア語では同じ子音が二つ重なるということはない、という性質を使用したものです。

参考文献

 参考文献と辞書を紹介しておきます。