1.地球球体説
私がコロンブスという人物について知ったのは後にも先にも少年向けの伝記文学を通してであったから、コロンブスというのは当時のばかげた偏見と闘い、ついにはスペイン王という後援者を得て新大陸を発見した英雄であると思っていた。
だが、本当にそうなのか?
この疑問にまず気づいたのは、ダンテの「神曲」を読んだときだった。
この文学作品は、当時のキリスト教的世界観に立脚し、著者が地獄・煉獄・天国を旅するという形式になっている。
そして、その世界観では、地球は球体なのである。
14世紀に書かれたこの本……俗語で書かれたという点では非常に先駆的であったが、禁書になったという話は聞かない……において、当然のように地球球体説が受け入れられている。
コロンブスの時代の人たちにとって地球球体説が常識であったなら、なぜ彼は受け入れられなかったのか。
この芽生えた疑問に答えてくれたのは、I.アシモフの「地球の形は」という短編であった。
コロンブスの時に問題となったのは、地球が球であるかどうかではなく、その大きさであったのだ。
地球球体説の証明は、紀元前4世紀にアリストテレスによって証明され、その後アレクサンドリアのエラトステネスという科学者がシエネとアレクサンドリアの太陽高度の差から地球の周囲の長さまで計算している。
エラトステネスの計算によると、地球の周囲の長さは46000kmほどである(もちろん、当時にメートル法などないので、この数字は彼の数値をメートル法に直したものである。このため、完全に正確な数字とはいいがたいだろう)。この数字は実際の数値に……40000km……かなり近い。
重要なのは、コロンブスの時代の人々(この言葉を軽々しく使うのは、実はあまり適当ではない。こんなことを知っていたのは時の高等教育を受けた一握りの人物であった。だがもちろん、コロンブスが否定されるには十分な権力を、彼らは持ち合わせていたのである)がおおむねこの数値を知っていたことである。世界地図を広げていただきたい。一番いいのは地球儀だが、なければ世界地図で結構だ。
さて、ヨーロッパから日本までの距離はどのくらいだろうか?
私の言いたいことがおわかりいただけただろうか。当時のヨーロッパ人知識層の頭にあったのは、この世界地図からアメリカ大陸を省いたものであったのだ。彼らがコロンブスの航海に乗り気ではなかったのは当然だった。こんな長い距離、船でわたれるわけがない。
コロンブスはこれに対し、当時主流ではないあるギリシャ人の説を提出した。その説では地球はもっと小さいものであったからだ。
1492年、コロンブスは西へと航海し、「インドにたどり着いて」帰ってきた。彼はその土地を終生インドであると信じていたが、少ししてヨーロッパ人たちは、この土地がインドではない未知の土地であることに気づいた。その向こうに更に海があって、その海を越えた先にインドがあるのだ。……ようするに、コロンブスは間違っていたのである。
コロンブスの偉業は、「コロンブスの卵」ではなかった。むしろ、「棚からぼた餅」、あるいは「犬も歩けば棒に当たる」と呼ばれるべきものだったのである。
……最後に、アメリカ大陸から西へと航海を試みたマゼラン船団は、太平洋を渡るときにその船員の9割を失ったことを付言しておこう。
もし、アメリカ大陸がなかったら……。
2.コペルニクスって正しいの?
コロンブスに遅れること約100年、キリスト教的世界観が揺らぐ事件が起こった。
こういうとまるで宗教改革の話のようだが、少し違う……両者はやはり関係があるのだが。
私が言いたいのは、コペルニクスをはじめとする人たちが唱えた地動説の話である。
誤解をしないように断っておくが、地動説と地球球体説は全く別の概念である。先程述べたダンテの「神曲」の世界観は、天動説+地球球体説であった。
地動説は、ある側面からはキリスト教に対する疑問符を投げかけるという運動と取ることもできる。だから、宗教改革とは無関係ではないのだ。
しかし、ここでひとつの課題を提出したい。少し考えてほしい。
それは、「地動説を証明してください」というものだ。あなたはうまく証明できるだろうか?
さて、少し考えてくれただろうか。では、誤っている証明からつぶしていくことにしよう。
まず、先程述べたように地球球体説と地動説は別物である。従って、地球が球だ球でないという議論は全く意味をなさない。
次に、惑星の運動の話がある。惑星の順行・逆行は、証明の手がかりとなりうるだろうか。
実は成り得ない。惑星の移動は、天動説でも周転円の導入によってきれいに説明できるのである。
であれば、地動説の証明はどうすればいいのだろうか?
答えは、非常に物理学的な話をしなければいけなくなる。
私の知っている証明方法は二通り。
一つ目は年周視差というもの。
右目と左目を交互につぶると、見えるものが少しずれるのはご存じだろうか。専門用語で「視差」と呼ばれるもので、要するに右目と左目が少しずれたところにあるので、見え方が少し違ってくるのだ。生物の目が二つあるのは、この視差を利用して立体を見れるようにするためらしい。
であれば、夏と冬では星の位置が地球の動いた分だけずれて見えるはずである。ずれ方は星までの距離に左右されるため、この視差をはかることで星までの距離が測定できるというおまけ付きだ。
もう一つは、光行差と呼ばれるもの。雨の日に列車に乗っていると、垂直に降っている雨が斜めに降っているように見える。列車のスピードによるものだ。これと同じことが星の光の場合にも起こる。夏と冬ではちょうど逆方向に地球が動いているため、星の位置もそれだけずれて見えるはずである。
地動説が正しければ年周視差があるだろうということは、17世紀から予想された。従って当時の天文学者たちは、年周視差が存在するかどうかを確かめるため、発明されたばかりの望遠鏡を向けたことだろう。
だが、どんなに頑張ってみても、年周視差は発見されなかった。星は全く動いているように見えなかった。
当時の人の結論は当然、「天動説が正しい」だったのである。
……実は、当時考えられていた以上に星までの距離は長く、あまりに長すぎて当時の観測技術では年周視差を測定できなかったのだ。
それ以後も年周視差を発見しようという試みはなされ続けた。その途上、偶然にもグリニッジ天文台のブラッドリという天文学者が光行差を発見し、地動説の正しさが証明された。光行差の発見は1728年、年周視差の発見は1838年であった。
キリスト教的な世界観の崩壊のためには、地動説は役に立たなかった。
結局のところ、地動説が否定されたのはばかげた感情や宗教的情熱からではなく、観測に基づくちゃんとした証明によってであった。
その一方で、キリスト教的な世界観のほうは崩壊の一途をたどっていた。それは多くをギリシア哲学に依っていて、この宇宙の全ては球によって説明できるという世界観であった。球はどの部分をとってもへこみもとがりもなく、そしてどの球も他の球の相似形である。これらの特徴からもっとも完全な立体は球であるとされていた。
完全。この言葉がキリスト教的宇宙観のキーワードだった。
ガリレオ・ガリレイの観測の中で最も衝撃的であったのは、実は太陽黒点であったようだ。完全無欠の象徴ともいうべき太陽に汚らしい黒いシミがあり、それが出来たり消えたりしているというのだから、ショッキングだったことだろう。
そして、この完全無欠さを立て直そうと努力した天文学者が一人いた。その名前はティコ・ブラーエという。望遠鏡を使わなかった最後の天文学者である。
ティコは、おそらく人間の限界に挑戦したと言えるのではないだろうか。肉眼で何年にもわたり、火星の位置観測を延々続けたのである。その観測データから惑星運動をきちんと証明し理論立てるというのがその目的であった。
だが、ティコの観測は二つの点で裏切られることとなった。
まず、ティコはその観測中に新星を発見してしまったのだ。完全無欠なはずの天球に、突然今までなかった星が出現したのである。天の完全さに対し、さらに疑問が持たれることとなった。
そして、ティコは志半ばで倒れてしまう。その遺志を継いだ弟子のケプラーは、ティコの観測データをもとに惑星運動の3法則をうち立てた。彼はそれによって地動説に立脚すれば惑星運動がどうなるかを示した。
ただ断っておかなければいけないのは、ケプラーはティコと違って地動説に立脚したが、それは天球の完全さを求めるが故であった。彼にとって周転円などというわけのわからないものを付け足すことは耐え難かった。地動説に立脚すれば、もっと簡潔で幾何学模様を基本とした宇宙が描けるではないか。
ケプラーの法則は、神秘主義の色が濃い。そのうえ、実は経験則であって理論的なものはなかった。
この法則から導き出されたニュートンの引力の法則が正しいことが証明されて初めて、ケプラーの法則は経験則の域から脱したのであった。これは17世紀の末であったが、あくまで地動説でも理論的に問題がないことを示しているのであって、地動説の証明は光行差の発見を待たねばならなかった。
理論をうち立てる上で必要な道具がそろっているかどうかというのは重要なことである。地動説は結局のところ正しかったが、17世においてはそれを証明する道具……緻密な観測機器……がないから否定された。これに対して、否定した人たちは責められるべきであろうか。むしろ、証拠もないのにまるで正しいかのように強弁した側のほうが責められるべきではあるまいか。
3.素人は正しかったのか? 〜A.ウェゲナーの大陸移動説〜
私がA.ウェゲナーについて読まされたのは、たしか中学校の国語の教科書だったように思う。……理科ではないのが救いといったところだろうか。
その内容は、印象的な部分しか覚えていないのだが、かなりひどいものであったように思う。全体的に私の国語の教科書への印象は悪い。
ヨーロッパの噴水を見ろ、あんなにきれいなのに日本の噴水はなんだ、という論調とか、
クラシックのコンサートはあれはなんだ。しわぶき一つも上げちゃ駄目なマナーなんて、人間としてどうなんだ、とか。
ちなみに前者に対しては、日本の気候が根本的にヨーロッパと違うということを認識していないという問題点が上げられる。後者に対しては、クラシック音楽がどういうものか……コンサートホールに一つの宇宙を作ろうという試みであり、観客を含め全ての音が調和的であるという完璧な世界の創出を目指す……を根本的にわかっていないという問題点を上げることが出来るだろう。
さて、ウェゲナーの話は、非専門家からの意見の重要性、というのが一つのテーマとなっていたように思う。(ただし、これらの話はもう手元に教科書はないし、私の印象にすぎないということを付言しておこう。少なくともそのころの私は、日本の噴水は汚いんだ、クラシックってお堅いんだ、専門家だけじゃ駄目なんだ、と無邪気に信じ込んだのだった。)
気象学者ウェゲナーは、ある時大西洋の地図を見ていてふと気づいた。アフリカ大陸と南アメリカ大陸の海岸線が、まるでジグソーパズルのようにぴったりとくっつくということに。
ウェゲナーは、昔は二つの大陸は一つであって、その後まっぷたつに割れて間に大西洋が出来、今ある形へと変わっていったのだと論じた。彼のこの説を「大陸移動説」という。
大陸移動説は、当時の学会には受け入れられなかった。大陸が動くなどということは信じられない話だったし、当時の学者たちにとっては素人の戯言にすぎないと思われた。
ウェゲナーは必死で証拠集めに奔走する。インド亜大陸の氷河の跡、生物の分布、地質の分布を調べ、自説を補強しようとした。
そんななか、ウェゲナーは1930年の誕生日、グリーンランドで飛行機に乗ったまま行方不明となり、帰らぬ人となった。グリーンランドに行ったのは、証拠集めのためだった。
彼の死後、大陸移動説は誰も信じるものがなく、忘れ去られていった。
しかし、1960年代になって、実は大陸が動いていたことが明らかとなった。ウェゲナーは正しかったのだ。
以上が、私の覚えている教科書のおおよその記述である。
さて、以上のような記述は、話としては面白い。素人研究者のあっと驚く大発見。素人故に受け入れられない苦悩。そして死後に回復される名誉、というわけだ。
だが、大きな問題点がある。
ウェゲナーは、間違っているのだ。
ウェゲナーの説の最大の問題点は、なにをおいても大陸が移動する原動力を説明できなかったことにある。大陸が動くことが信じられなかったのではない。動くことが証明できなかったのだ。
そして、まるで死後にウェゲナーが正しかったことがわかったような風に書いてあったが、大嘘である。1960年代に登場したのは海洋底拡大説、そしてその拡張として登場したプレートテクトニクスであり、これらは結論としては大陸が動くことを証明しはしたが、基本的にウェゲナーの大陸移動説とは別物である。ウェゲナーは海洋底についてなんら触れていないし、地球がいくつものプレートに分かれているなどとは全く思いもしなかっただろう。
両者の共通点は、説の結論が「大陸は動く」というところに至るというこの一点に絞られる。というよりはむしろ、ウェゲナーの説はたんなる経験則であって理論ではない。
ウェゲナーの説は当然、忘れられる運命にあった。それが偶然、正しい(今正しいと思われている)説と結論が似ていただけの話なのである。
科学というのは、ものを知ろうとする過程であると同時に、理論立てて系統立てることを目的としている。もしそれが結論が真理であっても、理論が間違っていれば×である。数学のテストで、これのせいで泣いた経験は誰しもあると思う。解答欄に書いた答えが正解と一致していても、それにたどり着く論理がちんぷんかんぷんであれば、その論理は当然否定されてしかるべきである。
素人が科学的大発見をするというのは一つの夢だ。……多くの人は科学の専門家ではなく、その一方で科学の専門家のトップに与えられる数々の栄誉を知っている。その中でもとびっきりのトップクラスは、歴史にその名が金文字で刻み込まれ、後世の学生が覚えるために頭の容量のいくらかを使うのだ。もし覚えにくい名前なら憎まれ口なぞも叩かれるかも知れない。
だが、一つのことを証明するためには、証明のための道具が必要なのである。道具を知るためには当然、専門家にならなければならない。であるなら、科学的大発見をする一番の近道は結局、科学者になることなのだ。
もし、科学的大発見を手中にしても、科学者でなければその価値すら知らないまま、ということにもなりかねない。
遺伝学の大家として誰でも名前を知っているメンデル。彼はエンドウ豆の栽培を通して遺伝の法則を理解し、ある植物学者に論文を送ったのだが黙殺された。それで、その研究は無意味であるらしいと打ちひしがれ、それ以上の研究をやめてしまったのである。
もしメンデルがその道の専門家で、自分の手にある研究が大きな意味を持っていると知っていたなら、彼はもっと別な方法を探し、それを発表しようとしたことだろう。だが彼はそれを知らなかったのである。
メンデルの死後、3人の科学者が……彼らの名誉のために名前を挙げておこう。オランダのヒューゴー・ド・フリース、ドイツのカール・コレンス、オーストリアのエルリッヒ・ツェルマークだ……が偶然遺伝の法則を発見し、発表しようとして気づいた。メンデルという数十年前の素人がその法則を既に発表していたのである。
彼らは、遺伝の法則の発見者はメンデルであるとして公表した。この彼らの行動がなければ、メンデルの苦労は全く忘れ去られるところであったのだ。そして、彼ら3人の良心があったからこそ、メンデルは遺伝の法則の発見者として知られることとなったのである。
メンデルは……もっと責められるべきはその黙殺した植物学者であるが……素人であるが故に、自分自身の発見の重大さを知ることなく死んでしまったのである。
素人に、科学的大発見は可能だと思いますか?
○参考文献
「地球の形は」「失われた一世代」(ハヤカワ文庫『アシモフの科学エッセイ8 次元がいっぱい』)アイザック・アシモフ