注)アルファベット表記について。
当コンテンツにおいては、アルファベット表記について以下のように定める。
"kya"……ヘボン式ローマ字表記(音声になるべく正しく従ったもの)
(kja)……認識に従ったアルファベット表記(認識になるべく正しく従ったもの)
「認識に従った」とは、音声上そうとは限らないことを示す。
つまり、例えば、"kya"(日本語)=(kja)="cha"(ロシア語)といった場合、kj(kの口蓋化)は日本語においては"ky"(キ)という音であるが、ロシア語では"ch"(チ)という音になるということを示している。口蓋化については以下のコンテンツで説明される。
1.拗音とはなにか
日本語には、直音と拗音の対応がある。
拗音とはキャ、ジャ、ピャのように、子音+ヤ行という構造を持った音であり、
直音とはカ、ザ、パのように、子音+ア行という構造を持った音である。
撥音「ン」および促音「ッ」をのぞき、日本語の音声は全て拗音と直音のどちらかに分類される。
さて、この拗音であるが、ローマ字表記にすると面白いことに気づく。
(1)サ行とタ行だけ、「子音+ya」と表記しない。(以下、簡単のために濁音は扱わないことにする。)
カ行 カ"ka"→キャ"kya"
サ行 サ"sa"→シャ"sha"
タ行 タ"ta"→チャ"cha"
これは、直音の子音(つまり、sやt)が、後についたya,yu,yoのために引っ張られ、少し後ろで発音されているためである。それだけではない。saの拗音がshaとなり、shyaとならないことから、このyがs→shという変化を起こして消え去ってしまっていることも読みとれる。
つまり、こうである。
s+ya→sy+a→(sy→sh)→sha
この変化は、多かれ少なかれ拗音全てに起こっている現象である。つまり、キャ(kya)といった場合にも、その起源はk+yaではあるが、発音は「少し変化したk」+aなのである。
この、ya,yu,yoに引っ張られて発音が多少変化する現象を、音声学では口蓋化と呼んでいて、口蓋化した子音は肩にjを乗せるのが正しい発音記号となる。ここでも「j」をつけて口蓋化を示すことにする。つまり、こうなる。
キャ(kja)
シャ(sja)
チャ(tja)
この「sj」「tj」が英語のsh,chに偶然一致する(レ#とミ♭が一致するようなものだ)ために、ローマ字表記ではこれらの表記を利用するのであって、実は拗音の子音は全て口蓋化によって直音と別の子音に変化していることに注意されたい。
(2)サ行とタ行は、イ段の子音が直音ではなく拗音の子音と一致する。
カ行 カ"ka"→キ"ki"
サ行 サ"sa"→シ"shi"
タ行 タ"ta"→チ"chi"
これは、(1)の論から推定して、シはsji、チはtjiであると推定できる。母音iも口蓋化を起こすことが出来るのである。実は、外国語においては「口蓋化を起こさないi」というのも存在し、yで表す(発音記号ではない)が、日本語には存在しない。
言い換えれば、日本語のイ段は、表向きや文法上直音と扱われるものの、音声上は実は拗音だということが出来よう。
2.スラヴ系の言語における拗音=軟音
このような直音−軟音の対立を持っているのは、日本語だけではない。
主要な外国語の中では、ロシア語もこの対応を持っていて、直音−拗音ではなく、硬音−軟音と呼んでいる。口蓋化は、ロシア語においては「軟らかくなる」と捕らえられるのである。
この、軟音化と呼ばれる現象は、ロシア語を初めとするスラヴ系の諸言語において大きな意味を持っていて、これなしにスラヴ系言語を理解するのは難しい。
スラヴ系の言語において、軟音がわかりにくい概念となってしまっている理由は、二つある。
一つには、これらの言語は日本語と違い、子音のあとに母音が来ないことがあるということだ。
実は古代においては、必ず子音+母音という日本語と同じ体系を持っていたらしいのだが、その後母音が消え、脱落するという現象を被った。結果、英語と同様に子音がたくさん重なるということもよくあり得るようになった。
そのため、口蓋化した子音(軟子音……「軟らかくなった」子音)だけで、その後ろに母音が来ないこともあるのである。
もう一つの理由は、口蓋化した際に日本語と違う音になる子音が多いということである。
日本語では、カの拗音はキャであり、ローマ字表記すると"kya"となるが、ロシア語においてはカの軟音はチャ"cha"なのである。つまり、子音"k"の軟音は"ky"ではなく"ch"といえる。これを表にすると、以下のようになる。
| 無声音 | 有声音 | |||||
| 元の子音 | ロシア語の軟音 | 日本語の拗音 | 元の子音 | ロシア語の軟音 | 日本語の拗音 | |
| 唇音 | p | py | py | b | by | by |
| m | my | my | ||||
| f | fy | -- | v | vy | -- | |
| 歯・歯茎音 | t | ty | ch | d | dy | j |
| n | ny | ny | ||||
| s | sy | sh | z | zy | j | |
| 軟口蓋・喉音 | k | ch/ts | ky | g | zh | gy |
| h | sh | hy | ||||
| 流音 | r | ry | ry | |||
| l | ly | -- | ||||
この表はいろいろと面白いことを教えてくれる。
まず、唇音においてはロシア語の軟音と日本語の拗音が一致する。
歯・歯茎音においては、ロシア語の軟音は元の子音+yであるが、日本語の拗音は違う子音に変化している。
軟口蓋・喉音においては、ロシア語の軟音は違う子音に変化しているが、日本語の拗音は元の子音+yである。
ということが読みとれる。
但し、スラヴ系の言語においても、軟音の扱いは多少違うことがある。
チェコ語やセルボ・クロアート語においては、歯・歯茎音や流音の軟音は硬音と違う子音と見なされ、軟音に変わったことを示す記号や文字を使わなければならない。
チェコ語などにおいては、ハチェック「'」または上下逆にした「^」によって表す。
つまり、tの軟音はťであり、nの軟音はňであるといった具合である。
セルボ・クロアート語のローマ字表記においては、nとlの軟音がそれぞれnj、lj(それぞれこれで一文字と見なす)となる。
また、チェコ語のrの軟音(ř)はチェコ語にしかない特殊な音を表し、rから連続してžへと変化していくという変わった音である。
このように、諸言語によって多少の異同があるとはいえ、スラヴ系の言語にも日本語と同様の直音−拗音対立があるということが出来よう。
最後に、ロシア語・チェコ語・セルボ・クロアート語履修者のために、それぞれの音の軟音をまとめ、表にしてこの項を終わろう。
| 元の子音 | ロシア語の軟音 | チェコ語の軟音 | セルビア語の軟音 | クロアチア語の拗音 | |
| 唇音 | p | пь | p | пь | p |
| b | бь | b | бь | b | |
| m | мь | m | мь | m | |
| f | фь | f | фь | f | |
| v | вь | v | вь | v | |
| 歯・歯茎音 | t | ть | ť | ћ | ć |
| d | дь | ď | ђ | đ | |
| n | нь | ň | њ | nj | |
| s | сь | s | сь | s | |
| z | зь | z | зь | z | |
| 軟口蓋・喉音 | k | ц/ч | c/č | ц/ч | c/č |
| g | ж | ž | ж | ž | |
| x | ш | š | ш | š | |
| h | z | ||||
| 流音 | r | рь | ř | џ | dž |
| l | ль | l | љ | lj |
赤字で書いた文字は、「中立子音」と呼ばれ、あとに続く母音によっては軟子音ともなるし硬子音にもなるという子音である。
3.「C」の変遷
「C」という文字は、言語によっていろいろな読み方をされる、外国語会話においてのひとつのハードルとなると言ってもいい。
このような状況になったのは、おもにヨーロッパ人たちが(くくったと怒らないで欲しい、多くのヨーロッパの言語でそうなのだから)"k"という音の口蓋化が苦手だという事情がある。
例えば、アメリカ人は"Tokyo"が発音できず、"Tokio"という。つまり「キョ」という発音が苦手である。
スラヴ系言語で"k"の軟音が"ch"となるのは、上で見たとおりである。
だが、「C」という文字の読み方を混乱させた最大の原因は、「ラテン語の崩壊後キ、ケが発音できなくなった」ラテン系の諸言語にある。
ラテン語においては、Cはkという子音に対応していた。
従って、Ciceroはキケロと読まれる。Cに他の読み方はなかった(当然だが)。
ところが、西ローマ帝国崩壊後、ラテン系諸民族はCi,Ceをキ、ケと読まなくなる。
具体的には、Ci,Ceをイタリア語ではツィ、ツェ、そのほかの言語ではスィ、セと読むようになったのである。
この結果、フランス語、そしてその読み方を受け入れた英語においてはCi,Ceはスィ、セと読まれる(centuryのように。)。
また、イタリア語、そしてその読み方を受け入れたドイツ語においてはCi,Ceはツィ、ツェと読まれる(Cを「ツェー」と読むように)。
なお、変化してs、もしくはtsと読まれるCを「軟らかいC」、もとのままkで読まれるCを「硬いC」と呼ぶ。ロシア語の軟音、硬音と同じ概念の上に立ってると言えるかも知れない。
なおKは、ラテン語においてほとんど使われなくなっていた(ギリシア語にはあったのだが、アルファベットを仲介したエトルリア語になかったため、ラテン語には最初伝わらなかった。)のだが、Cが上記のように変化してから、キ、ケを普通に使用していたゲルマン系の民族たちによって復活させられた。
4.まとめ
いくつもの言語を学ぶ上で私の混乱を呼んだ、「軟音」とCの読み方を扱ってみました。
実は、お願いがあります。
当コンテンツでは、外国語の文字をユニコードによって表記してみました。以下の文字がユニコードで書かれています。
ť(チェコ語、tの軟音)
ћ(セルビア語、tの軟音)
ć(クロアチア語、tの軟音)
ď(チェコ語、dの軟音)
ђ(セルビア語、dの軟音)
đ(クロアチア語、dの軟音)
ň(チェコ語、nの軟音)
њ(セルビア語、nの軟音)
č(チェコ語とクロアチア語、"ch"またはчにあたる音)
ž(チェコ語とクロアチア語、"j"またはжにあたる音)
š(チェコ語とクロアチア語、"sh"またはшにあたる音)
ř(チェコ語特有の子音、分解するとržといった音)
џ(セルビア語、džに相当する音)
љ(セルビア語、lの軟音)
これらの文字が表示されているのかどうか、お使いのブラウザ名とともに教えていただけると幸いです。