3.家畜の所有権の移動
さて、ここで先ほど引いた本からもう一つの箇所を引用しよう。
「兵士が家畜を奪う……不法だが「日常的な」出来事だった。その出来事は襲われた農民たちにその農場の放棄を強いることもあり得た。奪われた人は奪われた家畜を買い戻すよう強要されたが、そうしなかったときには兵士たちは2・3の村に家畜を追い立て、そこで定価以下で売り渡した。新しい所有者から家畜がすぐに奪われなかったとき、彼らは自分の農場に必要ではないその動物を軍あるいは最も近い都市に売り飛ばした。兵士たちもまた、彼らの手に入れたものを大部分農村において引き渡したと考えられた……結局は、財産の再分配だけが起こったにすぎなかった。」(参考文献1,P90-91)
ここでは先の酒保商人については触れられていないが、家畜に関して興味深い経済活動が行われていたと主張している。兵士たちは家畜をまず買い戻すよう強要したというのだ。だが、掠奪された側の農民が兵士に捕らえられていて、かつ買い戻すだけの財を持っている可能性があったのだろうか? むしろ、その財はその前に傭兵たちの掠奪の対象になったのではないだろうか。
そうすると、傭兵たちが入手した家畜は、村で売り渡すか、あるいは引き渡すかされたのである。
そして、傭兵たちから家畜を入手した人々は、おそらくは酒保商人も含まれるだろうが、その家畜をぐんや都市に売り払ったのである。彼らはそこでおそらく利益を得たであろう。軍も都市も、彼らから得る以外の方法を持っていたとは思えないからだ。
結局この戦争状態において、損をしたと言えるのは最初に家畜を奪われた人だけである。兵士は(はした金とは言え)、掠奪によって得た家畜を売り払ったのだから利益を得ているし、傭兵たちから購入し売り払った人々もまた利益を得ているからだ。
4.人口減少の意味
上のような奇妙な状況に陥ったのはなぜだろうか。私の考えでは、そもそも人口が減少したからではないだろうか。人口減少はすなわち食料消費の減少である。そして荒廃した地方の生き残りは傭兵となるか都市に流入するかした。傭兵たちは掠奪以外に利益を得る手段を持たないので、その存在そのものが土地荒廃と傭兵の増大をもたらした。このサイクルの中で、食料過多が生じ、食料の値段は下落した。
シュミットは三十年戦争の利点として、人口減少そのものをあげている。17世紀初め、ドイツは慢性的な人口過多と食糧不足に陥っていた。この状況を打破し、ドイツ経済をある意味健全化した、というのが彼の主張である。少なくとも、経済学という観点から見れば、この主張は正しいと思う。
もちろん、人道的な観点からいって、たくさんの人が死んだからこそ出来たことだということに変わりはない。
ところで、掠奪を受けた農民たちがどうなったのかについても見ておこう。
まず考えられるのが、都市への流入である。城壁に囲まれ、自治都市として独立した存在であった都市は安全であった。必ずしも安全と言い切ることは出来なかったが、それでも都市の代表は傭兵隊長や君主と話し合って都市を守ることが出来た(多くの場合には、軍税と呼ばれる臨時徴収が行われ、掠奪の代わりとされた)。安全なときはもちろん交渉中も、農民たちは都市の中から外へと耕しに出かけることもあった。
だが、それが無理な場合には、農民は傭兵となるか、あるいは夜盗化した。夜盗化した農民たちは、時には地の利を活かして傭兵隊を襲い、食料を奪うことすらあったようだ。
傭兵となっても数多くの危険が待ち受けていた。戦争はもちろん、月10%の死亡率を記録したといわれる流行病や飢えが慢性的に彼らを襲った。
彼らは儲かるから傭兵となったのではない。傭兵とならなければ生きていけなかったのである。掠奪しても、そのほとんどは酒保商人によって巻き上げられる傭兵たちは、結局刹那的・享楽的になり、略奪品を蕩尽する以外のことをしなかった。
実は、ここで扱ったような掠奪経済の中で、最も経済的抑圧を受けていたのは他ならぬ傭兵たちだったのである。
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