2.少数民族問題の解決方法
少数民族問題を解決するには、以下のような方法が考えられる。
まず最初に、少数民族が存在しないような国境の線引きを行うことだ。
簡単に思いつくことだが、史上これに成功した例はない。
まず、難民が国境を越えて移動することを忘れてはならない。民族抑圧の他に、経済的貧困が理由となって難民が発生することもある。貧困のために同一民族のいる故国を出ることもままあるのだ。
また、遊牧民族は土地に縛られることが少ないため国境を越えて遊牧する。旧スペイン領西サハラという地域は、スペインの撤退後独立しようとしたが隣国のモロッコとモーリタニアの占領を受ける。モーリタニアの撤退後、国連の調停で住民投票が行われることとなったが、国民の大半が遊牧民であり住民登録が出来ない状況になっている。
また、民族が別々に固まって住んでいるとは限らない。ボスニアの例が示すように、複数民族が一つの街に混じり合って住んでいて、それでも民族としてのアイデンティティを保っていることもある。
二つ目に考えられるのは、少数民族と主要民族の融和である。
この方法が最も現実的であり、何度も試みられている。だが、少数民族の主張を部分的にとはいえ容れるということは、実は民主主義の原則に反している。
ここで多数の問題が出てくる。少数民族に特権を与えるということは、主要民族の不満を醸成することになるし、結局双方が完全に満足することがあり得ない以上、二民族の関係は複雑であり、危険であり、綱わたりようなものとなってしまう。
従って、この方法が選ばれるのは、「他の方法が無理である、あるいは現実的ではない」から……つまり、消去法によって「一番マシ」と考えざるを得ないからである。
だが、この方法が根本的に民族問題を解決したことはないのである。
三つ目に考えられるのは、少数民族の消去である。
多くの独裁的な国家が試みてきた方法であり、民族という概念の希薄な時代には成功を収めてきた方法である。
成功例としては、中国史上多くの異民族が漢民族に同化され、消滅した事例をあげることが出来るだろう。
だが、民族という概念が生まれることによって、とくに多数による少数の抑圧は、少数民族を団結させる一つの材料となる(「6.ギリシア人という概念」参照)から、この方法は不可能であると断じてよい。ただし、この方法が次に紹介する解決方法の起爆剤となることもある。
最後の解決方法は、最も効果を上げてきた解決方法である。
第二次大戦後領土を200km西へシフトさせたポーランドは、その分ドイツ人を少数民族として抱えるはずだったが、手元の資料によるとポーランド国民の98.5%がポーランド人である。
理由は簡単だ。その200kmの部分に住んでいたドイツ人は難民と化してドイツ本国へと逃げたのだ。
つまり、最後の方法は最初の方法の全く逆だ。……国境を民族にあわせるのではなく、民族を国境にあわせるのだ。民族紛争の起こった地域では多かれ少なかれ起こる現象で、第二次大戦によって東欧諸国の少数民族問題の多くが解決されたのである。
もちろん、いうまでもないことだが、この方法は難民の発生を前提としているという点で粗悪で暴力的である。だが、これが一番効果的な方法であったのも事実である。
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