神とのあったかい関係

 小 島 正 義 


「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」
(ルカ伝15の24)


 これはルカ伝15章の中に出てくる「放蕩息子」のお話である。ある人にふたりの息子があった。しかし、弟息子が父に「私に財産の分け前を下さい」と財産の不当な要求をしました。こんな事は子供が親に向かって言うべき事ではない。親が贈物のように任意的に与えるのが財産なのである。しかし彼は強引に父に要求したのである。これは息子の自己主張である。この息子の自我・わがままという罪の発露である。私たちも同じ様な状態になるのではないでしょうか。その事に関し聖書はこのように教えています。「人の心から出てくる物は悪い考え・貪欲・愚かさ、これらの悪はみな内側から出て、人を汚すのです。この息子は罪によって貪欲により悪い考えに陥り、愚かになってしまった。これは罪の中にある私たちも同じ事です。

 この息子の人生観について考えてみましょう。彼について聖書は「そこで放蕩して湯水ように財産を使ってしまった。」(ルカ15の13)。彼は人生の生き方を知らない、人生に対して無知な人である。彼の人生は備えのない人生−−彼の持っているお金は一時的な物で永続するものではない。又、お金はすぐに朽ちてなくなってしまう。そのあとに来る窮乏(困窮)を考えない人は備えのない人生を送っている人です。彼の人生は計画性のない人生−−そのあとに来る大飢饉を計算に入れなかった。迫ってくる危機(困難)を考えない人生をおくってぃる人は計画性のない人生を送っている人です。私たちはどうでしょうか?

 この世の衣、食、住に対する備えや計画は十分しているのに、私たちは人生そのものに対する備えは不十分ではないでしょうか。

 彼の生き方の結果はどうなったでしょうか。彼は惨めな人生の結果になった。彼の生き方による当然の人生の収穫(結果)なのです。私たちも自分の蒔いた人生の種により、その果(結果)を刈り取るのです。しかしこの息子は認罪と悔い改めにより幸いな人生に回復されました。彼は自らの生き方の誤りに気づいた。自分のわがまま(罪深さ)に気づいた。そして父と神とに対して赦しを乞うた。父は彼を許して、もう一度子として回復されたのである。私たちも父なる神に赦しを求め神の子として回復され幸いな人生を送ろう。