十字架のことば

牧 師  小 島 正 義


『十字架のことばは
滅びに到る人々には、愚かであっても、
救いを受ける私たちには、神の力です。』
(コリント前1の18)


ここで言われている「十字架のことば」というのは、神の言である聖書を指している。 この十字架のことばに対して二様の人々がいると教えている。ある人は十字架のことば(聖書)など私に無意味などと言って自分勝手な生き方をして自らを滅びの道に追いやっている人たち。又、ある人は十字架のことば(聖書)は私にとって素晴らしく有益なものとして受け取り、幸いな人生を送っている。

さて愚かな滅びの人生を送っている人々とは、どんな生き方をしている人でしょうか。特別に悪いことをしている人を指しているのでしょうか。いいえ違います。聖書の別の箇所では「人の目にはまっすぐ見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言 14の12)と主張している。この「死の道」というのは別訳では「滅び」となっている。私たちの人生、自分で平和無事であると言っている。又、自分は正しく生きている。自分は有意義な人生を送っていると自負しているのではないでしょうか。しかしそうではないことを聖書は教えている。私たちはこのままの人生を送っているなら死の道(滅び)に向かっていると教えています。どうぞ十字架のことば(聖書)に対して、せせら笑う愚かな人にならぬようにしましょう。

では有意義な素晴らしい人生はどのようにしたら来るのでしょうか。それは十字架のことば(聖書)を私が救いを受けるのに必要なものとして受け取ることです。自分の人生に限界と無力さを素直に認めている人。その人は自分の人生を真剣に考えている。又、その人に取って十字架の言は大きな手がかりとなる。聖書は私たちの古い人生がキリストによって新しくなると教えています。又、聖書によってその人は「すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた」(テモテ後書3の17)人になると教えています。

このような素晴らしい人生は自分の努力や自分の能力よってはもたらされません。私たちにとって神の力となる「十字架のことば」(聖書)にゆだねましょう。