自分のためのたくわえ

牧師 小島正義
    

「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

(ルカ書12−21)


 私たちの人生観はどんな人生観でしょうか。聖書の中に出てくるある富める農夫の人生観にちょっと目を留めて下さい。

 彼は自分のための蓄えにウェイトを置いていました。それは人間的な蓄えでした。即ち第一に穀物の蓄え。それは食生活の準備です。食べる物があれば人生は大丈夫という考えです。果たしてそうでしょうか。第二には財産の蓄え。経済生活の準備です。お金があれば私の人生は大丈夫という考えです。果たしてそうでしょうか。私たちは食べる物とお金があれば私達の人生は大丈夫だと考えています。果たしてそうでしょうか。

 次にこの農夫の生活方針ですか゛、彼は「さあ、安心して食べて飲んで楽しめ。」といっています。『安心して』というのは心配しないで、『楽しめ』というのは贅沢に食べて、お酒を飲んで楽しもうということです。自分の人生は、たとえ短くても太く楽しく生きなければ損だと考えているのです。しかしこのような人生観に対して評価しておられるお方がいるのです。それは神さまです。このような人生観に対する神さまの評価を見てみましょう。神は「愚か者。おまえの魂は、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物はいったい誰の物になるのか」と言われました。

 神さまは「この農夫の人生観は愚かな人生観(生き方)だ」といわれました。彼は自分の肉体的なことしか考えていないからです。自分の魂のことは肉体以上に重大な問題であるのに、彼はただ「自分の肉体が満たされたなら十分」という考えを持っていました。しかし私たちは自分の肉体に魂が存在している故に大事なのです。私たちの魂の問題とは、まず最初に神さまを知ることです。その次にこの神さまによって私たちの魂の救いを経験することです。この問題の解決なしでは私たちの人生観はあの農夫と同じ愚かな者になってしまいます。又私達の人生はふいになってしまいます。あなたは神を知り神によって富める人生を送って下さい。