自分勝手な私

牧師  小島 正義

「 私たちはみな、羊のようにさまよい、

おのおの、自分かってな道に向かって行った。

しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」

(イザヤ書53の6)


 上の聖句は人間の習慣的な性質(習性)を羊の習性にたとえています。「私たちはみな羊のように・・・・・・」。

 「羊のようにさまよい。」羊はとても賢くて、おとなしい動物ですが、とても愚かな動物でもあります。羊飼いに連れられて毎日行き来している道、つまり自分の所から放牧地への道を、自分で行ったり帰って来たりできません。他の動物ではそんな事は考えられません。羊はさまよい、自分の道を失ってしまいます。羊には羊飼いが必要なのです。私たちも羊と同じ性質があります。自分の人生にさまよい、自分の道をを見失ってしまいます。自分では、「これが正しい道なのか、どこを歩んでよいのか」が分かりません。私たちにも羊飼いであるイエス・キリストが必要です。

 「自分勝手な道に向かって行く。」羊は大変弱く従順のようですが、反面とても頑固でわがままな動物です。羊飼いの言うことに従わないで、自分勝手な道に進んで行きます。群を離れて、危険なところに言って自らを滅びに到らせます。私たち人間もこの羊と同じ事をしています。私たちもこの羊のように頑固でわがままな者です。神の言われる事を無視し、自分勝手な道に向かっています。その結果罪を犯し、危険になり、自らを滅びに到らせています。

 このような私たちに対する主の取り扱いは何でしょうか。私たちに対して主がして下さった事は何でしょうか。「私たちの背きの罪のために刺し通された。」主は私たちのために十字架にかかられました。私たちの背きの罪−自分勝手な私−わがままで不従順。神にも、人にも従えない。そのような私たちの罪のために十字架で主は刺し通されました。(彼の頭は茨で。彼の両手と両足は釘で。彼の背中はむちで。彼の脇腹は槍で。)

 「私たちの咎のために砕かれた。」私たちのために十字架で死なれました。「砕かれた」というのは「死に至った」という表現です。私たちの咎(私たちが犯した様々な悪・罪の行為)のためイエスは十字架にかかられました。しかしこの十字架によって私たちは癒されます。救われるのです。この主を信じましょう!