神を見出す方法

牧師  小島 正義

 

「主を求めよ。お会いできる間に。
近くにおられるうちに、呼び求めよ。」

(イザヤ書55:6)

 

 現在に生きている私たちは、表面的には神を求めているように見えないが,実は私たちも気がついていないが、私たちの心は私たちの産みの親である神を求めているのである。でもその求め方を知らないのである。一体どのようにしたら神を見出す事が可能なのでしょうか。

 神を見出す方法の一つは、近代的方法である。それは、古代人も試みるように、パベルの塔の築造である。これは人間的技術の誇示である。

 人間の技術力で神に到達可能であるということを証明しようとしたのである。長い年月と人間の多大の労力を用いて神を見出すことができるという人間の愚かな試みであった。この試みは勿論失敗であった。もう一つの人間的試みは知恵の木の実によって神になろうとの試みであった。これは人間の知恵・知識は神にひとしい、いや、それ以上であるこの誇りである。しかし知恵の木の実は彼を神にしたでしょうか。いやむしろそれを食べた人間は自分の裸であることを発見し、自らのはずかしさを知っただけでした。

 このように私たち現代人は技術や受験(科学)、そして教育(知識)の手段によって神を見出そうとしましたが大失敗をしてしまいました。このような方法ではだめなのです。

 もう一つの神を見出す方法は宗教的な方法なのです。神探求なのです。

 それは聖書によって追求する方法なのです。その第一は「呼び求める」という方法です。これは体験的な事実です。人を誰かさんと呼ぶように『神さま』と呼びかけることです。そうすれば神様は答えて下さるお方です。ただ私たちが一度も神さまを呼び求めていないから神を見出す事ができないのです。第二に必要な事は「帰る」ということです。人間には皆帰母本能があります。そのように私たち人間には皆帰神本能があるのです。私たちは大きくなっても母をしたうように私たちの心は母のような神をしたっているのです。すなおになって母親のもとに帰るように、すなおになって神さまのもとに帰りましょう。神さまはその呼び求めを待っています。