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ヘブライ語講座のパイオニア

日本ヘブライ文化協会
Hebrew Culture Association of Japan

ヘブライ語の総合案内

現代ヘブライ語から聖書ヘブライ語まで

 

ハヌカの祭り(光の祭り)

 ユダヤの祭はほとんど旧約聖書と関連がありますが、「ハヌカ祭」は旧約聖書に基づいた祭ではありません。
 聖書外典の「マカベア書」には記述がありますが、それ以外には、「ユデト書」に少し記されている程度です。そこで、ユダヤ人以外の人にはあまり知られていません。
 しかしこの祭りは、ユダヤ人以外の人にとっても意味のある祭りです。
(「ハヌカ祭」の歴史的意味を参照)
 ユダヤ社会では、「ハヌカ祭」はたいへん楽しい祭りとして受け入れられています。
 12月の寒い晩に、ローソクを灯して祝う祭りだからです。
 この祭りにちなんだ歌がたくさんあることからも、それをうかがい知ることができます。
  ハヌカの祭とは(手短に)
いつ ユダヤ暦キスレブ(kislev)月の25日から8日間。今年(2011年)は12月21日から(正確には12月20日の日没から)
なぜ 紀元前164年、エルサレムの神殿から「ゼウス像」を取り去って、神殿を潔め、ユダヤ人の独立を勝ち取ったから。
なぜ「ハヌカ」
と言う
宮を潔めて奉献することをヘブライ語で「ハヌカ」と言うから。
誰がゼウスを シリアを支配していたセレウコス朝ギリシアが、イスラエルもギリシア化(ヘレニズム化)をしようとして、ユダヤ教を禁止した。
どうして
8日間
ユダヤ人がギリシア軍をエルサレムから追放し、エルサレム神殿の宮を潔めた時、神殿内に聖なる燭台用の特別なオリーブ油が1日分しか残っていなかったのに、燭台の火が奇跡的に8日間も燃えたから。
どんな習慣がある 祭の間毎夕、8日間燃えた火を記念してローソクに火を灯す。
何を食べる 油にちなんだもの。一般的には「スフガニヤ(揚げパン)」、「レヴィヴァ(ポテト)」
歴史的な意味 ヘレニズム文化に対抗した。ユダヤ教絶滅の危機を乗り越えた。
 
 
ハヌカの祭とは(詳しく)

 名称

ハグ・ハヌカ 宮潔めの祭
ハグ・ハウリーム
חַג הָאוּרִים
光の祭
 歴史的背景
 紀元前2世紀、パレスチナ地方(シリア)はセレウコス朝ギリシアに支配されていました。特にアンティオコス4世・エピファネス(在位前175-164年)の時代になると、ローマに対抗するため国力の強化策を行い、帝国内のヘレニズム化推進すると同時に、多額の増税による搾取を始めました。
 ヘレニズム化政策はエルサレムにも及び、エルサレム市内に競技場が建設され、紀元前167年には「ユダヤ教禁止令」が発布され、安息日を守ることが禁止され、豚肉を食べることを強要し、トーラーの学習禁止、割礼の禁止などを発布し、ついにはエルサレムの神殿にゼウス像が祭られるに至りました。
 その頃、祭司の家系であったハスモン家の長マタティヤウが住んでいたモディインという村に官吏が送られ、ゼウスの祭壇に豚を燔祭として捧げるように強要しました。一人のギリシア化した男が燔祭を捧げようとした時、マタティヤウは官吏とその男に切りつけ殺してしまう事件が起きました。
 マタティヤウは息子や協力者と共に荒野に逃れ、「マカビーの反乱」が始まりました。マタティヤウの病死後、息子のイェフダ・マカビー(「マカビー」は彼の渾名)は反乱の指揮を執り、ゲリラ戦法によって次々とセレウコス朝ギリシアの軍隊を撃破し、前164年キスレヴ月の25日、ついにエルサレムを奪還し、神殿からゼウス像を取り去って「宮潔め」をおこないました。
 この勝利によって、ユダヤ人は政治的、宗教的独立を勝ち取りました。
その後、この「宮潔め」を記念して「ハヌカ祭」を祝うようになりました。
 
「ハヌカ祭」の歴史的意味
 もしユダヤ人がセレウコス朝ギリシアのヘレニズム化政策に屈して、聖書を捨て、ゼウス神を受け入れていれば、聖書は紀元前160年代で無くなっていたかも知れません。
 そうすると、その後のユダヤ教はなく、キリスト教も発生することなく、イスラム教の発生もありえなかったことになります。
 現在、「ハヌカ祭」はユダヤ人の祭りですが、ユダヤ民族以外の人にも大きな意味を持っていると言えます。
 
8日間になった歴史的理由
 キスレヴ月の25日にエルサレムが解放され、神殿が潔められましたが、それから2ヶ月前のスコット(仮庵の祭)は神殿で祝うことができませんでした。そこで、人々は祝うことができなかったスコットの掟をまねて、「宮潔め」を記念することにしました。
  第2マカベア書 10:5-6
 神殿の宮潔めはキスレヴ月の25日におこなわれたが、その日はかつて異邦人によって神殿が汚された日であった。仮庵の祭のしきたりに従って、ユダヤ人たちは喜びのうちに8日間を過ごしたが、ついこの間、獣同然の状態で山中や洞穴で、仮庵の祭をしたことを思い出した。
 民数記29章によれば、仮庵の祭には8日間毎日燔祭を捧げることになっています。第1日には雄牛13頭、第2日には雄牛12頭、第3日は雄牛11頭、第4日は10頭、第5日は9頭、第6日は8頭、第7日は7頭、第8日には雄牛1頭でした。
 神殿崩壊後、エルサレムで燔祭を捧げることはなくなりましたが、「宮潔め」の時に「スコット」のしきたりを模倣して祝った記憶はユダヤ人の中に残りました。
 そこで、油の伝説にこのしきたりを当てはめて、独立を勝ち取った喜びを代々記憶していく方法を考え出したのです。
 ところがここで問題が一つ生じました。どのように火を灯していくかの方法が問題になったのでした。民数記のように考えるならば、第1日目にローソクを8本、第2日目に7本と、数を少なくしていかなければなりません。
 「シャマイ学派」と「ヒレル学派」の議論
 第2神殿末期、ユダヤ教には主に2つの学派がありました。老シャマイを長とする「シャマイ学派 בית שמאי」と老ヒレルを長とする「ヒレル学派 בית הלל」でした。
シャマイ学派」は、仮庵の祭に照らし合わせても、また油が燃え続けた事実に照らし合わせても、だんだん少なくしていくべきであると主張しました。
 「ヒレル学派」はハヌカの光は、自由と勝利の象徴であるから、だんだん多くして、イスラエルの光が増して前進していく象徴とすべきであると主張しました。
 結局、だんだん喜びが増していく方がよいという考えから、1本から8本という方法が民衆に受け入れられ、今日まで至っています。
:最初はローソクを灯したのではなく、オリーブ油を使ったランプのようなものでした。
 
油の伝説
 神殿を清めて、神殿の燭台に火を灯す際、神殿用のオリーブ油が1つしか見つかりませんでした。
 神殿で使う油は、製法が特別な上等品で、しかも大祭司が封印したものでなければならなかったからです。
ところがこの1日分の油が、8日間燃え続けるという奇跡が起きました。
 そこで「ハヌカ祭」は、「」にちなんだ祭りになりました。
エルサレムでは神殿に再び光が灯り、信仰できる喜びに沸き立ちました。
 
ローソクの灯し方
この8日間燃え続けた火を記憶するために、ローソクを灯す習慣は以下のように行います。
まず、「シャマッシュ」と呼ばれる種火用ローソクが灯されます。
1日目はその種火を使って、1本のローソクに火を灯します。ローソクの数は、種火と1日目のローソクを合わせて、2本になります。ローソクはハヌキヤーの右側から立てていきます。
2日目は2本のローソクと種火で3本。新たに増やした2本目のローソクから火をつけます。
3日目は3本のローソクと種火。新たに増やした3本目のローソクから火をつけます。
8日目は8本のローソクと種火で9本になります。
ローソクは右から順番に立てていきますが、火を灯すのは左から順番につけていきます。
 ハヌキヤ − חנוכייה
 上記のようにローソクを灯す習慣から、「ハヌカ祭」には「ハヌキヤ」と呼ばれる燭台(ローソク立て)が準備されます。この燭台にはローソクを立てる場所が8本分+種火の9箇所あります。
 一般的にローソク立てと言うと、エルサレムの神殿にあった「メノラー」と呼ばれる7本(7枝)の燭台を想像しますが、「ハヌカ祭」用のものは本数が違います。

 ハヌキヤは各家庭で灯され、必ず窓際に置かれます。それは、この奇跡を一人でも多くの人に知らせるためです。

 お土産に買う人は本数をチェックすることが大事です。

 
 スフガニヤ − סופגנייה
 油の伝説にちなんで、「ハヌカ祭」では油を使ったものを食べます。もっとも一般的なものは、「スフガニヤ」と呼ばれるものです。
 中にジャムを詰めた揚げパンやドーナッツのようなもので、季節の風物詩とも言えます。
 
 レヴィヴァ − לביבה
 さらに家庭ではポテトを刻んだり、すりおろしたりして油で揚げる「レヴィヴァ」と呼ばれるものを食べます。
 
 セビボン − סביבון
以前、「ハヌカ祭」は子供たちにとって思いっきり遊べる期間でした(現在は必ずしもそうではないが)。
祭りの期間中は、学校の授業は午前中で終わったからです。
「ハヌカ祭」は必ず冬なので、戸外の遊びよりも、屋内の遊びが盛んになりました。
もっともポピュラーな遊びは、「こま回し」です。
この「こま」はヘブライ語で「セビボン」と呼ばれます。
もともと東ヨーロッパのユダヤ人の間ではやったものが、
その他のユダヤ人社会にも広まったと言われています。
歴史的な謂れは、ユダヤ教が禁止されていた時代にも密かにトーラーを学んでいました。
その時、突然兵士が踏み込んで来た時、”こま遊びをしてました”と言い逃れたからだと伝えられます。

 この「こま」は、丸いこまではなく、4面の四角いこまです。それぞれの面にヘブライ文字が1つずつ書かれ、全部で4文字になります。その文字とは נגהש で、ローマ字に置き換えると「NGHS」となり、次のような意味があります。

ヌン ネス (Nes) 奇跡
ギメル ガドール (Gadol) 大きい
ヘー ハヤー (Hayah)  あった
シン シャム (Sham)  そこに


 この4文字は、「
נס גדול היה שם 偉大な奇跡がそこにあった」という意味の頭文字になっています。

 この海外の習慣がイスラエルに伝えられ、「偉大な奇跡がそこにあった」ではなく、「偉大な奇跡がここにあった נס גדול היה פה」という意味で、「NGHP」と書かれた「こま」が使われています。

ヌン ネス (Nes) 奇跡
ギメル ガドール (Gadol) 大きい
ヘー ハヤー (Hayah)   あった
ペー ポー (Po)   ここに

 

 

マオズ・ツール
 
「ハヌカ祭」には、「マオズ・ツール(岩の砦よ)」という歌を歌う習慣があります。この歌は12世紀、第3次十字軍が出発する頃(1180年)にドイツで書かれたと推測されていますが、詩人の名前はモルデハイとしか伝わっていません。
 当時のヨーロッパ社会におけるユダヤ人の状況が反映されているとも考えられています。
マオズ ツール イェシュアティ
砦よ 岩の 私の救いの
レハー ナエー レシャベッハ
あなたを すばらしいことです。  賛美することは
ティコン ベート テフィラティ
修復してください 家を 私の祈りの
ヴェシャム トダー ネザベッハ
そしてそこで 感謝を 私たちは捧げます
レエット タヒン マトベアッハ
〜の時 あなたが備える  滅びを(虐殺を)
ミツァル ハメナベッハ
うるさく吠える敵たちに
アズ エグモール ベシール ミズモール
その時 私は終えます 歌で 賛美の歌
ハヌカット ハミズベッハ
潔め 祭壇のを

 

  מעוז צור ישועתי

  לך נאה לשבח

  תיכון בית תפילתי

  ושם תודה נזבח

  לעת תכין מטבח

 מצר המנבח

  אז אגמור בשיר מזמור

  חנוכת המזבח

 

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最終更新日 : 2011/11/18