大分県玖珠郡九重町

主な銘柄

 麦焼酎「むぎっ娘」

 麦焼酎「なしか」

 麦焼酎「粋・呑(すいどっとのむ)」

 麦焼酎「銀座のすずめ」

 麦焼酎「銀座のすずめ 琥珀」
              (樽貯蔵)

(清酒「笑門 八鹿」)

訪問:平成13年1月28日

八鹿の焼酎との出会い

八鹿酒造の焼酎との初めての出会いは、行きつけの床屋のマスターの話だった。マスターは仕事で大分や宮崎によく行っていた。その度に酒席が設けられるのだが、酒が弱いマスターには結構つらかったらしい。

「『百年の孤独』というのをおみやげにもらったけど、あまりおいしいと思わなかったんだよね」

しかし、そんな下戸のマスターが、一度飲んだところあんまりいけるので、横浜に帰ってから、製造元から直接取り寄せて時々晩酌で飲んでいる焼酎があるという。

「それは、大分の”カン”という焼酎なんだけど。字は柑橘系の”柑”。」

その時はそこまでの話で終わった。気になって、後で一応調べたが結局その焼酎のことはわからなかった。

実際に「かん」に出会ったのはその2年後、98年のことだ。蔵の地元、九重町の酒屋でそれが八鹿の焼酎であることを確認した。2年前の忘れかけていた話がよみがえった。その焼酎、正しくは「酣」と書く。麦焼酎で35度。樽貯蔵モノのようで琥珀色をしていた。マスターが「柑」などと言うから一時は柑橘果汁の入った焼酎(果実酒)ではないか、などと想像していたが思い過ごしであった。

次の出会いはそれからさらに2年後、2000年夏のことだ。九重町に「龍門の滝」という有名な滝がある。天然のスライダーと呼ばれるように、なだらかな滝で滝すべりができる。そこに遊んだ帰り、のぞいた酒屋で「きじ車」という粕取焼酎を手に入れた。1987年製とあった。気になったその古酒は、何とこれが八鹿製。

そして半年が経って、2001年1月。知り合いの酒屋さんに焼酎蔵見学をお願いしたところ、紹介していただいたのがその八鹿酒造。何という偶然だろう。都合4年半かけて、細いがしかし長い糸がようやくつながった。いよいよ八鹿酒造を訪問する。


八鹿の天気予報

八鹿酒造訪問の前日は別府に泊まった。せっかく大分まで行くのなら温泉に浸かりたい。それなら、蔵への移動に無理のない範囲に日本屈指の名湯、別府温泉があるという訳だ。別府八湯の中でも一番高所にある明礬(みょうばん)温泉をその日の逗留地に定めた。

その日、大分方面は雨だった。山間部では降雪があったようだが、福岡から大分に移動した私たちには影響がなかった。しかし、東京は大雪に見舞われていた。東京から大分へ飛んで別府で合流する予定だった後輩は、結局来ることができなかった。


明礬温泉から眺める明礬橋
橋のむこうには別府の街と別府湾

その夕方、旅館でテレビを見ていると、八鹿酒造提供の「八鹿の天気予報」が放映されていた。首都圏で言うと、ヤンマー提供の「ヤン坊、マー坊、天気予報」みたいなものだろうか。大分の人たちにはとてもなじみのある天気予報だそうだ。明日見学に行く八鹿酒造に妙に親近感がわいてきた。ただ残念なことに、その天気予報はあまりいい予報を告げてはいなかった。


別府−九重ルート

翌日、別府を後にして九重町(ここのえまち)に向かった。別府から九重に至るルートとしては、高速道路(大分道)と一般道の2つの選択肢がある。いずれにしても湯布院を抜けていくことになる。大分道を使えば九重町はすぐだ。ちなみに大分道を使うと、別府インターから入って九重インターまで、別府湾が一望できる別府湾サービスエリアや、由布岳を真正面に見ながら走る道など、眺望の感動には事欠かない。そちらも捨てがたいのだが、見学の約束は午後である。時間の余裕もあったので、今回は一般道のゆっくりとした時間を楽しむことにした。

別府から湯布院に抜ける県道11号(やまなみハイウェイ)は標高が高いこともあり、前日の雪がまだ路肩に残っていたが運転に支障はなかった。雪化粧をした鶴見岳、由布岳を眺めながらのドライブは悪いものではない。途中、「ゆふいん狭霧台」からは迫力の由布岳と湯布院の町が一望できる。

湯布院で昼食を取り、約束の午後1時少し前に蔵に到着した。蔵の前に、現地で待ち合わせたOさんの姿が見えた。黒木本店の見学以来、約2年ぶりの再会だった。


雪の由布岳
狭霧台からの眺め

大分の焼酎事情

大分の焼酎蔵の特徴として、焼酎専業は数えるくらいしかなく、ほとんどが清酒と兼業であるということが挙げられる。また、「いいちこ」や「二階堂」のイメージに代表されるように、つくられる焼酎はほとんど麦焼酎である。その点、八鹿酒造は大手の清酒蔵であり、兼業でつくっている焼酎も大分スタンダードの麦である。大分の焼酎事情を見るサンプルとしてはまさに格好の蔵という訳だ。

Oさんとの再会を喜ぶ挨拶もそこそこに、早速蔵に訪ね入ると、3人の方が出迎えてくれた。応対してくださったのは、営業部推進部長の松井さん、製造部の大塚さん、そして営業の山下さん。

「遠いところをようこそいらっしゃいました。東京からですか。雪は大丈夫でしたか?」

前日は別府に泊まったこと、東京から来る予定だった後輩の一人が雪で来られなかったことなど、簡単な世間話の後、酒造道具やパネルなどが展示してある部屋に通された。そして蔵見学。蔵の中を案内して下さったのは製造の大塚さんだ。営業の方が迎えて下さったのは、今回の見学をコーディネートしていただいた酒屋さんとの関係だろう。大塚さんも、一般の見学ならここまで見せないですけど、と言いながら丹念に案内してくださった。


笑門

蔵の外からはわからなかったが、内側には古い造りが残されている。まず蔵の入口に立つと、頭上には「笑門(しょうもん)」の額が掲げられていた。これはこの蔵の清酒の銘柄名にも使われている。それまでいくら腹が立っていようが、酒造りに入るためにその門をくぐってからは、笑って造りに向かうようにとの先人の思いが込められたものである。その笑門をくぐって蔵見学がスタートした。


清酒蔵と焼酎蔵

笑門の先は、清酒蔵。名前を「永錫蔵」という。中ではちょうど搾りの作業が行われていた。各工程を非常に丁寧に案内していただいたが、ここでは割愛する。その後、焼酎蔵へ。

黄麹を使う清酒と、白麹を使う焼酎。麹とはカビの一種であるから空気中を飛散する。ゆえに、清酒の蔵と焼酎の蔵は互いの麹の影響を避けるため、敷地内の端と端に位置している。いや、「内と外」に位置している、と言った方が適切かも知れない。昭和50年代から手掛けたという後発の焼酎蔵は、敷地の外と言った方がいいような場所に建っている。


搾りたての清酒

蔵に入ると蒸留器がまず目に付く。蒸留器は常圧、減圧合わせて3基ある。麹作りは自動製麹機だ。さすがに、麹室のような情緒的なつくりはここにはない。大きなタンクでは、もろみが沸騰した湯のようにしきりに発酵していた。

一通り見学を終え、最初に通された部屋に戻ると、清酒の試飲がセットしてあった。酒を交えて先のお三方との酒談義が始まった。

今回のこの蔵を訪問するにあたって私が持ってきた課題が2つあった。その話をするためには、この蔵の焼酎のラインナップについて触れなければならない。


麦焼酎のもろみ
煮立てたかのように湧き上がっていた

それぞれに違う麦焼酎

八鹿酒造は、それぞれに特徴をもった麦焼酎を揃えている。標準的な製品として「むぎっ娘」がある。

そして「なしか」。眼を引く黄色のパッケージに「ばかご」のキャラクターが愛らしい。減圧蒸留の麦焼酎に常圧の全麹仕込みの麦焼酎をブレンドしたのものだ。

さらに、二次仕込みの際に加える麦に「米粒麦」を使うのが、この時発売されたばかりの「粋・呑(すいどっとのむ)」。「麦精焼酎」と銘打っている。麦を割ることで真中の黒い筋を取り除き、米粒のようになった麦を仕込みに使うというものだ。

このように、麦焼酎の中身が色々なバリエーションで構成されている。


「ばかご」
「なしか」のキャラクター

それで先程の課題の話に戻る。私の課題のひとつは、「なしか」にブレンドする麦全麹仕込みの焼酎を試飲させてもらうことだった。

全麹仕込みといえば、泡盛。米麹だ。また、球磨焼酎(米焼酎)でも全麹仕込みを試みる蔵が出ている。そして芋焼酎にも全麹仕込みのものが出ていた(国分酒造「芋」。但し、「芋」は2000年以降は全麹仕込みでなくなっている)。米全麹、芋全麹、と来れば次は麦全麹が来ると考えるのは当然の流れだろう(実際、麦全麹の焼酎は他社から発売されていた。)。ブレンドではあるが八鹿酒造の「なしか」は麦全麹を使っているという。であれば、是非飲んでみたい。蔵に行けばそれが飲めるはずである。

しかし、事前に言っておいてくれれば用意したが、ということで準備が付かず結局は試飲できなかった。だが、麦全麹の焼酎についての話を伺うことはできた。それをブレンドするとコクが増すということだ。想像していた答えだった。但し、ブレンドを前提としているように、それ自体を商品化する考えはないようだ。大分は減圧のすっきりで売れた成功体験があるためか、市場がそうなのか、どうもコクが強いものには抵抗があるように感じた。


清酒蔵の粕取焼酎

もうひとつの課題は粕取焼酎だ。清酒蔵の特徴として、清酒造りから出た酒粕を利用して粕取焼酎をつくっていることが多い。こちらでも「きじ車」という粕取焼酎を造っている。清酒を搾った後の酒粕に水を加えて再度発酵させ、それを常圧蒸留器で蒸留する。それから8年くらい貯蔵した後、製品化される。冒頭に触れたように、半年前にこの貯蔵古酒を手に入れて以来、その素性が気になっていたのだ。

先程の麦全麹の話の後、話を「きじ車」に移し、貯蔵しているところを是非見せて欲しいとお願いした。大塚さんに案内され、再び清酒蔵の方へ。貯蔵タンクの並ぶ部屋に入った。いくつかあるタンクの中のひとつを指差して大塚さんが言った。

「この中で、このタンクだけ他と違う造りをしたやつなんですよ」

粕取焼酎には2つの造り方がある。先に書いたような現在主流のつくり方と、酒粕にもみがらを混ぜて、それをおこわを蒸すようにセイロで蒸す方法である。セイロの頭に「兜」を乗せてアルコール分を含んだ蒸気を集め、冷却して焼酎を取り出す。先のタンクにはその昔ながらのつくり方をした粕取焼酎が貯蔵されているという。しかしこの「兜釜」をメンテナンスできる職人さんがいないことから、この方式で蒸留される焼酎はもう出て来ないかもしれないという話だった。

そこまで聞くと実に気になる。その貯蔵原酒を試飲してみたくなるのが人情だろう。だが、それはできなかった。長期貯蔵中の蒸発を防ぐため、タンクに目張りがしてあるのだ。いずれのタンクもきっちり目張りされ密閉されている。試飲などおぼつかない。結局課題は2つとも果たせずじまいだった。


「きじ車」の貯蔵タンク
手前のタンクを見ると縁に目張りしてあるのがわかる。

八鹿の天気予報のてん末

課題を果たせなかった無念の思いを残して蔵を辞した。Oさんとも別れて、車は福岡へと向かった。前日夕方の「八鹿の天気予報」が告げていた通り、天気は下り坂になってきた。日田のあたりから降り出した雨がみぞれとなり、雪に変わるのに時間はかからなかった。

チェーンもないというのに、大分道から九州道に入ったあたりから雪になり、路面はみるみる白くなって行く。やがてワイパー最速でないと前が見えないくらいに。いつ車を乗捨てようかと考えながら走っていた。ノーマルタイヤで雪の九州道をひた走り、無事に帰っただけでもめっけものだ。

「八鹿の天気予報」は良く当たる、などと冗談言ってる場合ではない。さすがにこの時は、いつものように蔵見学の余韻を反芻している余裕などなかった。


2001.09.20