北欧古代史絵巻の解読

アスツヴァンサルミの年代考


 フィンランドのヘルシンキ北東にあるサイマー湖の玄関口となるリスティーナの町に アスツヴァンサルミという岩壁画がある。この名は星座名にある竜.座 の主星となるツヴァンに因むものと考えられ、壁画は五万年前の北極星であったツヴァンを表すものと受けとめられた。この年代は、日本の熊野灘に面する太地 町の梶取崎の岩壁にある太鼓岩に彫りこめられた同心円の標を琴座のべガとして九万年の値を付けるものにつづくものと考えられる。この九万年から四万年を経 たものがこ のアスツヴアンサルミの山羊の群れの絵巻となるだろう。さらにこの系譜はまた四万年を経て表されるフランスの洞窟画アルタミラにつづく。

 もとより、これらの事はどこにも有史以来記録されてはいない。これらは、それ以前の歴史解読によって脈絡を得て理解されるものであるというしかない代物 であ るが、べガとツヴァンの関係は、地軸の歳差というものによって、二万五千八百年を周期として一回りをするという現象によって北極星が移動することから、と も に二つは北極星を担う関係になる。北極星を担うものとして、そのほかに現在もそうである小熊座ポラリスや、ケフェス座、白鳥座、ヘラクレス座などの星など もあるが、名がつくのは、先のべガやツヴァン、ポラリスなどのほかに、白鳥座のデネブ゜くらいのものといえよう。

 さて、このアスツヴァンサルミの.岩壁画は1968年に発見されたといわれているが、そこに画かれているものとは山羊座の山羊である。この山羊の群れに あたか もその飼い主達であるような人物群が組み合わされている。このツヴァンの竜座になぜ山羊座の山羊が絡んでいるのかはよくわからなかったが、ほかの天の北極 点 まわりにある六星座を考えてみるときその答えがおのずと分かって来るようになっている。
 この答えは同じ北欧にあるスウェーデンのターニュムの世界遺産、ヴィートリェッケ地区、フォッスム地区、アスペベリェット地区、リツレビュー地区にある 岩盤絵等にもあるが、アスツヴァンサルミの岩壁画は先んじてその基礎知識をあたえるがごときものと思われる。
 たとえば、アスツヴァンサルミで山羊座がからむとして、小熊座をどうかと考えてみる。
 黄道十二星座には、雄羊座、雄牛座、ふたご座、かに座、獅子座、乙女座、天秤座、さそり座、射手座、山羊座、水瓶座、魚座、とあるが、この中には 人型・器物型以外の動物座となるものが山羊座をふくめると七星座がある。
 まず、竜座には山羊座が組み合わされるとすると、小熊座(ポラリス)にはスコーピオン(さそり座・主星アンタレス)となるだろう。このスコーピオンは土 を掘るスコップでもあって、それがポラリスの掘るに結びついている。小熊座は柱に結び付けられた小熊がぐるぐる回っていると表現されるが、当然そのことに よって足元の土が掘り窪められることになる。それがすなわち、ポラリスの名の由来であろう。もちろん、これから解読される語は基本的に和語ということにな る。
 次にケフェス座に組み合わされるのは、雄羊座となるだろう。すなわち、ケフェスは王という設定である。雄羊は角の見事な羊で「美」という形になる。角も 見事だがその毛も見事で、それがケフェスの音のケに結びついている。また、ケフェスは日本において気比ともされ、吉備ともなってビの音の美、伊美(大分県 国東市国見町伊美)につながる。

 次の白鳥座のデネブはデウスのことでもあり、牛に変化してオイロペ(エウロペともいう)をヨーロッパに連れていったという神話にならえば、組み合わされ るのは雄牛座(主星ア ルデバラン)ということになろう。

 次に琴座のベガには魚座がなる。この魚座はすぐそばのペガサス座の大方形を通して南の魚座(主星フォマルハウト)と連動する。ペガサス座はアンドロメダ 座とつながっているが、大方形のアンドロメダ座の側の線を延ばせばカシオペア座の右端の星を指してなお北極星を指し示し、反対側の線を南に伸ばせば南の魚 座を指し示す位 置にある。このべガがベアになると太鼓岩の熊野につながることになる。そしてまたペアになることて゜牽牛星の鷲座(主星アルタイル)を呼び込む。ちなみ に、ベガと組む魚はアゴとも呼ばれる飛魚である。このアゴは単なる顎のあごではなくAGOにもなる。

 次のヘラクレス座と組み合わされるのは、かに座と獅子座である。この二つの星座を併せ持つのが佐渡島となる。といっても、大分県聖岳の洞窟から出た黒曜 石の異型石型が示す日本列島上の配置図による。ヘラクレスの冒険神話にこの二つの星座の動物が登場することで知られる。
 以上のように竜座と山羊座の組み合わせを合わせて六組の星座関係が成り立つごとくである。この山羊座のあるところが長野県佐久にある下茂内石器遺跡であ る。そ こは古代の石材加工所で、壷が二つ埋納されていた。つまり、山羊座はこのような二つの壷をもって表されるのであろう。すなわち、ツヴァンはまたツボの音に なり、倒語にすると靴のブーツともなるのである。

 下図は岩壁画の側にある説明図のごときで、インターネット上に公開されていたもの。この図を借りて絵解きをすると以下のようになる。
Astuvansalmi

 最初におことわりしておくと、この描画は現地人のものではないということである。つまり、自然発生的に芸術的感興につきうごかされて、あるいは必要に応 じて住民が製作されたものではないということになる。フィンランドではもとより当然のこととして当時の住民によって残された文化財という観点からその年代 を算出している。すなわち、その年代はおよそ紀元前二千年とし今から約四千年前の当地の石器時代の遺産とする。しかし、もし、住民ではなく、わざわざ出か けて行って記録に残したものとすれば、その年代は氷河時代までさかのぼる事にも成るだろう。つまり、前述したように五万年前の営為でもありえるといえるの であ る

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 当然であるがこれが本当に五万年前の遺産であるかどうかを疑った。たしかに冒険者達が氷河期に訪問したとして、その作品が氷河期に氷河の活動で 削り取られることもなく残ることが出来たか。もし、消えてしまうものなら、ふたたびその作品がどんな形にせよ復元されるということもありえる。なにしろ、 この絵巻は前一万年以降のものとされるアルタやターニュムの世界遺産である岩盤絵の解読に密接に関連しているからである。しかし、アルタやターニュムの方 の年代もまた、一 応疑ってみる必要があるともいえる。
 私がまず気づいたのは右上の岩の上のバードである。鹿児島の上野原遺跡から発掘された異型石器の中にもバードの型はあった。それは国東半島の鷲巣岳に通 じていた。その鷲巣岳の対面に山の上にこぶのように乗っかっている裸岩の小さなメサがある。バードはそのことを惹起していると考えた。そう思ってみてみる と、左 端の薄れた山羊の形はその山々の谷あいの下方にある海岸線の姿に重なった。その山羊とつながるボートは砂洲の内側にある入り江となろう。ここに古代の港が あった。その名を「大伯津」(大靴)という。この名は出雲風土記に出てくる名前でありその地で地名でもある。
 しかし、個人的な感慨でそんなことが分かってもしょうがないという のが現実である。私は年代表記をさがした。これがまことに記念物であれば経験上大概の古代記念物物に付属していると考えられたからである。そこで、この図 をためしに反転させてみてみることにした。それが下の図である。

倒置図

 もし、この図に尺度があるとすれば、半島の双子山から鷲巣岳につづ゜く谷間の地名である。先述のようにバードの位置を千灯の東山のメサとすれば、左側の 端は千灯の地名になる。次は野田、新崖、中村、伊美となるが、さらに、中村の西側、山際につづく、中須賀、友安となる地名の集落がある。
noda

 千灯につづく野田の集落に対応するのはこの図である。この絵は人面とかんがえていいだろう。すなわち、山羊の図を逆さにすると人の顔になる。このような ことをサイマー湖沿岸に住んでいた古代の人々がするはずはない。この人面はどこか中米アステカ王の肖像画に似る。この顔の特徴は鼻がおおきく眉間の下に段 差がない。つまり、地名の野田は今で言う英語の「ノーズ」になる。

CinGai

 野田につづくのは新崖の地名である。この絵はピカソの絵のようなものと考えればこれも人面になるだろう。よくみれば目が三つにもなるが、この絵の特徴は 口 の下の大顎である。新崖の新は英語であごのことをいうチンになるだろう。ガイは呉音のガクの穏便とすることもできる。しかし、この崖はのちにバードの下の メサにつうじることになる。
 ところで、この図のユニークさは、そのアゴの形態がアラビア数字の「5」を示すところにある。さらに右となりとなる位置の逆さになった人物が示すのはお なじく「4」という数字である。ここには大きな「5」と小さな「4」が寄り添う形で並んでいるのである。

Naka]ura

 次は新崖につづく中村である。この図をみるとやはり人面で手に持ったものを必死の形相で噛み千切ろうとしている。何をかんでいるのかと思えば、ちょうど 中須賀の位置にあるような吊り下げられた干し肉のごとくである。ともあれ、この図の示すのは、カムという行為となろう。すなわち、ナカムラ(中村)の音の 中のカムに相当 することになる。さきに新崖のところで「54」の数字を発見したが、ここには噛むという行為は食い千切るという行為に置きかえられるということから漢字の 「千」という漢数字があらわれることになる。そう思えば、図の口の形や手の形、棒状の干し肉の形などを交差させたものを全体的にみればたしかに太字の 「千」の形が見えてくる。つまり、これ「54・千」とつながるものにちがいあるまい。

Ookutu

 さて、初めに見たように、つぎの図は伊美の地名にあたるのだが、実際は大靴に対応する。山羊はさかさになってブーツになっている。つまり港の名、大伯津 である。また、先のボートも逆さになることで馬の首の鬣になる。側に立っていた人物図はその馬の口を締める馬具の一部といってもいいだろう。大靴の踵の部 分にちいさな線があるが、これは靴底の踵の皮の厚みを表現するものであろう。では靴の土踏まずより前方の底板はどこにあるかというと、すこしはなれた右上 部に靴底の模様が存在する。位置としては今は何もない海上である。海面が今より何十メートルも下がっていたころは何かあったのかもしれない場所である。こ の 大靴と馬の関係はというと、靴の皮が馬のそれだったことを示すのであろう。となると、先の干し肉も馬肉ということになる。しかも、その干し肉は馬の鼻の穴 にも似ている。すなわち、鼻の穴は地名の中須賀に相当することになろう。つまり、スカとはスカスカの空洞ということである。ひるがえってまた、空洞は「食 うどう」とも通じている。

 中須賀の地名も出たところで、となりの友安の地名はどうなのかと考えれば、馬頭と大靴の上に二本の斜めのやや平行線とその下の点とで人の眼があることに 気がつく。つまり、ヒトミ、アイということになる。友安は安友とすれば「アンイウ」である。これはアユでもあるが、アイでもある。また友のトモはヒトミの トミにも対応することになろう。そして、ヒとミはイミの音の穏便で伊美の地名にも通じている。馬頭の下のやや曲がりをみせる二本の線が蛇であれば「へみ」 にもなり、 伊美の「ひみ」にも近いものとなる。もとよりこれはツヴァンの竜座をあらわすものであるから当然かもしれない。

SenDo

 この図は千灯地名の分の図である。これも人面である。左側の山羊一頭分は言葉にすれば「足す」ということになろう。逆さになった山羊は先の大靴とおなじ ことだが、今度は靴ではない。それで足となるが、それがこの足すの言葉になる。この分は人面の部分にはならない。人面の目の部分は左上の逆さ人物のよこに ある小さな丸で、おそらく瞳の部分であろう。右の目は二頭の山羊の線に囲まれた小さな点が黒目の瞳孔という設定であろう。下の山羊の首は眼の大きさを表し ているごとくである。次に真中の部分の交差した山羊二頭は鼻に相当する。下の山羊の角と思えるものが四本になって意識的な作為を感じるだろう。これはまち がいなく、逆さにしたときに鼻毛とみせるためにちがいあるまい。それも鼻に通じさせるためである。この鼻の部分は野田のノーズとおなし゜。また、下のバー ドが示した岩山のメサは、バードの「歯あど」でまちがいなく口になる。鼻も口も肉が落ちたシュールな表現になっているが、これが新崖の顎と中村の噛むが来 たものといえよう。
 この千灯の地名には数字的に訳すればすでに「万」が入っている。すなわち、中村の千と「灯」の十を掛け合わせればその数字になるからである。つまり、こ の図の基数は万であるとすると、鼻の部分にある山羊の横腹にある黒点を中にして上にある下の山羊の腹部の湾曲線と、交差する上の山羊の前足までの胸の線、 および少しの腹部の線で「5」の字をつくり、黒点を小数点として先の鼻毛の四線で「5.4」という数字を作り出す。この鼻毛の四線はすでに四千とおなじ意 味を持っている。すなわち、これで、先に新崖・中村の図で示した「54・千」とおなじ、五万四千年という紀年銘をメッセージすることになるだろう。この数 字 は紀元元年からさかのぼって付けられたものではない。紀元元年をゼロ年とするカウントダウン方式で決められていたものである。つまり、超古代では西暦元年 は歴史年数が終わる世紀末という考え方である。それがなければいくら数字のごとくに見えても何の事かわかるまい。しかも、漢字や今の英語などを否定してし まえば何も見えなくなる。

ゴースト
ゴースト花

 こちらは倒置前の千灯地区のゴーストである。左側の絵には口もあり耳もあり眼もあるということと、その鼻もだが口の形(下唇がつぼんで垂れている)から みてもブタの絵のごとくである。問題はその特徴的な鼻の部分であり、全体をもって人面とする千灯の図の中にこの絵があることは、この部分に人の鼻があると い う先述の結果を認めるささえになろう。さらに、倒置した右側の図を見てみると、人型と山羊の尻の線等でつくる、「ソ・ヒ」というような文字らしきものが見 つかる。このソヒは漢字にすると祖鼻であり鼻祖である。しかしまた、「ソ」の字に横棒をいれて「サ」にしてみると、さかさ人物像そのままを使う「花」の字 になることもみる。花の音は鼻に通じている。
 この花の字の下部になる「化」の字は、「イ・ヒ」とも分解できる。このイ・ヒはまたイ・ビともなって全体地名の「伊美」になる。美の中にはもちろん山羊 の羊 の字が入っている。ちなみに先ほどの鼻祖は遠い先祖のことをいう。

 探検隊は海路は水軍が行き、陸路はトナカイや馬を使って山師が行ったと思われる。山師は世界中の有用な鉱物の鉱脈を見てまわり、そこへの通路を確定する ために大地の測量をする義務があった。その義務はまた部族の権益でもあったであろう。海の方はもちろん水軍が測量する。
 たとえば、竜座のツヴァンは前2790年前後に北極星として輝いていたという。そうすると、一周25、800年の歳差のその二周期前は前54、390年 頃ということになる。ウルム氷期は12万年から一万年ころまで続いたというが、その間にも多少の変動があり、間氷期もある。五万年ころは多少ゆるんでいた のかもしれない。当然彼等はそれ以前の氷河期における最大規模も観察したであろう。どこが削られてどこが残るかぐらいは検討したにちがいない。さらに何万 年前かの間氷期に訪れた探検者たちがのこした遺跡も見てみたに違いない。
 この探検の存在のヒントになったのは長野県の野尻湖から発掘された「月と星」と名づけられた象牙と大角鹿の角のセットの遺物である。残されたころの年代 は前35、000年ころとする。これを象牙の月とするものを日本列島の.象形とし、星とする鹿の大角の各枝の先をユーラシア大陸の駅停とあててみたところ から発している。最終到達点はスウェーデンのバルト海沿岸の都市マルメになった。そのマルメの北にエーテボリがあり、その北部にターニュムの岩盤絵の数々 がある。だから、このアスツヴァンサルミが行路をはずしたフィンランドにあることにはなかなか気がつかなかった。
 野尻湖の35、000年は、南ヨーロッパのフランコ・カンタブリアの洞窟壁画の始まるころである。そしてほぼ前一万年前のアルタミラの洞窟壁画で終わ る。

 ちなみに、山羊が竜座にからむのは、水軍の食料とするためとおもわれる。その食料はミルクであろう。そのために多くの壷が必要になる。山羊のための水を 入れておく 壷、しぼったミルクを貯めこむ壷、どちらにも必要になる。

 スウェーデン・ターニュムの岩盤絵

リツレビューTUV
 (Vitlycke Museum)
 これはターニュムのリツレビュー地区にあるパネルに残された岩盤絵である。中央に立つ槍を構えた人物がツヴァンの化身である。すなわち、槍とそれを持つ 腕で 「T」の形をつくり、両腕で「U」を、さらになにももたぬ反対側の片腕で「V」の字の形をつくるがごとくである。すなわち、ツヴァンのTUVになる。この 人物像の特徴は大きく張り出した脹脛(ふくらはぎ)である。影絵のごとき絵であるが、これでこの人物が大靴すなわちブーツをはいていることを表している。 ブーツはまた「VUT」になるだろう。このツヴァンの槍が指 す方向に山羊座がある。すなわち、二つの艀のような形の船であるが、それそれ前後に丸い標をもつ。おそらくこれが山羊座であることを表す壷であろう。ま た、右下にある小さな人物は何かに腰掛けている形に作るが、これはすなわち、竜座の星をつなぐ線の形を表すものと見られる。そのとき、ツヴァンのある位置 は、足もとのブーツのところにある。地名のリツレビューは「連れ」、すなわち、竜座と山羊座は連れだというのであろう。このことはアスツヴアンサルミの壁 画が山羊座の山羊で表現されていたことで北極星座が他の黄道十二星座と組み合わされるヒントになったことに同じである。このリツレビューのパネル画は直接 アスツヴァンサルミの洞窟壁画につながっている。ちなみに、左下に散らばる動物はその尻尾の上がるもののあることを考えると犬と思われる。腰掛ける人物像 の左横、すなわち、下部中央の絵は犬橇ということになる。これは探検の初期段階で、日本列島での犬ソリのことを表す可能性がある。

フォッスム

 (Vitlycke Museum)
 これはフォッスムのパネル画の一部である。これはいわばワールド マップ ともいうべきものであろう。中央に居る大男はツヴァンになるだろう。地 名のフォッスムというのは、左下の動物を指定している。すなわち、これは獅子座のライオンである。このフォッスムの発音をを日本語にすると「穂積」という こ とにな る。つまり、このライオンは、伏せたライオンに似たライ麦の刈り取った穂積にほかならない。天文図では獅子座のとなりに乙女座のスピカがあるが、このスピ カはライ麦 の穂という設定になっている。したがって、そのライオンを棒で叩くがごとき人物はその組み合わせによりヘラクレスであろう。しかし、この人物の腰の物も曲 がっている。

 この絵巻の全体の構成をみると、右側が日本列島で、左側はブリテン島を含めたヨーロッパということになり、上部にある三つの標はスカンジナビア半島およ びフィンラン ドということになる。そこには壷の形とおもえる標があるが、これは左端大きな人物像の二人目が重なっているものとともに蟹バサミである。つまり、スカンジ ナビア半島の二つの大きな黒丸も蟹の上下の甲羅に似せたものとなろう。下の方の黒丸は氷河期のバルト海湖を表すものであろう。この絵の主人公となるツヴァ ンは曲がりくねった腰の物をもつ。したがって、地図の配分を調節(ヨーロッパ部分の占める比率が大きすぎる)するために、その左側の人物に移行するごとき である。この人物の腰の物も同様にスラリとしたものではなく曲がっている。
 
 この絵には年代の違いが記入されている。まず、北欧の大きな黒丸を五万年代とする。次に、右側中央よりにある少し小さくなった黒丸をシナ四川省の四川に 合わせ 四万年代とする。四川の川は千の音に通じるが、大きさからすれば万年代にはちがいない。つぎがヨーロッパの三万年代である。したがって、左端の海上の黒丸 は二万年代ということになろう。アイルランドのダブリンなどという地 名はそのせいかもしれない。ちなみに、三万年代の黒丸の位置はフランス東部のナンシー(7−4)からジジョンのあたりになるだろう。

ツヴァン

 この北欧の位置もツヴァンの移動に合わせ実際はもっと西方に移るが、ともあれ、絵巻の物語はつづく。蟹バサミが二つ割れした下にも黒丸がある。これはハ サミを壷と見立てたときに、その割れ目から零れ落ちた形に画く。この黒丸は比較上の判定で一万五千年の標だが上の五万年から引くもので三万五千年代(五万 四千年からだと三万九千年か)とする。
 さらにこの黒 丸は下に落ちてツヴァンの肩のあたりに至る。すなわち、これはツヴァンの名と同じく二万年代とすることになろう。これは氷河が進んでいった年代を表すので はないかと思われる。この二万年代の黒丸の位置はおおよそミンスク・オルシヤあたりになる。移動した先はポーランドのビドゴシチ(−5+7)やトルニとい うところであろう。
 およ そ二万五千年代の氷河の位置は北緯55°から50°のあたりになるというのが科学的知見である。この緯度の範囲をたてにするとデンマークの北フリージャ諸 島や半島の付け根のハンブルク、フランクフルト(50°)などというところである。ハサミの壷の左隣にある黒丸は琴座べガの標である。ツヴァンとの北極星 の時間の差はおよそ九千年になる。また、ツヴァンからべガに移るにはその差一万七千年ともなる。その間に小熊座ポラリスや、ケフィエス座.、白鳥座デネブ などが 挟まる。このべガの輝きをしめすような放射線のごときものは飛魚のいわゆるアゴとの組み合わせである。アゴという魚の漁は夜間おこなわれるが、舟の上に掲 げられる灯火の明かりに引き寄せられ浮かび上がってくる時を狙って手編で掬い取るという漁法が今でも行われている。つまり、明かりに集まるという顕著な性 質があることがべガとのくみあわせにつながるだろう。すでにこの記念事業のはじまるウルム期の九万年代前後には間氷期があったらしいの で、記念絵のあるスカンジナビア半島北部のアルタにも入れたかもしれない。

ナンシー

 蟹バサミ状の甲を着込んだような人物のヨーロッパ西部に現れたのは四万年代ということになろうか。ふたりが為している行為は同盟の契りを結んでいるよう な祝杯と考えられる。右側の甲の人物の捧げているものも杯である。左側の人物の杯はその面の大きさを表し、左側の人物のそれは底の深さをあらわしている。 両者 の杯は結ばれていて距離をあけることはできないようになっている。これはお互いが信頼できなければできないことといえよう。ちなみに左下の少人物の位置は イベリア半島になる。それより下はアフリカになる。

アルコール

 この絵のライオンのいるあたりは今のアルジェリアあたりになるだろう。このヘラクレスたちは一組で日本列島を出発したときと同じメンバーのごときであ る。一人は槍を持ち、つぎは刀、その次は弓矢を持つ。弓矢をもつ人物の髪は長くよこになびいている。ところで、槍のうしろには入れ物を持つ人物がいる。 ちょう どイタリア半島の北部である。つまり、ライオンのごときものから棒で其の器につながっている。まるで管のごときものである。これは物資の移送である。アフ リカで採れたライ麦を彼等が運ぶ。あるいはすでにその地で酒に醸造されていたかもしれない。受け取る人 物の足はイタリア半島とギリシア 半島になるだろう。
 はじめの人物のいるあたりはカルタゴあたり。次はトリポリからベンガジあたり、三人目がエジプト、エチオビアあたりとなるだろう。

 さて、ライ麦はイタリア北部のベローナに集まる。そこで醸造された酒はアルプス越えの道ブレンナー峠を越えてインスブルックに運ばれる。こうしてアルプ スを越えた後はミュンヘンに至ることになろう。甲を着た人物とツヴァンの人物の刀の尻があたるところにある白抜きの丸は、ドアのノック金具のような、ある いは 人が腕を上げて大きく丸をつくっているようなものがベローナとブレンナー峠の位置になることであろう。この酒かビールをヨーロッパの二人が飲んでいたわけ である。いうまでもなく、こうした地名は和語・日本語で解く。ベローナは舐めること・呑むこと、ブレンナーはぶれる事・ふらつく事、インスブルックは飲 酒、ミュンヘンは身変で酔っ払うこととなる。

;  列島発進

kumano

 右端の日本列島と見立てるところには二頭の鹿の図がある。この二つの鹿はその角に微妙な違いを持つ。ここに持ってきたのは下の方の分であるが、これを瀬 戸内海と紀伊水道、そして淀河と其の先の琵琶湖と見立てる。そうすると、前足部分の紀伊水道の右側は紀伊半島となるわけだが、其の先に太地町の太鼓岩があ ることになる。つまり、そこにべガの標が残されている。微妙にちがうというのは、この鹿の角の枝は八本だが、正面を向くもう一方の鹿の枝は十一本になって いることである。つまり、この鹿の角の枝の数も万年に直すことが出来るのかもしれない。こちらの鹿の図の意味は、まだ瀬戸内海が今のような形ををとどめて いるということである。つまり、間氷期の絵ということになろう。氷河期には瀬戸内は干上がっているからである。
 絵の端に二つの黒丸があるが、この二つは合わせて一万年となるくらいの大きさである。この二つは鹿の角の横にあるずっとちいさな黒丸に変換される。つま り、鹿の絵は地政学的に大きすぎるものだからであろう。こうしてこの鹿の年代は枝の八本とこの一万年で九万年代を示すことになろう。すなわち、太地町の太 鼓岩の年代である。このときの端の二つの黒丸はのちにおなじような並びの黒丸をもつ絵に重なる。つなり、おなじような絵のパンチ穴のごときものであると考 えられるからである。

herakures

 ここにあるボートには五人の人物が乗っているようである。年代に直すとこれが五万年代を表すことになる。また、上の鹿の角の枝は十一本あったが、これに 上にある三個と一個の黒丸の二万年を足して十三万年とする。
 ところで、弓を持つ髪長の人物の鏃の先にある棒のごときものは黄河の一部分をあらわすと見られるが、さらにこの縦棒はシナ大陸の大きさを略するものでも ある。彼の立つ位置はほぼ朝鮮半島から志那北部にわたる広さということになるだろう。
 さて、この絵の注目すべきは右上にある三人の人物達の様子である。まず、棒を立てて腰を曲げ後ろ手に腰をつかむがごとき二人の人物は野尻湖を表している と考えられる。二人の動作は野糞の形である。この野外でする排便をまた野尻と表現するからである。石器時代や縄文時代に山野を往く者にとってこれは当たり 前の行為である。トイレなどの整備はないのがあたりまえである。おそらく鹿の角のまるい輪は野尻湖であろう。もうひとりの人物はこういうときの見張り番で ある。獣と間違えられていつ矢がとんでくるかわからない。この三人とひとつの黒丸でおそらく三万五千年ということになろうか。つまり、この地に「月と星」 の標の象牙とオオツノ鹿の角が埋納された頃にあたる。
 ちなみに、野尻湖の周りには黒姫山(2053m)斑尾山(1382m)飯縄山(1917m)という火山がある。さらに、飯縄山の西側には戸隠山 (1904m)があるのだが、これらが北欧の三つの標に対応しているがごときものがある。バルト海湖とした甲羅の裏身につく.足のふたつにカギのごときも のが認められ、それが見張り番の立ち居振舞いが、まるで両足をふんばって戸を引き開けようとする形に見えるに重なるからである。すなわち、その戸を開ける にはカギがいるというオチになる。つまり、戸隠のゆえんである。黒姫山は甲羅の方の織姫べガにあたり、割れた壷のようなカニバサミは斑尾山の半になるが、 この半はアスツヴァンサルミの五万年の五を示すことになろう。飯縄山と戸隠山は二つで一つということになるが、イヅナ山の名は年代を問う「いつな?」とも なり、また、戸隠の戸と、飯縄の飯の字をあわせて「戸飯」としツヴァンと読ませることになるのかもしれないのだ。この四つの山の後ろにもなにやらにかよう 山の名がある。すなわち、斑尾山のうしろに妙高山(2446m)、黒姫山のうしろに雨飾山(1963m)、飯縄山・戸隠山のうしろに高妻山(2353m) があってそれぞれ対応している。妙高はコウの五、すなわち五万年で斑尾の五万年を受け、雨飾りは黒姫のアゴの飾りに言及する。また、高妻はタカツマから、 アカヅマになり、戸隠の戸が、「アカズ」と補強する。
 
 先に中心にいた大きな人物像のツヴァンがミンスクあたりからポーランドのビドゴシチあたりにまで移動したが、おなじように四川の四万年代の黒丸をも西に 移動させてウラル山脈の南にあるフェルガナにまで持ってくる。この黒丸の上にある動物はおそらく馬であろう。探検隊の移動はゴビ砂漠やタクラマカン砂漠な どをトナカイの橇で移動し、フェルガナあたりから馬を使ったとオオツノシカの駅停の段で理解している。其の馬を捕まえようとする棒を持ったヘラクレスの上 にそのトナカイの絵がある。ユーラ シア大陸の東西を分けるウラル山脈は東経60度で南の端は北緯50度ほどになり、フェルガナは東経70度の北緯40度のあたりになる。ちなみに、四川省は 東経105度、北緯30度のあたりになる。このフェルガナのことを中国では大宛と表記する。すなわち黒丸の大円におなじである。フェルガナは先の四川省の 数字が増えるというところであろう。

  地形と人物像

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 人物像が地形を表す場合がある。前章の三人の中腰姿が野尻を描きながら、地図上のベーリング海峡や、あるいは樺太北部の間宮海峡を示すこともあるとする ならば、この中央部分の絵の中の一番上の人物像の持つ斧は北極解に突き出したカニン半島を、また、その斧の先にある黒丸はコルグエフ島を表している。さ らに、その東にある小さ目の黒丸はバイガチ島のごとくである。このカニン半島の西側はコラ半島で、間に白海につづく入り口の海峡がある。人物像の西に五千 年ほどの大きさの黒丸が二つある。上の黒丸を白海の中のコラ半島の付け根にある都市カンダラクシャとするならば、下の黒丸は白海から南に接するオネガ湖の 東の都市コノシャとなるだろう。さらに、コノシャを中心に北のカンダラクシャとほぼ等距離の南にあるミンスクの東となりオルシャに行きつくだろう。これは 真中の人物の持つ小さな斧の頭の丸に対応している。この三つの都市はすべて語尾が「シャ」でおわる。このシャはバイガチ島の黒丸の下にある空をとんでいる ようなトナカイの角が示すように、数字の「3」を意味していると考えられる。しかも、その3は三万年のことでもあろう。
 すなわち、コノシャとは、シャのコで、三万五千年を意味し、オルシャは、シャのオルで三万年を意味していると考えられるのである。オルとはオールや降り るをあらわすのであろう。ただし、オルシャのとなりのミンスクは、五万から三万を引いてツヴァンの二万年になった所である。
 これらに対して一番北のカンダルクシャは五万三千年をあらわしていると見る。頭のカンダラがコザラの穏便系で、530をあらわし、下のクシャがシャクの 百を表すことで53,000年となったのである。シャクを39ととれば、39,000になるはずとなるのが、コノシャやオルシャの読み方に同じことなのだ が、カンダラクシャの場合はそう簡単ではない。このカンダラクシャに似たような地名がイベリア半島北部、海岸線の一番の西端の壁画を持つ洞窟にあって、ア ルタミラなどと同じくフランコ・カンタブリア洞窟壁画群を構成する。その名はペニア・デ・カンダモの名で知られるこの群の中では一番古い壁画洞窟となって いる。この時、カンダモは、5,3とモモの百との合成で5300となり、ペニアのピンの一万をあわせて15,300年となっていたからである。ペニアはそ のまま二万なのかもしれないが、ともあれ、カンダラクシャは五万三千年を表すことになるだろう。

 ユーラシア大陸を横断する陸の舞台とは別に当然インド洋まわりの水軍部隊があるが、そのほかに北極圏まわりの水軍も存在していた。大陸横断するにはまず 列島から樺太島沿いに海の氷原を往き、大陸に到達する。その後はシベリア廻り、モンゴル平原廻りなど、中央アジアにある天山の北側を往くか、南を往くかに 別れる。北極圏ま わりはベーリング海峡を抜けて海岸線沿いに西へ行く。北極海がすべて氷に閉ざされていたならソリで、暖期には船で行くことになるのだろう。白海の五万三千 年はその暖期にあたっていたのであろうか。白海からオネガ湖に下ればそのとなりにフィンランドのサイマー湖が接していることになり、アスツヴァンサルミに も簡単に到達できる。水軍の船の利点は物資の大量輸送がきくことである。
 もし、先の三人がこの中央の三人と同じ人物とすると、野尻湖をあらわすためのあのスタイルは、この中央の人物たちの立ち位置とも合わせたものと理解でき る。しかし、この三人は野尻湖に象牙とオオツノシカの角を埋めたとされる三万五千年以下にはなるまいと考えられる。つまり、下限はコノシャの年代である。
 この中央の三人は水軍の斧を持っている。しかし、この斧の先は本当に斧の刃の部分なのか、それとも、絵を掘りこむ先の岸壁の岩の省略形なのかも問題であ る。斧の刃が大きすぎ、中にはいびつな刃もあるからである。それに一番上の人物の持つ斧はカニン半島の地形にもなっていた。もし、この斧の先がするどく 尖ったノミ状のものならば、この三人は絵師ということなろう。そうなると、アスツヴァンサルミの絵は彼等の技ではないが、三代の時の流れとみれば文化の引 継ぎがあったことになる。中央の大男に描かれたツヴァンはとなりのオルシャの斧を持つ人物と握手していると見られる。近くのオネガ湖の名前からみれば、コ ノシャから降りてきてオネガイしている図にもなる。オネガはまた斧牙にもなる。この三万五千年以降西ヨーロッパでは洞窟壁画の下地があらわれているとされ る。しかし、この絵巻のあったターニュムのフォッスム地区のものも含めるすべての絵はせいぜい前数千年以降のものとされている。ただし、この絵の中の出来 事の下限はダブリンの黒丸の前二万年を下るまいと考えられるのである。

  水軍の年代記

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 上の丸十はまさに数字の十である。ここではそれが十の四乗で一万を示す。人物の右腕を頭につけて「4」の数字を作っているが、これが四乗になる。この基 礎数の一万が左のボートの上に立てられた棒、すなわち櫂様のものの数にかかって年代を示すことになるわけである。

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 上のボートはインド亜大陸およびベンガル湾に浮かぶ。ガンジス河をさかのぼることも可能であろう。船上の棒の数は23本あるが、左右の腕木状のものを入 れて25本、すなわち、この地までの探検は25万年と記録する。
 下のボートはアフリカに至るインド洋航路の開拓の年代であろう。棒の数は19本だが、前者とおなじく左右の腕木を入れて21本となる。上のボートの上 にベンガル虎かと思える獣がいる。このような猛獣がいることでここの地も探検の名に値しよう。この猛獣の後ろ足だけが長く、この足の二本は棒の数をプラス 2のヒントとするわけであろう。アフリカまで21万年となる。
 このワールドマップではこうした年代も含まれていることになるが、その年代は九万年のべガの記念碑と五万年代のアスツヴァンサルミとの差、そのアスツ ヴァンサルミから南仏およびイベリア半島北辺に構成したフランコ・カンタブリア洞窟壁画時代の一万年代と、その差四万年ごとの年代記となっている。すなわ ち.、25−21−17−13−9−5−1、という並び方になるが、17万年代の分は今のところない。このうち、25万年代、13万年代、9万年代、およ び1万年代は間氷期の中の暖期である。ただ、17万年代のものはインド洋およびアフリカの探検だから寒気の影響は少ないといえるだろう。問題は寒期の北欧 に記念碑をつくった五万年代だけにあるといえるだろう。この絵巻はそうしたことが原因でつくられたといえる。

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