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阪急電車学生班青春記

 私は大学生だった頃、阪急電車京都線高槻市駅で、ホーム案内係のアルバ
イトをしていました。学生班と呼称されるこのアルバイトは、毎日、仲間と顔を合
わせるため、クラブ活動のような妙な連帯感があり、20年近く経った今でも、交
友のある友人たちを得ることが出来ました。
 私の学生時代は、貧しく(今でも十二分に貧しいですが・・・・笑)、世間でイメー
ジするクラブやサークル活動に参加することは出来ませんでしたが、学生班で
の交友が、かけがえの無い青春時代だったと考えています。
 大学1回生の秋から卒業まで3年半、ずっと勤務を続けた学生班におけるエ
ピソードを、思い出すままに、綴っていきたいと考えています。

学生班募集要項

1.勤務時間(私は夕方の勤務でした。)
  朝   7時00分〜 9時00分
  夕方 17時00分〜20時00分
2.勤務日
   月〜土曜日(日祝祭日は休み、その他、正月や行楽シーズンの車両増発
  時には、交替で勤務がありました。)
3.給与
  時間給600円、皆勤手当5,000円、乗車証(通学利用全線)
  (朝の班で皆勤すると概ね2.5万円、夕方5万円程度の月収入となりまし 
  た。ちなみに、当時のコンビニのレジ係が480円、牛丼の吉野家のアルバイ
  トが600円でした。)
4.業務内容
  ホーム案内係
5.資格
  男子大学生
6.制服
  夏 帽子(本社員と同様) 白の開襟シャツ 白手袋 
  冬 帽子(本社員と同様) 阪急電車の車体と同じマルーン色の作業着
  白手袋

私の応募動機
 私が学生班に応募した動機は、あくまで安定した収入確保でありました。そ
れまで、電気屋で店番や工事補助のアルバイトを経験していましたが、学校と
の両立が困難で、いろいろ考えていたところ、ホームに貼ってあった募集広告
を見て、応募した次第です。ちょうど、1回生の夏休みのことでした。
17時からの勤務であれば、京都の大学に通っている私も、4限目受講後に滑
り込みで勤務可能でした。
 朝の勤務は、9時までなので、1限目の講義に間に合いません。大学生なら、
うまく調整出来そうなものですが、不器用なくらいに生真面目であった当時の私
には、とても無理なことでした。

ファーストコンタクト
 アルバイト応募のため、高槻市駅の駅員室に伺いました。田舎育ちの私は、
あまり会社組織との接触もなく育ってきましたので、非常に緊張しながら、高校
の体育教官室に入る時と同様、「失礼します。」と大きな声で入室しました。す
ると、4名の駅員さんが顔を見合わせ、苦笑いをして迎えてくれました。
 アルバイト応募の件をお話しすると、主席助役から、「絶対に毎日来いよ。」と
いう激励か恫喝が判らない言葉をいただきました。よくよく話を伺っていると、1
回生は、授業との両立のため欠勤が多く、あまり望まれてはいないようでした。
私の場合は、夕方勤務なので大丈夫だろうという次席の助役が言葉を添えて
いただき、めでたく採用が決まり、梅田にある本社に正式申し込みと制服を受
け取りにいくことになりました。
 さすがに阪急電車の本社です。一大学生の私には初めての大企業のオフィ
スです。しかし、残念ながら?女性社員が少なく感じました。(笑)

初勤務
 勤務は昭和59年9月1日からでした。
 当時の阪急電車高槻市駅は、現在のように高架工事が完了しておらず、昔
の地方都市の駅といった感じでした。
 初めての出勤なので、30分前の16時30分には出勤しました。出勤簿に捺
印後、学生班のロッカー室に通され、緊張して長椅子に座っていると、眼鏡をか
けた天然パーマの先輩学生がやってきました。R命館大学3回生のM路さんで
す。「よろしく。」という気さくな言葉と小さく出した手に、ホッとしました。Mさん
は、映画研究会の代表で、将来は映画監督になることを夢見ていました。ま
た、同じ高校の2年先輩でした。
その他、2名の先輩がおられました。K学院大学4回生のIアさんは、KGボーイ
らしくテニスサークルに参加する細面の優男で、いつもB花女子大学に通うすご
く可愛い彼女(当時でいうと早見優と石川秀美を足したような・・・)が、学校帰り
に寄っていきました。 O阪経済大学3回生I藤さんは、体育会のテニス部の副
主将で、公式戦帰りなどは、学生服(中ラン)で通っていました。男の私から見
ても、とても格好よく、女子高生のファンが遠くから写真を撮ったりすることは、よ
くあることでした。
つい半年前まで高校生だった1回生の私にとって、3〜4回生の先輩は、えらく
大人びて見えました。
 教育係として、M路さんの指導を受けることになりました。まず、通勤ラッシュ
時に使われる臨時改札の門扉を開けていきます。5時ちょうどに開けるのです
が、もうすでに2〜3人のお客様が待っています。売店も同時に開店しますし、
改札係も同時にスタンバイしています。通常、乗客としては入ることが出来ない
通路を通ることは、アルバイトながら組織の一員として、少し誇らしい気持ちに
なりました。

 次に、いよいよホーム案内です。
担当は京都方面行きのホーム2号線で、手順は、大阪方面から向かってくる電
車の種別を、種別灯と時刻表をもとに確認します。勤務の1本目は、大阪市交
通局から乗り入れている動物園前駅発の地下鉄の当駅止まりです。当時は銀
色の車両でした。寝ていたり、勘違いしているお客様を降ろすとともに、傘など
の忘れ物、網棚の新聞などを手早く取り除き、先頭車両の運転手、そして学生
班から順番に後ろの車両に合図を送って、最後尾の車掌までとどけば、ドアが
閉まります。私は初仕事であせってしまい、勘違いしているお客様をそのまま
車内に閉じ込め、Y線という駐車路線に送ってしまいました。
 電車が発車した際、車掌に敬礼を送ります。顔なじみになると、「おおきにぃ
〜。」と挨拶するようになります。そして、空になったホームと線路に異常がない
か指差し歓呼をして、一行程が終了です。
次に、通過電車の場合、学生班で電車に向かって一列に並び、線路側に腕を
一直線に出して、笛で警告を発します。そして、振り返る車掌に敬礼をします。
この敬礼が、なんとも誇らしい気分にさせてくれます。(笑)
さて、乗降可能な電車が到着します。いよいよ仕事らしくなってきます。階段の
上から呼び込みを行います。「2号線にまいります電車は、各駅停車、京都河
原町行きでございます。ご利用の方はお急ぎ下さい。」といった感じです。ところ
が、いざ、声を出そうにも、緊張して、なかなか出来るものではありません。とん
ちんかんなことを言って、小学生に笑われたりしながら、汗をかきかき怒鳴りまく
ります。そして、鉄道業務従事者として、独特の節回しをつけようとしたりします
が、うまくいきません。
次に、ホームのお客様に向かって、「まもなく2号線に、各駅停車、京都河原町
行きが到着いたします。この電車は長岡天神まで先に到着いたします。桂、西
院、大宮、烏丸、京都河原町終点には、次にまいります急行が先に到着いたし
ます。電車がまいります。白線に内にお下がり下さい。」とアナウンスします。ま
た、この時、ホームの端を歩いているお客様がいるときは、笛で警告を発しま
す。
 続いて、列車のドアが開いた際、我先に乗車しようとするお客様に向かって、
「扉付近広く開けてお待ち下さい。整列乗車にご協力下さい。」と牽制しておい
て、車内に顔を突っ込み、「ご乗車ありがとうございまぁ〜す。高槻市ぃ〜、高槻
市ぃ〜でございまぁ〜す。お忘れ物のないよう、続いてお降り下さい。」と途切
れない降車を促します。
 そして、「お待たせいたしました。続いてご乗車下さい。」とホームのお客様に
整然と乗車していただきます。
 最後に、先頭車両の担当学生班が片手を挙げ、「ピッピ〜〜。」(京都方面合
図、大阪方面はピィ〜〜。)と笛を吹きながら乗降車完了の合図を送ってきま
す。各担当が、順番に最終車両まで合図を送り、最後尾車両の担当まで完了
の合図を出したら、車掌が扉を閉めます。異常なく扉が閉まれば、車両側面の
ランプが全て消えます。扉に異物が挟まっていれば、ランプが消えませんので、
確認に走ります。特に、駆け込み乗車のお客様が足を挟んだりしていることが
多く、手に負えない場合は、再開扉の合図(両手を万歳の状態と上で交差させ
る動作)を繰り返します。

 電車の到着までの短いインターバルの間、ゲレットという休憩小屋で座って待
ちます。3人しか座れないので、新参の私は外で立っています。同僚と窓越しに
話をするのは、変な気分です。(笑)

 そこへ、朝の勤務をしているD志社大学のN田さんが、来られました。N田さん
は、東京都世田谷区出身で我々とは少し毛色が違う印象を受けました。本日、
N村証券の内定をとったとのこと。当時は、証券バブルのまっ只中で、同氏は
新入社員ながら、高給国産車を年末のボーナスで一括払い購入という特異な
経験をすることになるのです。

 初出勤の緊張の中、7時50分の急行電車を見送れば、控え室に引き上げま
す。そして、着替えをすませ、定期発行所のシャツターを閉めに行きます。定発
と呼ばれるこの窓口の業務は、正社員の女性(45歳くらいのおばさん)が担当
しています。
 やっとのことで、緊張の3時間が終わりました。大学でクラブなどの組織に属し
ていない私には、組織構成員となった何ともいえない誇らしさと、初対面の社員
さんや学生班の先輩方への自己紹介の連続で、心地よい疲労に包まれていま
した。

名物のお客様
 だんだんと、学生班の生活に慣れてくると、お客様の顔を覚え始めます。学校
帰りの女子高生、OL、そして、変なおっさん。
皆さん、ほぼ同じ時間に同じ場所で乗り降りされます。
 名物となった特徴のあるお客様を紹介します。

  演説おばちゃん
     大きな声で演説します。支離滅裂ですが、自分はどれほど正しい毎日
    をすごしているか、話続けます。

  ヘルシー
     いわゆる、あさりちゃん(ゴミ箱をあさって雑誌を集め、古本として売って
    いる人)ですが、ベンチでキャベツを丸かじりするのです。

  小田急
     鉄道ファンの大学生。私も同じ鉄道ファンと勘違いしていて、関東の小
    田急鉄道のことを延々と話してくれる。太っていて若ハゲ気味。

  淀君
     淀○女子高校生。同僚がナンパしてデートした。弟は少年院にいる。 
    綺麗な顔をしている。同僚がポルノ映画館でデートをした後、自然消滅し
    た。

  オカマ
     男が好きな男。若い太った男が好きで、私もよく身体をさわられた。トイ
    レの前で好みの男を物色し、小便器の横に立って股間を覗く。その後、 
    同じ電車に乗ってつきまとう。私は、別のバイト先の牛丼屋を突き止めら
    れ、来店、カウンター越しに手を握られ、付き合ってくれと言われたことが
    ある。何度も警察に突き出されたが、男が男を触っても罪にならないこと
    を心得ているので、何度でも繰り返す。

  アイドル
     ホームの端で延々とアイドルの振り付けをしながら歌い続ける。推定3
    0歳。顔は不細工ながら、振り付けはうまかった。

  報知姉ちゃん
     推定22歳。毎日、売店で報知新聞というスポーツ新聞を購入して読み
    ながら帰る。鼻くそを食べる癖がある。

  35分
     いわゆる、私のマドンナ。長身で長い髪の毛で美しい人。18時35分の
   通勤特急に乗って、京都方面に帰る。勿論、内気な私は声をかけることも
   来ない。

鉄道界の隠語
 鉄道界には隠語があります。

  鉄ちゃん
      鉄道ファンのこと。鉄道界では鉄ちゃんが多い。しかしながら、そうで
     ない人は、鉄ちゃんのことをひどく毛嫌いする。ちなみに私は鉄ちゃん 
     ではない。鉄ちゃんは、車両の製造会社や台車の形式まで区別してい
     る。薀蓄を披露してくれても興味のない人には迷惑。エスカレートした 
     鉄ちゃんは、頼みもしないのに運行ダイヤを作成して、駅員に提案して
     いた。

  八百屋
     嘔吐物のこと。または、嘔吐している人のこと。

  マグロ
     轢死体のこと。または、轢死した人のこと。

  アサリちゃん
     ゴミ箱の週刊誌をあさり、これを売って生活している人のこと。

  すべらす
     電車を停車位置を過ぎて止めること。

  Y線
     大阪市交通局の地下鉄は、阪急電車京都線の高槻市駅まで乗り入れ
    ています。地下鉄の車両は、Y線と呼ばれる駐車路線でUターンして、大
    阪方面に戻っていきます。切り替えポイントがY字になっているのでY線と
    呼んでいました。

  1号線
     当時の高槻市駅には、1号線がありませんでした。高架工事完成後 
    は、1号線が復活しました。

  大きなお友達
     大人なのに、運転席の後ろに張り付いて、運転している様子を観察し 
    たり、自分が運転している気持ちになっている人のこと。我々の様子をず
    っと観察している大きなお友達もいた。

押し込み
 私は、夕方の勤務でしたから、あまりお客様を押すことはありませんでした
が、それでも、押さないと乗車困難なことが時々ありました。
 よく、案内係は、合法的に女性のお尻を触れるといいます。私も期待していた
のですが(笑)、実際は、どのお客様も一緒で、そんなことを考えている余裕もな
く、また、慣れてくるとただの物体としか考えなくなってしまいます。
 ちなみに、押すという行為ですが、背中等を一点集中で押すと、肋骨を折るこ
とがあるそうで、身体全体で押すように指導されていました。身体だけが車内
に入って、どうしても足だけが残ることが多いのです。申し訳ないのですが、足
をけっとばして無理やり押し込んでいました。


駆け込み乗車
 若い女性のみ、駆け込み乗車時に乗せてやるということがよく言われます
が、実は、あまり関係ありません。駆け込み乗車は非常に危険なので、お年寄
りが走ってくると、早く止めてしまいたいというのが本音でした。私が担当する扉
で、赤ちゃんを抱いたお母さんが駆け込み乗車をしようとして、転倒。赤ちゃん
がホームと電車の隙間に落ちて、大騒ぎになったこともありました。

飛び込み自殺
 ベンチで菓子パンを食べているお客様がいました。電車が入線した来た時、
突如、立ち上がり、飛び込みました。一瞬のことで、止めるどころか声すら出ま
せんでした。
「アカン。えらいもんみてしもた。」と私は目眩をおこしました。ところが、そのお
客様は、助走が強すぎ、線路の向こうに無傷で着地していました。ところが、そ
れからが大変です。本職の駅員と我々で取り押さえるのですが、線路を掴んで
離さないし、野次馬は来るし、次の電車は来るし・・・。
しかし、当時は若かったんでしょうか。騒ぎの後、今なら脱力するのですが、特
異な経験に興奮していました。

阪急ブレーブス
 当時、阪急東宝グループが阪急ブレーブスというプロ野球チームを持っていま
した。現在は、オリックス バファローズになっています。西宮球場をフランチャイ
ズにしていました。山田久志、福本豊、アニマル・レスリー、ブーマー等のスター
選手がいて、強いチームでした。名将上田利治監督が率いて、黄金時代の西
武ライオンズと熱戦を繰り広げました。
 駅員さんから、西宮球場の券をもらって見にいったことがあります。

ホワイトタイガー
 当時、阪急東宝グループが経営していた宝塚ファミリーランドという遊園地に
お目見えした白いトラの夫婦。ホワイトタイガーを見た人は、幸せになれるとの
こと。名前を公募したところ、昭和60年の阪神タイガースの優勝時期と重なり、
投票1位はダントツでバースと掛布。同業他社の名前を使うわけにもいかず、
結局、シロリンとシロタンに決定。

交通科学博物館
 鉄ちゃん(鉄道ファン)が多い、この職場。交通科学博物館や梅小路蒸気機関
車館に連れ立って行くことは一度や二度のことではありませんでした。大学生
ですから、時間も自由が効くので、平日の開館時に乗り込んで、人気のある電
車の運転シミュレーションを独り占めして遊ぶのです。1日中、散々遊んでから、
夕方の勤務に出勤。私は、あまり興味はないのですが、付き合いでついて行っ
て、3輪トラックや飛行機を見ていました。

肝試し

 このページをご覧下さい。

万年筆
 1年以上の勤務をして、大学を卒業する際、阪急電鉄株式会社から万年筆が
贈られます。勿論、阪急百貨店の取り扱いです。(笑) パーカーの良い品で、
私も青春の思い出として、大切に使っています。

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