リョコウバト
−PASSENGER PIGEON−
1つの種が絶滅するのに、数は関係ない。そんな言葉を裏付けるかのような鳥がいた。

新大陸アメリカに未知の鳥がいる。それは春は繁殖のために南から北へ、冬は越冬のため北から南へ大群で渡りをするそうだ。学者達はすぐこの鳥に興味を示した。そしてそれは旅をするハト、リョコウバトと名づけられた。
リョコウバトは体長40cm程の大型のハトで、オスの背と翼の色は深みがかった青色、喉から胸にかけては明るい臙脂色そして目は鮮やかなオレンジ色だった。メスはオスよりも地味で、淡い茶と灰色の配色だったという。体型は頭は小さく、翼と尾は長くて発達した胸筋をもち、時速100kmで飛ぶことが出来た。

しかし人々はこの鳥に親しみを抱くことは無かった。それはあまりにも多すぎる個体数のためだった。その数、じつに50億。渡りの時も大群で移動し、通過するのに3日間続いたという記録もある。また繁殖地では全長10kmにも及び、3000万羽から5000万羽のコロニーを作っていたと言う。

そんな数のリョコウバトの絶滅の原因は、森林破壊などの環境の変化もあっただろうが、何よりも人間による乱獲が一番の原因であろう。発達した胸筋は味がよく、食用として随分狩られたようだ。19世紀に入り、人口が急増すると食糧不足を補うようにその数も急増し、特に1870年代はリョコウバトの運命を決定的なものにしてしまった。そして、皮肉なことに数の減少は更に絶滅への拍車をかけた。価値の高騰が起き、リョコウバト狩りはいい儲けになったのだ。

1896年すでに25万羽しか残っていなかったにも関わらず、この年の4月オハイオ州に巣づくりに渡ってきた群れが発見されると、ハンター達は20万羽を撃ち落してしまった。こうして何十年にもわたって乱獲が行われ、大群でいることが身を守り、種を存続させるための手段であったのに、気が付いた時にはもう繁殖を維持するには困難な数となっていた。

1900年 野生のリョコウバトの最後の1羽がオハイオで撃ち落され、あとは動物園にて飼われているのみとなってしまう。
1909年 シンシナティ動物園はオス2羽メス1羽のリョコウバトを確保する。
1910年までにオスの2羽は死んでしまい、残った1羽が最後のリョコウバトとなる。
初代大統領夫人のマーサ・ワシントンの名をとって、「マーサ」と名づけられた最後の種の保持者は脚光を浴び、手厚く保護された。

しかし死はいずれやってくる。
ある日突然止まり木から地面に落ち、「マーサ」は死んだ。リョコウバトの名でありながら、彼女は一度も旅をすることなく29年の生涯を閉じたそうだ。

絶滅年 1914年 9月1日 午後1時
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