無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会「キラキラ星通信」第63号掲載記事


公開学習会(PART 10)
「それでも、
まだ私を有罪死刑にしたいのですか」

  熊本典道元静岡地裁裁判官が講演  6月24日(日)カトリック清瀬教会


〈講演録〉
 こんにちは。まず、私が初めて袴田君の顔を見たのは昭和四十一年の十二月二日ですね。これは、私が東京地裁から福島の白河支部に転勤して、その後ちょっと事情がありまして、急遽、静岡の裁判所に転勤することになって、初めて静岡に行ったのがーまさかこんなことになるとは思わないもんだから、だいたい僕はいい加減だから日記も何もつけてない、その代わり大事なことは忘れておりませんー多分十一月二十五〜六日だと思うんですけど。行った時は、前の年に袴田事件が起きたということももちろん知らない。私自身が裁判官を辞めるかどうかに関わる重大な問題が起きたもんだから、ほとんど静岡の新聞でどう書いてあるかとか、そんなこと何も知らないで行って、十二月の二日が、袴田君と初めて会った日なんですよ。多分、その日の十時からが法廷だったから、十時ごろに初めて彼が法廷に立った姿を見たんです。その時の印象をひとこと言いますね。彼もあんまり背が高くないんですよ。私よりちょっと高いかなっていう感じ。横巾も私とそう大して変わらない、ですよね。何級だっけなあ、ボクシングの。多分その頃、関光徳(せきみつのり)とかああいう連中が活躍してた頃だと思います。

最初に、起訴状を検察官、岩成さんが読んだんですよ。「現住建造物放火、殺人、被害者四名」っていう内容を読んで、そしたら石見さんが、裁判長が通常やる手続きの一つとして黙秘権を告知して、次に「今、検察官から読まれた起訴状に相違ない」って言ったのか「間違いない」って言ったのか、そういう主旨のことを言ったら、袴田君が「私は全然やっておりません」と。それ以外の何にも言わないんですよ。そしたら裁判長、石見さんが、何か他に聞きたそうな素振りを見せて体を乗り出そうとしたから、私は全く白紙の状態で彼の一挙手一投足を見ときたいと思ったもんだから、最初の時だから余計なこと言わんでいいと思って。(袴田君は)「私はやっておりません」と。興奮した様子でもないし、非常に冷静に。私にとってみれば非常に不気味なんですよ。私は東京地裁で三年半近く刑事事件、担当してきまして、その間に四件、五件か、ーこれは合議で負けたからですけどー死刑の判決も書きました。それらの被告人から見ると、その後の僕の裁判官の生活から考えても、非常に不気味な態度なんですよね。それで、いったん法廷を閉めまして、裁判官の席のちょうど真後ろに合議のための机が置いてあるんです、三人座れるように。そこで、僕も主任の裁判官だから、ちょっと裁判長に、「どうも、かえって僕らの方が裁かれてるんじゃないかなっていう気がするんですけどね」って言った時に、石見裁判長が「いや実は僕も前の第一回目の時に、同じような気がしてた」って。経験があろうと無かろうと、そういう不気味な感じっていうのはするんですよ、する時は。どんな知恵があろうと無かろうと。まあそんなことで裁判が始まったんですが、それから最初は検察官が証拠を提出して、それからその証拠に基づいていろんな審理を始めたわけですが、半年ぐらい経っても、袴田君と犯罪事実が結び付くような証拠が全然出てこない。いくつも今朝、読み返したんだけど、目録だけを。最初の頃っていうのは被告人の利益みたいなこと、そういう証拠しか出てこないんですよ。

これは、一昨日の夜中に思い出したんですが、僕が裁判に入って審理を始める途中で、たまたま僕は当時沼津から通ってたんだけど、夜遅くなって飲み歩いて、静岡の街をフラフラッと修習生と歩いてる時に、ある新聞記者がこんなことを言いました。「熊本裁判官」。「何ですか」ってね。「弁護人は、本当にやってないと思ってんでしょうかね」って言うから、「いや、それは分からん」って。しかも、事件(裁判)のまだ始まったばかりなのに、いらんことを言うべきじゃないと思うから、「あんた方がもし気になるんだったら、明日の昼過ぎから僕は法廷が無いから空いてるから、来てもいいよ」って言った。次の日、「何でそんなことを僕に言うの」って言った。ここが大事です。被告人は、最初の第一回—正確に言うと第二回と第一回は一緒—、同じことを二回言ってる、「私はやってない」って。そうしたら、みなさん自分の頭で考えてみて下さい。自分が裁判長だったら。二回もそんなこと言われて、裁く立場にある者、それからそれを弁護する立場にある者は、一生懸命、血まなこになって弁護をするんだと私は思った。そしたらちょうど、どうもそのことらしいと。「いやあ被告は二回も、私はやってないと言ってんのに、弁護人の弁護活動—当時は三回面会しただけだったらしいけどーと被告人の否認の間に、ものすごい差がある」って言う。「あ、そう。あんた方も法廷傍聴して、そう見えますか」。「それで僕ら気になってるんですよ」って言うから、「うーんとね、そう言われると、今の段階で僕がどうだこうだって言うわけにはいかんけども」と言って、その時はそのままにした。非常に鋭い新聞記者だったんで、実は、私が静岡を離れて弁護士になってからも個人的にお付き合いをするようになった一人なんですが。なかなか良く見てるなと。それが一つ。

そうして訴訟がどんどん進んだけれども、何も被告人、袴田君と犯罪事実とが結びつく理由が、例えば袴田が、いついつか犯行現場の近くにどうこうしていたとか、そんなことも何も、それらしき証拠も出ない。そのうちにポーンと四五通、自白調書が出てきた。「へーっ」と思ってました。第一回と第二回で、「やってません」って言ったのに、何であんな四五通、証拠が出てくるんだって。正直に言うと私はビックリしました。自白調書が出ると裁判所は、自白調書を証拠として採用していいかどうか審理しなきゃいかんのですよ。私は、本当は民事事件をやりたくていたんですけれども、東京で最初に刑事事件やるっていうことに決まったもんだから、やるなら徹底的にやろうと思って、刑事訴訟法についてかなり、おそらく当時の同期、あるいはその前後の裁判官よりはるかに僕の方が勉強の数は多いし、アメリカ、イギリスの判例も承知しておりました。

自白調書が裁判所に出されると、まず第一に、被告人側がその自白調書を証拠としてよろしいかどうかということについて、意見を述べる機会が与えられるわけです。その次に、自白調書が任意であると認められたら、もう一つ難問があります。信用できるかどうかということ。つまり自白調書には、その自白調書を証拠として使っていいかどうかっていう問題と、使っていい証拠が果たして信頼できるかどうかの判断を、この二つの関門を通過しなければ、自白は何の価値も無いことになるんです。

そこで第一の難問の、「自白が任意にされるかどうか」。これは新聞記者だけじゃなくて、私自身が第一ビックリしたんだから。法廷で二回も「やっておりません」。いきなり四五通の自白調書でしょ。何が起きたんだろうと思った。それは思わない方がおかしいですよね。それで、自白調書がどうやって作成されたか、被告人がどんなことを警察官にしゃべったのか、どういう理由でしゃべるようになったのか、そういうことを知りたいって調べるのが普通です。それの審議を始めてましてね。もうマスコミなんかでご承知、あるいは時々テレビに出ている、まだその一人が生きています。松本久次郎と、もう一人松本っていう二人がいます。調べたところ当時、静岡県警で強力犯(ごうきりはん)担当ー強力犯っていうのは強盗、殺人、放火、そういった類の、非常に罪質が重い、犯行の態様が非常に悪質である、そういう担当—その強力犯の担当に、松本久次郎ともう一人、松本何とかってやつが二人で組んで、当時の静岡県警の管轄範囲の強盗殺人等の事件は、主に二人だけで調べよったことが、まず明らかになった。そうすると普通は、被告人の方で、ということは弁護人の方で、その自白調書を証拠として使っていいかどうかっていう意見を述べることになっとるわけですよ。私が東京地裁でやった事件のうち、ほとんどがそうです。その中でも、例えば殴られた、蹴られた、場合によっては騙されたー「お前、起訴せんから、本当のこと言え」って言われた。ところが予想に反して起訴された、そういうことをいうんです。

ところが、弁護人三人の意見を聞いてますと、「自白調書を採用するには賛成しかねる」と。その内容はっていったら、ほとんど、殴られたっていうことも言わないし、騙されたっていうようなことも言わないし。「何でやろ」って。その時は私だけじゃないですよ。裁判長も右陪席も「何でやろ」って。そしたら、とにかく調べた本人を裁判所に呼んで、松本両名から証言を訊いてみようじゃないかということになって、順番としては、まず検察官が申請したんだから、検察官がどんな経過で自白調書を作ったのか。その調べに無理が無かったんじゃないかとか、そういうことを検事の方が証言させたんですけど。その次、裁判官が訊く順番になって、そしたら石見さんが、僕は主任だから、「熊本さん、君が最初に訊いてくれ」。「いやいや、ちょっと待って下さい。かえって、全部言わせた方がいいと思うから順番に言いたいこと言わせましょうよ」ということで、高井さんー右陪席の順番。そして、その後に裁判長に訊いてもらった。最後に、「僕、主任だから最後やりますわ」。

昨日から今朝にかけて、自白調書をもう一回、四十年ぶりに記録を開いて見ましたら、僕が訊いた順番からいくとこんなことを僕は訊いてます。「あなたは、調べの最初に黙秘権を告げてるけれども、いったい黙秘権は何のためにあるんだと思ってるのか」。そしたら、「さあ」「えー」と言って、結局あんまり意味もよくわからん。それでずーっと訊いていきましてね、これは殴ったかどうか訊いたって、そりゃどんなやつだって殴ったかって言って、殴りましたって言うバカはいないから、まともに訊いたってダメだと思うから。「黙秘権っていうのは、あんた方取調官に対しては障害になるんだろうか」って。「ええ、なります」って言ってきた。「あ、そう、そりゃそうだろうな」。それから順番にいろいろ訊きました。「あんた方にとって、黙秘権っていうのは非常に取調べの障害になる。何で取り調べの障害になるんだ」って言ったら、「いやあ、あの、本当のことを言うべきだからです」。「あ、そう。あんた方がね、調べの時に最初から袴田君を犯人だと思って調べたの」って訊いたら、「はい、そうです」。「あ、そう。あんたさっき『本当のことを言うべきだ』ということを言ったけれども、どうしてそんなことを思ってるの」。「いやあ、人間だったら、取調べに対して本当のことをしゃべるのが当然だ」。まあいくつか言葉が返ってきましたけど。要するにその段階でも、最初から彼がおかしいと、彼を自白させようと、ありありです。今度は裏の方から訊いて、「あんた方、二十年近く二人のコンビで静岡県警の強力犯のエースとして、調べに当たってこられたけれどもー少し持ち上げたんですよー、あんた方二人が目星をつけて取り調べたやつで、この二十年近くの間に自白しなかった者がいるか」って訊いたら、あっという間に開き直って、「いや、いません」って。「ということは、あんた方が目星つけて調べしたやつは全員自白さしたんだな」って言ったら、「はい、そうです」って、自信もって答えました。へーっと思って。こんなやつに引っかかったら誰でも自白するだろうと思いました。

まあそんなことで審理はどんどん進んだんですが。さて問題の自白の任意性をどう決めるか。私自身はもう既にその頃、刑事訴訟法の学者として、今日(こんにち)も当然と思われているような調べ方をしてる密室尋問は、それ自体が違法だと。弁護人または弁護人と同等と思われる、例えば少なくとも大学の法学部の学生だったら二人以上、立会人をつけて取り調べなくてはいけないっていうことは、もうすでにその頃、論文を発表してます。そうすると、ものすごい差があるわけですよ。その頃は学者、裁判官の中でも二人が私と同じような意見を持ってました。立教大学の田宮裕(たみやひろし)—当時は助教授かな。それから大阪の当時裁判官だった下村裁判官。三人だけが論文でそんなことを発表してたような気がします。だけど日本ではそんな状態じゃなかった。殴ったり蹴ったり、長時間拘束したりしなくちゃ、自白の証拠能力を疑う理由にはなり得ないということが定説だった。でも、私は一番その問題で消極的だった高井吉夫右陪席に、ある時に「私と、二日間一つの部屋で黙ってじっと座ってろって言われたら、どうしますか」って言った。何のことか分からなかったらしいけど、「いやあそれは困りますね」。「そうだろう」。袴田君は一日に十二~三時間、しかも二十日間拘束されて、間に松本Aが調べる時は松本Bが後ろにいて立ち会っている、立ち会いという名の下に。ある種のそれ自体脅しなんです。それを二十日間繰り返したら…。まあそこで、やっと裁判長も三人一致で、自白調書の四五通のうち四四はだめだということで、けったんですよ。そのあとの一通については、最後にしゃべりますが。

自白のほとんどを証拠として使えなくなると、当時出てた証拠では、彼と四人殺害と放火、これを結びつけるものはほとんどなかった。あとはもう審理しなくても無罪にできるなと思って、自分が主任ですから、それを他の二人に批判してもらうつもりで、下書きが清書みたいになっちゃって、確か三百何十枚かの裁判官『起案用紙』に書いてるうちに、自分ではもう判決ができ上がったと思ってた。「被告人は無罪」。話、前後するけれども、実はこれを、「今年の十月をメドに、もう一回思い出して書けますか」って言う人が現れたの、僕の所に。「いや、そんなこと覚えてるよ」。で、書いてます、思い出して。ところが、私のその無罪の判決をもって合議をしようということになって、三人で合議を始めたんです。三人で合議って言うけど、本当は、裁判長と主任裁判官の私と合議。というのは、裁判を経験された方々に言っときたいんだけれども、今もそうですが、右陪席っていうのは、単独で窃盗とか怪我させた暴行、傷害、そういう刑の軽い犯罪を自分一人で判決できるんですよ。当時もそうですし、今ではもっと事件が多いかも知らん。それが非常に多いんで、まあ例えば皆さん方の職場でもあるけれども、「あたしちょっとこっちで忙しいから、頼みまっせ」、そんなことが、今も当時もそうでしたけど。それで、私と石見裁判長とが判断することになっちゃった。     

石見裁判長は、正確に当時いくつやったか分からないんだけれども、五十前後ぐらいでした。少なくとも私よりもはるかに歳いって、戦争を経験したことが、よく飲んでる時、戦時中の話とかなんかしてて、彼が「戦争から無事に帰ってこられて良かった」、「もう一回法律の勉強をできるようになって嬉しかった」そういう話を聞いてますから、だんだん話しているうちに非常に意思の疎通ができるようになった。これはうまくいけば石見さんと私が二で、万が一高井さんが反対しても、二対一で僕ら二人が勝つなと思ったから、もっぱら石見さんを話し相手にしてきました。だけど最後に、結論ご承知の通り、非常に残念なことになってしまったんです。じゃあ、何故そうなっちゃったんだろうか、というふうに逆に考えてみると、三つか四つぐらいの理由があると思うんです。

一番最大の理由はどうもね、自白調書がたくさんダーンと出た、あるいはそれ以前から新聞報道、「あの事件の犯人は袴田君以外には考えられない」というような論調がものすごく多かった。この前もう一回取り寄せてみたら、その前後に報道された新聞記事の、いわゆる三大新聞プラス静岡新聞、これ四紙だけでーほか週刊誌や何かもものすごくあるらしいんだけどーコピーが三センチ五ミリから四センチぐらいある。そうすると、おわかりいただけると思いますけれども、裁判官って人種は活字に非常に弱い、活字を大事にする。目の前にあるやつは、書いてあるものは全部読む。そうすると、みなさん考えてごらんなさい。朝昼晩、テレビ、ラジオで放送はする、来た新聞は全部まじめに読む。そうすると、それなりにー差はあるだろうけれどもー有罪のイメージが、「ああ、袴田君犯人に違いない」ってイメージでき上がりますよ。幸いにして僕はその頃、静岡にいなかったから。それから袴田事件なんて起きたってこと自体も知らなかった。そうすると、そりゃ裁判官は違うんだろうって言うけど、そんなバカなことは無いですよ。同じ人間です。ただ、自分の身を律することの厳しさと、それを持ってるか持たないかの違いはあるけれどもね。影響受けることは間違いない。私なんか実は東京の時、新聞、あるいは雑誌で報道されていることによれば有罪だろうという事件を、それをはねて、無罪の判決を書いたことが一件だけあります。その時は週刊誌や何かに叩かれた。だけど、高等裁判所にいって敗れて、無罪になっちゃった。そこの自分の身を律する厳しさを持ってるか持ってないかが、裁判官か素人かどうかの違いだとしか僕は思ってない。事実を認定する能力も、そんなのだって、僕なんて三十前ですよ。田舎の大学を出て、ただ法律の勉強でちょっと人より成績が良かったっていうだけのこと。他のことは、世間のことは僕よりはるかに知っている人がいっぱいいた。だからそういう報道の影響。

もう一つは、お話したように、自白調書が四十五通でき上がったっていうことはどういうことかっていうと、二十日間、あるいはちょっと二~三日オーバーして、松本両名が朝から晩まで一生懸命、取調べをやってくれて、せっせと汗を流した記録の結果が、四十五通の調書になってるということを考えると、単に「ご苦労さん」では済まない。捜査官は「ようやったな」って思ってるわけですね。石見さんも人間だから、それに近い感覚、感情を持ったに違いない、それは間違いない。僕なんか笑ってて「ご苦労さん」って言っただけでしたけど、そうは思えない。そう思えるかどうかっていうのは、それぞれの人生観とか。私なんか東京で、三年と三ヶ月ぐらい検察官にいじめられ、いろんな検察官の醜さ、特に警察の醜さ、酷さ、目で見て来ているからね。そうでない裁判官と、僕みたいな裁判官とはまた違う。 

石見さんがこの事件で私はキーポイントだったと思います。一番、石見さん辛かったと思います。別に警察が圧力をかけて、「おい、あの自白を全部認めてくれ」と言いに来たわけでも何でもないけど、無言の圧力っていうのがありますよね。だから石見さんが一番悩まれ、私はかえって、すっきりしてた。

最後に、三人の合議の結果、いや実は、合議はいつからいつまでって決まっているわけじゃなくて、朝、昼、夜に飲みに行って、あの証人はどうだこうだっていう議論もしましたよ。つまり、裁判官が事実を認定する時っていうのは別に巻尺があるわけでもないし、何センチ何とかっていうようなものじゃないし、基準となるのは、裁判官がそれまでにどういう人生を送ってきたのか。私は今でもそう思っている。その人間の全人格的な判断が有罪か無罪かを決めるものだと思っています。ただ、そこに足かせがあるとしたら、合理的な疑いが残るやつは有罪としてはならないという、たった一つだけ足かせがあるんですよ。ところが、その「合理的な疑い」、これまた実は人間によって、裁判官によって全然違うことがある。自信過剰なやつは、「俺は神様に近い人間だから、俺がおかしいと思わない限り絶対あいつは有罪だ」と言い張るやつが現にいた、昔も。そうかと思えば、私なんかは合理的な疑いの範囲が非常に広い裁判官として名が通ってたらしいですけどね。今でも私の基本的な刑事裁判に対する考え方ってのは… 人間、AさんBさんCさん、何ら変わりないですよ。ただ、さっき言ったように法律的な能力の差があるいはあるかも知らん。そうすると、ものを見る眼が大きく違うはずがあろうはずないよ。だけど、それを最後の滑り止めにしてるのが、「合理的な疑いがあるケースについては有罪としてはいけない」という法則です。

結局私は負けちゃったんですよ。「負けた」ってのはどういう意味を持つかっていうと、二対一で死刑、有罪でしょ。「うわー、俺も人殺しの仲間に入らんといかんのかな」っていう心境でしたね。あるいはこういう席で話をしたことがあるかも知れないけれども、秋山賢三っていう弁護士—私の四期後輩の裁判官だった彼がある本に、「第一審判決前までは、袴田君は元気で力を持ってた」、しかし、第一審の判決で、彼はガクンときた。そのことは私が現実に見てます。判決理由から石見さんが読み始めて、判決理由を読み終わった後。実は、これもいけないんです。判決理由から先に読むということは、ほぼ九十八%死刑間違いないから、なぜそんなアホなことやるかっていうと、判決理由をくわしく被告人が聞かないかも知れないからっていうことが理由だそうですけれども、大体、どんな事件でも判決理由までまじめに聞いている被告人がいますか。結論どうなるか、一分一秒でも早く知りたくて、「あ、執行猶予ついた。うわー良かった」「実刑だ、うわーダメだ」。あと何も耳に入っていない。そのことは、私自身がこの事件で経験してる。「被告人は死刑」。そこまでは僕も見てたんですよ。「被告人は死刑」って言った途端に(袴田君は)ガクッとなった。いや僕はもう、その前から結論を知ってるから、その前から実はどんちゃん騒ぎするし、一人で鬱(うつ)になるし、鈴木所長に「おいお前、まだ東京高裁があるよ」って言われても、「あんたにわかるもんか」って。二十そこそこの男が、五十前後の裁判所長に「あんたなんかわかるか。悔しかったら俺と同じ……(言葉に詰まる)」というようなことも言いましたけれども。知ってても、本人に対して面と向かって公開の席で「あんた死刑だよ」って言われたら、その場に立ち会う本人は……と思いました。だから秋山君の、岩波から出てる小さな本(『 裁判官はなぜ誤るのか』)にも、ちょこっとそういうことが書いてあって、「それまでは一審の裁判官を全面的に信頼しとった」。「それから裁判官に対する不信が始まった」と、これはっきり書いてあります。でね、実はその時に難問が待ってる。そりゃ確かに判決がおかしくても控訴ができる。東京高裁でもう一回審理できる。私もそれは望みをかけました。

それ以外に、実は刑事の判決っていうのは、判決を清書をしないで三人がハンコをつかないで、合議にしたまま文書にしないで、裁判長が判決言い渡し期日に宣言するだけでいいんですよ。そこが民事の判決と違うところ。そうすると、判決言い渡し後にさて、判決を書かなきゃいけないんですよね。さっきお話したように、私は全く逆の判決書いていた。じゃあ誰が書くか。裁判所の伝統的なしきたりによると、主任裁判官が、勝っても負けてもその判決文を書く、清書するってことを伝統的にやってた。「なんじゃこれ」。となると、わたしにとっては心にもない判決文を、しかも被告に死刑だって判決文を清書しなくちゃいかん。みなさん謝罪広告っていうのご存知ですね。「熊本典道の名誉を著しく傷つけて、深くお詫び致します」ということを文章に書いて新聞広告に出せ。そういう判決ができるか。これは、昭和三十六年ごろに最高裁判所で問題になった。だけど結論は、それは憲法違反じゃないって。だけど僕はその中でも藤田八郎という裁判官が、「心にもないことを法律で要求すること自体が、良心の自由にー憲法十九条かー反する」と言ってくれてるから、と思ったけどもね、私が書かなきゃ他の人誰も書かない。裁判長はもともと書かないことになってるし。まあ、いくつかの理由があって、僕は書きました。だけど今でも、これはどうしても今後変えなきゃいかんなと思ってます。まあ、そんなことで一審は終わりました。

それから半年か一年ぐらい経ってからかな、当然、控訴しました。その前に僕は判決言い渡してから一週間も経たないうちに、あの事件の一審の主任弁護人になってた斉藤準之助弁護士に他のことで廊下でばったり会ったんですよ。「おい、斉藤さん、あの事件控訴するんだろう」って言ったら、「はい、控訴します」。「頑張れよ」ってこと言っておきました。それから半年くらい経って、高裁に事件が行って、横河敏雄っていう裁判長の部に係属するっていうことを、ある裁判所の先輩が教えてくれた。横河敏雄っていうのはどういう人か、当時新しい刑事訴訟法になって十年ぐらいも経っていない、その中でも一番新しい刑事訴訟法に従った審理をやっていこうというグループの、岸盛一氏と横河敏雄氏が筆頭グループの裁判官でした。「うわー」ってなって、望みありと。ところが、それからまた半年か一年経った後、別の人が、「横河さんが、糖尿病でときどき法廷で居眠りをするらしい」。「ありゃー」。でも、あとの二人は司法研修所の教官を経た人で、それぞれ刑事の裁判官として名前の通った人だったから、まあ、そんな無茶せんだろうなと望みを抱いておりました。だけど彼ら二人が転勤しー転勤は別に誰かの指図でもなく普通の転勤です、これは私も認めるー、結局、現在の状態を今日(こんにち)まで続けることになったわけです。

私はさっき無職って言ったけど、もう一回ちょっと七十を前にしてね、急に元気になり過ぎてー三十から四十代は、僕の睡眠時間は二時間でした、ずーっと。それも聖人君子のような生活の仕方をして二時間じゃなくて、飲む時は徹底的に飲むし、銀座で朝帰りもするし、女にちょっかい出したこと無い以外は何でもやりましたー今は元気になってきて、もう一回弁護士として登録をしてみようと思っています。多分、今年いっぱいには手続きが終わると思いますから。でも、私がこの事件の弁護を引き受けるっていうことはしません。何故かって言うと、やっぱ公正さを疑われる立場は立場。最近、自分の立場をわきまえない人があらゆる世界で多過ぎる。だから僕は学者として、徹底的に叩くやつは叩くの。だから全面的に、袴田君の無罪のために、一日も早い釈放のために、頑張るつもりでおります。とりあえず、以上で。                            

(質疑応答の後、最後にひと言)

私がやったことは決して美談ではないです。美談にしてはいけません。当たり前のことだと皆さんが受け取るような時代に、世の中にしたいと私は思っています。特殊な、優秀なやつが、あるいは私みたいな素っとん狂なやつが、特殊な結論を出すような裁判をする国はまともじゃないですよ。それを、「あ、あの人もそうか」、そういう時代にしようじゃありませんか。(内容が変らない範囲でまとめさせて頂きました)

・この文章は、あくまで熊本元裁判官の講演を「袴田巌さんを救う会」がまとめたものです。無断転載はお断りします。引用する場合は、必ず以下の出典を明記して下さい。
無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会「キラキラ星通信」第63号(2007年8月5日発行)掲載記事



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