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1966(昭和41)年6月30日、静岡県清水市(現静岡市)で一家4人の殺人放火事件が起きました。 元プロボクサーで、再起を期して働いていた袴田巌さんは、身に覚えのない罪で犯人とされ、死刑を宣告されてしまいました。 巌さんは45年間も拘置所に閉じ込められたまま、無実を訴えています。しかし、巌さんの精神はもう限界にきています。長い間、家族もなかなか面会できない状態が続き、数年前から面会できるようになったものの、最近はまた面会ができなくなっています。 精神を病み、健康状態も心配されている袴田巌さんの再審を実現し、一刻も早く獄中から救い出すために、どうぞみなさまのお力をお貸し下さい。 |
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| 無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会 189-0003 東京都東村山市久米川町1-50-1-4-401 門間気付 TEL&FAX: 042-394-4127 Eメールでのご連絡はこちらまで hakamada_sukukai◎h2.dion.ne.jp (◎を@に置き換えてメールして下さい。 迷惑メール対策のため、ご協力をお願いします) |
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| ←袴田巌さんの再審に関する動き、救う会の署名活動のお知らせ、新聞報道などはブログでご紹介しています。ぜひご覧下さい。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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2008年4月25日、第2次再審請求が静岡地裁に申し立てられました。 |
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| イベントのお知らせ (救う会主催または後援など) |
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| ☆PART23の講演録は「キラキラ星通信」第78号に掲載されています。 ご希望の方は、当会までご連絡ください。 |
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| ☆PART22の講演をインターネットで見ることができます☆ http://www.ustream.tv/channel/公開学習会-part22-獄中29年事件から43年で再審無罪-布川事件-杉山卓男さんに聞く |
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映画「BOX 袴田事件 命とは」 |
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| ☆DVD「BOX 袴田事件 命とは」 袴田巌さんを救う会でも扱っています。 |
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| 署名提出のお知らせ
・6月25日(月)10:30に最高裁に署名と熊本典道元裁判官の陳述書を |
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| 公開学習会(PART 10) 「それでも、まだ私を有罪 死刑にしたいのですか」 ☆6月24日(日)、カトリック清瀬教会で、公開学習会(PART10)が開かれました。講師は、一審静岡地裁で裁判官を務め、2月に公判当時から袴田巌さんは無罪だと思っていたと告白して社会に衝撃を与えた熊本典道さん。90名近い参加者で、会場となったお御堂はいっぱいになりました。熊本さんは、一審静岡地裁での公判の様子、なぜ無罪心証のまま死刑判決を書かざるを得なかったのかを淡々とお話になり、最後に「私の話を美談にしないで下さい」と会場に訴えかけると、会場からは拍手がわき上りました。時々見せる苦渋の表情が、袴田さんとはまた違った形で人生を狂わされてしまった、一人の裁判官の心情を垣間見せていました。 |
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| ドキュメンタリー番組放映のお知らせ
「悔恨〜袴田事件を裁いた男」 |
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| 1審死刑判決時の裁判官が衝撃の証言! 2月26日(月)報道ステーション(テレビ朝日) 1審静岡地裁の裁判官だった熊本氏は当時29歳、袴田巌さんの無罪を主張したが、裁判長と他の裁判官が死刑を支持。合議制のため、死刑判決となった。しかも取り決めだからと熊本氏が死刑の判決文を書くことに。自分の子どもや親のことを思い出さない日はあっても、判決言い渡しの時の袴田さんの様子を思い出さない日はないという。1審判決の7ヶ月後、熊本氏は裁判官を辞めた。「袴田事件を一生背負っていかなければならない」と語った熊本氏は、袴田さんの再審請求にも協力する意向だという。 |
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