徒然の思い 2006年  

31日  晴れ。最低気温−12.3℃、最高気温−4.1℃。午前、お仕事。午後から所用。
 夜、「伊藤家の食卓」というテレビ番組を見る。そこで、縮まってしまったセーターをもとにするのに、ヘアートリートメント15グラムを水に溶かし、30分つけておくと元にもどるという裏技が紹介されていた。それから、さらに興味深かったのは「黄身返し卵」の作り方だった。「黄身返し卵」とは殻に傷をつけずに黄身と白身を逆転させたゆで卵のこと。「万宝料理秘密箱」と言う江戸時代の料理本の中の「卵百珍」で紹介されているそうだ。今回はストッキング等に生卵を入れてビュンビュンごまのように回し、遠心力で逆転させるという方法だった。成功率が高かった。以前にクリップを使っての方法もあって、こちらの技術を高く評価する声もあった。「黄身返し卵」は素人には無理だと思っていたけれど、何回かやれば成功するかもしれない。やってみたいものだ。
 今日で1月も終わり。忙しかったけれど、無事終えた事に感謝。
30日 晴れ。このところ、雪がほとんど降らなかったので、路面が乾き、運転がとてもしやすくなった。借家の雨漏りもおかげでストップしている。雨漏りが始まると、バケツ2つに、雑巾を使い、毛細管現象を利用して凌いだ。要するに、壁を伝ってくる水をはりつけた雑巾が吸い取り、雑巾の端からバケツににじみ出るという仕掛けである。
成功した時は嬉しくなったものだ。
気温が高くなると、屋根に積もった雪が解け出して、こういうことも起こる。自然は自ずからなるようになっていくのだ。そういう意味で分かりやすいし、一貫性がある。
29日 晴れ。午前、お仕事。午後、散歩。夕方、市民会館で催されている、「年賀状展」を見に行く。手書きの個性豊かな年賀状が、30点ほど展示されていて、見ているだけで楽しくなった。もらった人はきっと嬉しいだろう。
28日  晴れのち雪。午後6時半から、北見芸術文化ホールで開催の「長谷川義史講演会」に出かける。絵本作家で「おたまさんのおかいさん」で講談社出版文化絵本賞受賞。宮沢賢治の「オツベルと像」を2005年3月に岩崎書店から出版している。会場には親子連れなど約140人が詰めかけた。長谷川氏が実際に筆で絵を描きながらの「ライブ紙芝居」や自作の絵本の読み聞かせに笑いが絶えなかった。話術の巧みさに、幼児から大人までが引きこまれ、1時間半があっという間だった。
私もおおいに笑わせられ、なんだか気分がすっきり。
この講演会をもって、主催の「北見子どもの本の会」は発足してから20年の歴史を閉じることになったとのこと。でも、文化活動の灯は今後、絵本、児童文学のほか音楽、美術も含めた「子どもの文化ネットワーク」として引き継がれるようだ。
27日 晴れ。最低気温−15.2℃、最高気温−1.2℃。お仕事。午後、所用。今日はモーツアルトの生誕250周年に当たる日だそう。これを機に、モーツアルトの曲を聴いてみようかなどと思った。
26日  晴れ。午前、お仕事。午後からは明日の準備。北見市内の数校でインフルエンザで学級閉鎖するところが出てきた。ずーっと、人間の天敵って何だろうと思ってきたが、もしかしたら、こういう微小な菌なのかもしれないと思う。天敵めぐりは、サークルになっているはずだから、人間だけが別枠というのは自然の流れに反すると思っていたのだ。とりあえず、自分だけで納得してみたけれど、本当のところはわからない。本当のことを知るのもこわい。明日は散歩しよう。
25日  晴れ。今日は増加傾向にある虐待について、現状と対応システムについて学習する。児童福祉法は毎年のように改訂されているので、理解するのに骨がおれた。
 また、今日も報道関係は足並みをそろえたかのように同じ内容を繰り返していた。中には拘置所の食事のメニューまで取り上げるところもあり、いったい節操はどこへいってしまったのだろうと首をかしげてしまった。
24日  晴れ。最低気温−6.4℃、最高気温−2.1℃。久しぶりに職場へ。
 今日の北海道新聞は、知床に流氷が接岸し、折りからの雪で純白の世界になったと報じていた。オホーツク海が流氷でおおわれ、そこに雪が降り積もると、陸と海の見分けがつかなくなり広大な雪原のように見えるのだ。
 また、鹿児島県の種子島からH2Aロケット8号機が無事打ち上げられたようだ。先日、鹿児島を旅行した時に、種子島宇宙センターの話しもでていたのだ。
 夕方6時頃から散歩する。薄曇の向こうに冬の第三角形が見えた。
23日 晴れ。今日もNHKカルチャーアワー『宮沢賢治』(栗原敦氏)を聴く。1日中、明日の準備をしているうちに、あっという間に夜になってしまった。
22日 晴れ。寒い日が続いている中、契約している業者さんが灯油を入れてくれた。350g。ほぼ、ひと月分だ。冬は灯油なしでは暮らせない。このところ、日中のわずかな時間を除いて、夜中もずっとストーブを付けたまま過ごしている。もしも、灯油がなくなったらストーブなしかと思うとぞっとする。新聞では「『体が氷柱』 世紀の寒波」、サブタイトルが「シベリア氷点下50℃も」とあった。氷点下50℃とはどのような寒さなのだろう。百年に一度か二度の記録的な寒さというが・・・・。氷点下50℃というこの大寒波が、どうも他人事ではないような気がしてしょうがない。あと2週間ほどで立春なのだが。
21日  雪。はがき絵を描いて過ごす。大寒の昨日咲いた胡蝶蘭ともう一つの赤くて小さな花。今日は夕食後、7時から散歩する。時刻が遅かったこともあり、夜の空に冬の第三角形がはっきりと見えた。一瞬、プロキオンの下方に流れ星が走ったように見えた。幻だったのかどうか、確かめようにも確かめられないのが残念。我家にもどり、『銀河鉄道の夜』を読み返す。
20日  晴れ。大寒。今日の最低気温−16.0℃、最高気温−3.2℃。なるべく、お日様に当たろうと思い、午前中に散歩。犬連れの人達とすれ違ったが、どの犬も嬉しそうだった。笑っているように見えたのは、気のせいだろうか。戌年でもあり、今年はワンちゃんたちにとっていつもより良い年になるかもしれない。
19日  晴れのち曇り。再びアメリカのランディー・ネルソン教授の研究「ネズミの脳 冬の間は縮小」について。(北海道新聞、2005年5月18日付けより抜粋)

 この研究では20匹のネズミを2つのグループに分け、一つのグループは冬を想定して日照時間を八時間に、もう一つは夏を想定して十六時間に設定。それぞれ十三週間この環境下においた。その後、これらのネズミを使い、場所を覚えるテストを毎日繰り返したところ、日照時間の長いネズミの方が記憶力が高かった。
 ネズミの脳の質量も、日照時間の短いグループの方が小さく、とりわけ記憶をつかさどる海馬状隆起と呼ばれる部分で縮小が生じていることが分かった。このように収縮が生じるのは冬の間の活動エネルギーを節約するため、ホルモンの一種が作用しているのではないかとみられている。
 同教授は「この実験からだけでは何ともいえないが、人間と日照時間の間に何らかの相関関係があると考えている」と話している。
 
 という事は、私達人間も日照時間が短ければ脳が縮小して記憶力低下となりうる可能性がありそうだ。なるべく、お日様の光を浴びた方が脳にもよさそう。それにしても、ネズミ本人?の知らないうちに、体内で活動エネルギーを節約しようとしてホルモンが自動的に働くとは何という賢さだろう。生きてるということは、不思議な力の結集で成り立っているということか。
18日 晴れ。朝起きると、我家の前の道路には除雪車が数台、大型トラックを従え大掛かりな除雪作業をしていた。2時間ほどで、道路だけではなく、道路脇に山と積まれた雪も運び去られ、急に辺りが広々と明るくなった。なんとあり難いことか。埋もれている時は感じなかった、開放感。雪穴から這い出た熊の気分かもしれない。今までは知らず知らずのうちに閉塞気味だったのかと気づく。以前、北海道新聞にネズミの脳は冬の間は縮小し、記憶力の低下も見られるという研究結果が紹介されていた。日照時間が冬に短くなることが原因のようだ。同新聞によると、これはアメリカオハイオ州立大学のランディー・ネルソン教授らが明らかにしたもので、エネルギーを節約する目的による季節的な収縮とみられているとのこと。ネズミは哺乳類。とすると、哺乳類つながりで、私もなどと、近頃めだつ記憶力低下の口実にしてみたくなった。
夕方、5時過ぎ散歩。冬の大三角形が夜空に輝いていた。
17日 晴れ。京都在住、浜垣さんの「宮澤賢治の詩の世界」(1月17日付けブログ)で私のサイトを取り上げていただきました。ありがとうございます。また、今日は『NHK 知るを楽しむ 日本語なるほど塾』中の荻野アンナ氏の「ムダ口のススメ」を読む。夕方、久しぶりに散歩。
        
         河川敷1                   河川敷2
        
         河川敷3                   町並み(雪深い)
16日 晴れ。いつものようにNHKカルチャーアワー『宮沢賢治』(栗原敦氏)を聴く。「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」にある「業の花びら」については、「宿業を背負ったいのちの花の一ひら一ひら」(P110)のこと。「神々の名を録した」ことについては、現段階で「定かには分からないものを抱えたまま」(P106) ということなのだろうか。この点に関しては浜垣さんが「宮澤賢治の詩の世界」で懇切丁寧な解説をしておられた。
この度は、五郎沼にも足を運ばれたようだ。賢治にとって「はげしく寒くふるえてゐる」ほかない思いにつながる「神々の名を録したこと」とは何か。私の手元にはない下書稿(書きこみ)も提示され、なるほどと思わせられた。
大正13年10月5日の日付をもつ「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」 、「三一三 産業組合青年会」の作品について、今回はお二方から学ぶことができ、良かった。
15日 曇り。お仕事。
14日 晴れ。お仕事。昨年9月、花巻市で知り合あえた鈴木さんから『バオバブ 児童文学第46号』が届く。鈴木さんの「私の宮澤賢治論(その十四) アスパラガスに託されたもの」と題された論考を興味深く読む。『バオバブ』は年一回発行の同人誌。1冊600円。
バオバブの会発行。
13日 関西空港から女満別空港へ。北海道は銀世界。空港内に置いていた車は雪にすっぽりおおわれ、除雪してから乗りこむ。午後1時には無事、我家へ帰りついた。
12日  鹿児島市内と桜島を観光バスにて見学。鹿児島市内、仙巌園(磯庭園)と桜島、湯之平展望所などを見学。夕方の便で関西空港へ。空港近くの日根野ホテルに宿泊。
                   
                   磯御殿( 仙巌園内)                            牡丹(仙巌園内)
                       
       桜島(フェリーから)            猫(溶岩焼窯元にて)
11日  観光バスにて、指宿・知覧コースを見学。
 指宿(いぶすき)では岩崎美術館、長崎鼻、フラワーパーク鹿児島、開聞岳、池田湖などを見学。岩崎美術館は鹿児島の発展に尽力した岩崎興八郎が設立し、昭和58年4月に開館したもの。アンリ・マチス、東郷青児、黒田清輝、梅原龍三郎他など名高い画家の作品が展示されていた。
 知覧では知覧特攻平和会館、武家屋敷を見る。知覧特攻平和会館では若くして命を散らした隊員たちの直筆の遺言状などが展示されていて、粛然とする。また、薩摩の小京都と呼ばれる武家屋敷の庭園を見学。現在残る武家屋敷は佐多氏一六代島津久達、佐多氏一八代島津久峯の時代のものではとされているもの。鹿児島市内のホテルにもどり、経営者による片平美術館を見学。陶器及び時代物の美術工芸品が所狭しと展示されていた。社長である氏の博学なお話に引き込まれているうちに、2時間ほどが経過していた。

          
         鹿児島中央駅                開聞岳
                      池田湖(開聞岳を望む)       灯台(薩摩半島最南端・長崎鼻)
10日 家人と鹿児島まで。女満別空港10時30分発、千歳、羽田経由鹿児島空港へは18時18分着。ホテル近くの菊屋という小料理屋さんで夕食をとる。さつま揚げ、きびなごの塩焼き、薩摩焼酎などこの地の名産物を頂く。
9日  晴れ。テレビで「白線流し 25歳」を再放送していた。長野県の松本高校を舞台にした青春ドラマで高校時代から卒業後までを描いた作品である。その中で、新潮文庫『新編 銀河鉄道の夜』の本が出てくる場面があった。加山又造氏による、あの表紙がテレビに映し出された。今回は「バルドラの野原に一ぴきの蠍がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。・・・・略・・・・・どうか神様。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸いのために私のからだをおつかい下さい。」の部分が藤城清二氏の影絵(たぶん?)と共に朗読されていた。
  信本敬子脚本。主人公の七倉園子(酒井美紀)が臨時の高校教師として松本高校に勤務。そこで京大受験も可能な優秀であるが問題児の男子高生と出会い、その生徒に先ほどの本を渡すという設定。当然、最初は「そんな本、読めるか」という感じの生徒だったが、いろいろなやりとりの後、実は読んでいたらしいことを最後の場面で匂わせ(しおりがはさまれていた)ていた。詳しくは「白線流し」各ホームページを参照下さい。たくさんあって、驚きました。
 とにかく、賢治の作品が登場したことが嬉しかった。私にとって、この新潮文庫版『新編 銀河鉄道の夜』は持ち歩くのに便利なので、特に歯医者さんなどへは、お守り?代わりに必ずバッグに入れている。
 午前11時からはいつものように、NHKカルチャーアワーで栗原敦氏による「宮澤賢治」を拝聴。
8日  晴れ。穏やかな1日。のんびり過ごす。
7日  晴れ。最低気温−19.9、最高気温−5.2℃。長男を女満別空港まで送っていく。午後4時頃の便で、無事発っていった。いつもながら、我家のお正月はこれでひと段落する。帰宅途中、端野付近の夕暮れは幸せそうな色合いで、向こうに雄阿寒岳が見えた。
                           
                                                雄阿寒岳
6日  晴れ。北見の最低気温−20.7、最高気温−5.3℃。今日は家族4人で津別スキー場へ行く。家族揃ってというのは10年ぶりだろうか?風もなく好天に恵まれ、雪質も最高だったので、とても楽しく滑ることができた。私は初めてカービングスキーに挑戦。ゴンドラ4本、リフト4本に乗る。頂上からは屈斜路湖や遠くに雄阿寒岳を見る事ができた。澄んだ青空と純白の世界、厳しい寒さが織りなす自然の姿はどれも息をのむほど美しかった。
        
        頂上へ(ゴンドラから)         屈斜路湖(頂上から)
        
        雄阿寒岳(頂上から)             樹氷(頂上)
        
        ゲレンデ(頂上付近)              帰途
5日  晴れ。久しぶりに青空の広がる、爽やかな日となる。北見の最低気温−13.1℃、最高気温−5.8℃。二人の子どもたちとレストラン「遊木民族」にて昼食。「遊木民族」という字は当て字。小高い丘の中腹にあり、北見市を眺望できる。その玄関前の階段に茶トラの猫がお座りしていて、まるで招き猫のようだった。そのなんともかわいいこと。又、午前の早い時間に、注文しておいた、大塚常樹著『宮沢賢治 心象の宇宙論』(朝文社 2003年新版第一刷発行)が届く。真冬日の今日、本も氷のように冷たかった。 
        
       レストラン「遊木民族」              招き猫?
        
        五目ピラフ(美味でした)      室内から見た北見市内
4日  雪のち曇り。二人の子ども達とふるさと銀河線に乗車する。子ども達は銀河線初乗車。銀河線は今春4月で廃線になる予定なので、最後の記念にと思い、置戸まで往復することにした。午後12時発だったので、北見駅内で駅弁を買い、車中で昼食。私達の買い求めた駅弁はほたて丼、北の菜時季、かに飯の三種類。私は「北の菜時季」を頂いたが、これが、色合いも良く、とてもおいしかった。お弁当の表には「獲りたてオホーツクの味 道東の四季折々の味覚を旬の時期にお送りします。」とあった。お節をアレンジしたような風で、黒豆、緑色のお豆、ほたてを煮つけたもの、蟹の身と錦糸玉子をのちらし寿司などで、量も多すぎず少なすぎず適量なのも良かった。
 最初は曇っていた空が置戸付近からは晴れ間も見え始め、帰りの風景は陽射しを受けて明るくなっていた。北見着は13時42分。子ども達も、乗って良かったと喜んでいた。今日は私達のほかに乗っていたのは6〜10人くらいで、ほとんど貸し切り状態だった。
        
       ふるさと銀河線車両               出発
        
          訓子府駅                  雪景色を走る
        
           置戸駅               再び北見へ向かって走る
        
     白い世界の中をカーブしながら   ちほく高原鉄道本社(JR北見駅横)
3日 曇りのち雪。網走の姉が我家へ。のどかだった私達の子ども時代の話しになる。そういえば、飼っていた鶏が逃げだして、その卵を納屋で見つけたよね。狐やイタチが、うちの鶏を食べに、よく来ていたよね。叔父さんたちが狐やイタチを捕るためにいろんな仕掛けを作っていたよね。などなど。なんとも懐かしいことばかり。不思議なのは、今よりも何もなかった遠い昔のことなのに、思い出すたびにワクワクすることだ。
2日 晴れのち曇り。昨日、長男が帰省し、家族4人で生田原の実家へ出かける。路面がでていたので、走りやすかった。
我家にもどり、夕食後、『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)を読む。訳者の池田香代子氏が解説の中でインターネット・フォークロア(民話)、略して「ネットロア」と名づけたものの絵本版である。
その中に次のようなことが書いてあった。

・・・世界がもし100人の村だったら・・・
20人は栄養がじゅうぶんではなく
1人は死にそうなほどです
でも15人は太り過ぎです

また、
75人は食べ物の蓄えがあり
雨露をしのぐところがあります
でも、あとの25人は
そうではありません
17人は、きれいで安全な水を
飲めません

はっとさせられた。立ち止まって、見つめなおすことが自分の足元にたくさんあるのだと思う。
1日  新年おめでとうございます。午前8時頃、河川敷を散歩。昨日と同じ風景の中に、初春の清々しさが感じられました。冷気に凍えそうになりながら歩いていると、どこかで鳥が鳴いていました。川の流れに光が躍っていました。
今年も小さな希望の光を、決して見失わないようにしたいと思います。
皆様に良い事がたくさんありますように。
          
            初日                   初春の河川敷