| 構成 |
内容 |
| 教育の普及と学習の一般化 |
越中国は各地に郷学や私塾、寺子屋などが存在し、子供たちから
大人まで男女を問わず熱心に学んでいた。それが文化を成熟さ
せ、郷土愛と自治意識を育てるにいたる。石門心学が藩からも奨励
され、商いの徳が説かれた。実益面でも和算の普及が商売を活発
化させ、薬業の発展に寄与し、測量技術の発展を見た。 |
| 海防に見る郷土意識の高まり |
文化以降、日本海近海に異国船出没の報が相次ぎ、加賀藩・富山
藩は否応なく防衛力の強化を余儀なくされる。危機感は一般民衆
にも伝播し、各地の人々は装備拡充のための寄付を進んで行い、
郷土防衛組織である銃卒の結成と調練にも熱心に取り組んだ。こ
のことは警察権さえ有していた従来の町・村の指導者に、軍事的
権能まで委ねることになり、住民自治の一層の拡大を見た。 |
| 越中国の蘭学事始 |
越中国でも蘭方医学を通じて西洋の知識がもたらされ、天文学や測量
術、そして軍事などにも取り入れられていく。維新と「文明開化」を受け止
める準備は、すでに出来ていた。 |
越
中国の文化・文政以降
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越中国の文化・文政以降は、藩による産業振興策がとられ、人々の生活水準が向上する
反面、疫病や飢饉・地震・大火・風水害に見舞われ、加賀藩・富山藩とも海防の強化と財政危機の最中にあっても全力で救済に当たる。やがて維新の新時代を迎
え、更なる変革を余儀なくされた。
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廃
藩置県までの四年間
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加賀藩・富山藩とも版籍奉還により、中央政府の一地方行政単位になるとともに、財政
整理・法制の整備など現在に続く仕組みを作ることに努めた。しかしまた伝統や町・村のコミュニティーの破壊へと進んでいくことになる。わずか四年間なが
ら、大変重要な意味を持つ四年間でもあった。
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越
中国の思想史
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藩政後期
の越中国には、石門心学・国学・儒学各派の思想が流入し、藩士に限らず一般の人々も積極的にこれらを吸収した。それが商人の倫理を高め、農業を振興させ、
藩の経済政策に生かされた。
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北
前船と越中国の産業・人々
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加賀藩や富山藩では北前船と総称される渡海船を保護して移出入を奨励し、産業を発達
させる。さまざまな物資は川舟を用いて村の隅々まで運搬し、村や町相互を有機的に結び付けていく。これは木町などの特権を脅かし、度重なる訴訟を通じて流
通機構が再編・整備されていった。
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| 藩政期越中国のお話 |
藩政期の越中郷土史について、特に後期から廃藩までの加賀藩と富山藩に関するこれまであまり省みられることのなかった
内容を、史料を用いて記載した。 |
| リンク集 |
研究史料を入手できるサイト。富山藩の史料も閲覽できる。 |
| 更
新 |
平成22年2月1日 |