サリカ法


王位継承に関する法典として引き合いに出されるサリカ法。サリカ法(サリカ法典、Lex Salica)とは、フランク王国を作ったフランク人サリー支族の部族法典です。本来は刑罰、訴訟、相続に関する法典ですが、相続に関する条項が後のヨーロッパの王位継承に大きな影響を及ぼしています。

サリカ法の主な特徴は「女子による王位継承の禁止」。

元々の趣旨は、軍役を勤められる男子にのみ土地の相続を許すというもの。それが後に、土地(領土)に付随する称号(王位、爵位)も男子のみ相続するものと拡大解釈され、その結果、女子による王位継承の禁止ということになったようです。また、王位継承者に男子がいない場合は、女系(女子の配偶者またはその子供)による王位継承も認められていたようですが、後にサリカ法を受け継いだ中部ヨーロッパの君主国(ドイツ、フランスなど)においては、王位継承について他家からの干渉を防ぐため女系による王位継承も否定し、王位継承は男系男子に限るとしたそうです。よって、王位継承についてサリカ法を採用している君主国においては、女帝や女王は誕生しません。

ただ、現実問題として男系男子の王位継承者がいなくなってしまった場合は、サリカ法を放棄して、女子や女系による王位継承をすることもあるそうです。有名な事例として、ハプスブルク家のマリア・テレジアが、オーストリア大公、ベーメン王、ハンガリー王などの称号を継承したことがあります。これはハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世に男系男子の継承者がいなかったので、娘のマリア・テレジアにハプスブルク家の広大な領土を相続させようと女子による相続を認める勅書を出し、周辺国に認めさせたためです。ただし、神聖ローマ皇帝位は女性は継承できないので、マリア・テレジアの夫であるロートリンゲン公がフランツ一世として神聖ローマ皇帝位に就いています。しかしその後、この王位継承に不満を持つ周辺国によってオーストリア継承戦争が勃発しています。

なお、日本の皇位継承についてもサリカ法の影響が見られます。江戸時代までは女性天皇(女系天皇ではなく)も存在したことがありましたが、明治時代以降は明確に男系男子とされています。これは明治時代、憲法をはじめとする法制度を整備する上で、明治政府がサリカ法を採用しているプロイセン王国の制度を参考にしたためであると言われております。

 


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