爵位の成り立ち


<爵位の成り立ち>
 爵位の成り立ちを辿ると、カロリング朝フランク王国(今のドイツ、フランス、イタリアが中心)にまで遡ります。
 フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ大帝)が拡大した領土を支配する際に、領土をいくつかの州に分割
 し、各州を支配する役職(州伯)をおいたのが始まりと言われております。その後、この州伯は世襲の伯(Graf)
 となり、これを中心に爵位が構成されたと言われております。フランク王国における主な爵位は以下の通りです。

●公(Herzog)→後の公爵(Duke)
 古ゲルマンの軍事統率者に由来するそうです。
 
●辺境伯(Markgraf)→後の侯爵(Marquis、英国ではMarquess)
 異民族と国境を接し、独自の軍を擁する役職であったそうです。
 
●伯(Graf)→後の伯爵(Count、英国ではEarl)
 フランク王国での爵位の中心。これを中心に上下の爵位が構成された。
 伯を意味する英語Countは、後に行政単位となる国、郡、州を意味するCountryの語源です。
 なお、英国における伯爵Earlの由来は、アングロ・サクソン時代に地方の行政・司法・軍事等の権力を
 王からゆだねられた貴族のエアルドルマンEaldormanに由来するそうです。
 なお、伯爵以上の貴族はほぼ領地を持っており、爵位名もこの領地名に由来していることが多いです。
 また、複数の爵位を保有していることが多いです。
 
●王料地伯(Pfalzgraf、宮中伯、王領伯、帝領伯)
 国王の直轄地において国王の代わりに司法権を行使する役職であったそうです。
 
●副伯→後の子爵(Viscount)
 伯(英語でのCount)に次ぐもの(Vis)という意味で、伯の補佐をする役職だそうです。
 後に、伯の子が爵位を継承するまでの間、名乗るようになります。
 
 また、フランク王国分裂後の神聖ローマ帝国においては、以下のような爵位も存在しました。

●方伯(Landgraf)
 主に神聖ローマ帝国南西部において帝国資産を管理する職に就いていた伯爵に付いた称号。
 伯から方伯に昇格しても、帝国侯爵の地位に昇格することは稀だったそうです。
 
●城伯(Burggraf)
 後に都市に発展する大きなブルク(Burg)で法律執行の職に就いていた伯爵に付いた称号。
 帝国のブルクとその周辺地域の管理を担い、ブルク支配者、都市支配者となったそうです。
 
<現在の爵位>
 現在でも貴族制度が残っている英国では、以下のような爵位が存在します。

●公爵(Duke)
 

●侯爵(Marquess、英国以外はMarquis)

 

●伯爵(Earl、英国以外はCount)

 

●子爵(Viscount)

 

●男爵(Baron)

 

●准男爵(Baronet)

 世襲できますが、現在の英国ではほとんど貴族として扱われないそうです。
 
●ナイト爵(Knight)
 騎士爵、勲爵士、士爵とも呼ばれます。一代限りで世襲できません。
 


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