の昔、ゾウは

今日一本目の電話がかかってきた。 とはいえ、電話の主はあらかじめ待機している少女で、電話の音はSEである。

「やあ、こんにちは」
「こんにちは」
「しつもんはなにかな?」
「えーと、ゾウはふこうになるとすがたをけすってほんとうですか?」

僕はその答えを、いましがた記憶のひきだしから取り出したかのようにして、スクリプトに視線を落とし、話し始める。

アフリカの象牙の産地であるコモエ地方に住むゾウは、自分が死ぬ事をあらかじめ知っている
年老いたゾウは、群れから離れ、コグリと呼ばれるその地の水源に入り、立ったままじっと死ぬのを待つ
コモエ地方のゾウは出産の際にもコグリを利用する(補足)
だが、その事柄が「不幸になると姿を消す」ことの証明にはならない
それはゾウにとって何が不幸なのかが判らないからだ
ただ、「ゾウにとっての不幸なこと」は「死(全ての生物においての)」であるという考え方はできる
その昔ゾウは、その巨体が災いして、多くの生き物を踏み殺してきた
それが原因で、ゾウは進化の過程で他の生物に比べ、死に対する悲しみの感情が発達してきたと思われる
ゾウ以外の、人間に屍骸を見せない動物→ネコ・カラスなど(補足)

といったようなことを、子供等にも判るように、またある部分では子供達自身に考えさせるようにして話していくのだ。


その日僕は、家に帰ってからも不幸なゾウのことを想っていた。
僕は、自分の番組のスポンサーである児童図書専門の出版社から絵本の原作を依頼されており、その題材としてゾウの逸話が使えないかと考えていたのだ。

例えばこんなあらすじだ。

あるところに、口を開けば不平不満ばかり言う少女がいた→ある日その少女は夜の街を歩いていくゾウをみつける→みんなの目には見えていないらしく誰もゾウがいる事には気がつかない→少女はゾウに駆け寄り、シッポにぶらさがるとそのまま背中へと登っていく→いつしか少女はゾウの背中で寝入ってしまうがゾウは歩みを止めることはない→少女が目覚めるとゾウは広い野原のようなところに来ている→ゾウから降りるとあたりは象牙や骨がいたるところに転がっていて、少女はそこがゾウの墓場であることを察する→少女が乗ってきたゾウもすでに立ったまま息絶えている→少女は人知れず死んでいく不幸なゾウ達を想い、いつも人から同情を買おうとしていた自らを恥じる→やがて街へと歩き出す少女→END。

僕は一息ついて煙草に火を点けた。すると、つけっ放しだったテレビから急に音がしなくなったのでおもわず顔をあげる。画面の中では色とりどりのフリースがベルトコンベアーで流れていた。
喧騒の中の静寂。何の音もしないことがそのコマーシャルの存在を知らせてくれる。今日の新聞広告だってそうだ。全面広告なのだが印刷はなにひとつない。いわば白紙である。だが細かい活字がびっしりと並んだ紙面においてその広告はどんなキャッチコピーよりも雄弁だ。自己主張の強い空白。ドーナツの穴のような。
僕は、もし自分がこの世の中から突然かき消すようにいなくなってしまったらどうだろう、と考えた。その時、他の人々は、僕が以前存在した場所にできた空白に気付いてくれるだろうか?


夜中に目が覚めるとなんだか不吉な気分になっていることがある。口の中はネバネバして、舌の上に水分をたっぷり含んだコケが生えているような感じだ。
その夜、僕はもう一度動物の死について考えてみることにした。本当に動物は自分の死が近づいているのを知ることができるのだろうか。
なんとなくではあるが、野生の動物であるほどその瞬間のことを敏感に感じているような気がしてならない。それは彼らの一生が、「生まれる」・「子孫を残す」・「死ぬ」、といった三大イベントによって支えられているからだ。だが人間はというと、その点イベント事が多すぎて感覚が麻痺しているのだろう。この次に起こるイベントが「死」だなんてほとんどの人は考えたくないのだ。

僕は死期の予感について考える時 、きまって祖父が亡くなったときのことを思い出す。
祖父はその日すこし長めの風呂に入り、髪を洗い、伸ばしっ放しの無精ヒゲをきれいに剃った。そして、寝るときも必ず着用していた時計を腕から外しねじを巻くと、ケースに納め、そのままベッドで眠るように逝ってしまった。やがて祖父の家で通夜が始まると、前日祖父に道すがら挨拶された近所の人達が沢山訪れた。


次の日から僕は、出版社が用意してくれたホテルに籠もって、物語を仕上げたり挿絵画家と打ち合わせをしたりした。僕の全ての作業が終わったのは5日目の深夜だった。そして、その翌朝ドロドロになってホテルを出た僕は、すぐにタクシーに乗り込み家へと向かった。
ひさしぶりに家に帰った僕は、郵便受けに突っ込まれた数日分の新聞から今日のものだけを左手に持って、残った新聞をゴミ袋に突っ込んだ。そして、キッチンでコーヒーを淹れて煙草に火を点ける。
ソファーに腰掛けて新聞を開いた僕は、その時はじめて異常に気がついた。
新聞は一面を除いて全てが白紙だった。スポーツ面もラ・テ欄も薄い灰色一色に覆われている。
僕はゾウの肌のようなそれをしばらく眺めていた。もちろんそんなこと、普段の僕なら新聞屋に電話して抗議しているところだ。

でも今日の僕は違っていた。
僕はもうその時には、全てを理解していたのだ。
僕は意を決してソファーから立ち上がり、バスルームに向かった。
もちろん、無精ヒゲを剃り落とすために。

バスルームに行くと、鏡のむこう側からゾウがのぞいていて、僕をじっと見ていた。
彼は路面に流れるガソリンのような悲しみを持った瞳で、こちらから視線を外すことはなかった。





る。