ヴィレッジヴァンガード
のジュークボックス(#01)


例えば百円均一の店に置かれている商品を作っている工場に行ってみたい。そこで働く人たちと会い、そして語らっては色んなことを学びたい。その工場には沢山の人たちが働いていることだろう。リストラされてその工場にしかたなく来た人。アルバイトの学生たち。パートのおばさん。自分たちが作ってる商品が百円で売られているなんて、一体どういう気持ちだろうか。そんなことを考えてたらふと気がついた。僕の作ったプリンが八十円で売られていることに。

だからこの物語にその工場は出てこない。
そのかわりに僕は、


私は旅に出る事にした。行きたいところに行こう。ひとりで色々と考えていると、いきづまってしまう。ひとりで旅に出るのだから、旅先もやはりひとりなのだけれど。ところで、どこかに行く事を「旅」と名づけた人はえらい、と思う。旅に出ると決めた日から、私のあたまは「旅」というイメージで塗り替えられた。「旅行」なんかより「旅」の方がえらい。少なくとも私には合っている。町に出ても「旅」を想像させるものが私の目を引いた。本や雑誌、きれいな色のノート、豆腐屋、旅人風情のホームレスなど。そんなもの達がとても美しく、いとおしい。枕もとに置くとぐっすり眠れるかんじ。ただしホームレスはお断りだ。


毎日ハツラツと働く。ひとつ八十円のプリンも作る。僕はまったく良くやってる。だから誰か同情してくれないかなあ。僕は同情されるのが大好きなのさ。
そんなある日、みはりさんからメールが届く。どうやら彼女は旅に出るらしい。彼女は僕に同情してくれる数少ない僕の友人だ。同情しつつ背後から尻を蹴り上げる。やはり同情ってこうじゃなくちゃね。
さて、旅だ。彼女の旅は一体どんな感じなのだろう。もともとみはりさんは旅のイメージをもった人だ。とくに一緒にどこか遠くへ行ったというわけでもないのだが、なにかしら「旅」を想起させる女性だ。きっとただ単に、僕が置いてけぼりをされたくない人だからだろう。だから僕は今年の正月、彼女に一枚の絵葉書を送った。それは奈良美智の筆による絵が描かれている。だだっぴろいベージュの大地にカートを持った女の子が旅をしている絵。少しだけ遠くに行っていて、その姿は左上に小さく写っているだけなのだが、そんな遠くからでもこちらをじっと見ている。その立ち姿は妙に凛々しく、格好良い。そしてもう少しだけ、僕の中で勝手にイメージさせてもらえば、その少女は今いる場所に愛着と嫌悪を感じている。「ここではないどこか」なんて、けして存在しないことを知っている。そんな手垢の付きまくった言葉なんて、そもそも信用しちゃくれない。僕の中のみはりさんもそんな人だ。
僕はそもそもその絵やみはりさんなど、旅を感じさせてくれるものや人が好きでたまらないのだ。例えばこんな、


■#01■
もういくよ かえりたくはないさ
でもいくよ ここからどこまでも
―クラムボン「ララバイ サラバイ」






曲。