と僕とが触った犬

便宜上、君を君と呼ぶ。

君と僕とが触った犬。それはどこにでもいるような犬だ。気がつくとそこにいて、近寄ると日向のにおいがしてる。そんな犬。でも、みんなが出会った犬とは違う。僕らが触った犬だ。



首筋がちくちくして目覚めると僕の枕は破れていて、そば殻が布団に散乱していた。僕は破れた枕をゴミ袋に押し込み、布団の上に掃除機をかける。黒い点を吸い込むたび、掃除機のホースがちゃらちゃら音をたてる。
その日君は、遠くの街から車に乗って僕の町にやってきた。やがて僕らは、僕の枕を買うため日用品店に行く。二階にあるインテリアコーナーは、箪笥などが置いてある狭い空間と、ベッドが置いてある広い空間で構成されていて、何故だかそんな空間に僕らはとても居心地がよくなる。開店してすぐに入ったせいか、店内には客はおろか店員の姿さえなくて、それがますます僕らの気分をよくさせていく。
枕を探して店内を彷徨ううち、あの犬に出会った。かつて君と僕とが触った犬だ。ベッドに寝そべりこちらをじっと見ている。僕は、犬の横に置いてあった枕が物凄く欲しくなり、迷わずそれを購入した。僕は思わず枕をぎゅっと抱きしめた。うっすらと日向のにおいがまとわりついている。

僕も君もあの犬について話あったりしない。そもそも僕は君に大事なことを話し忘れる傾向にあるようだ。でもけっして意識的に話さない訳じゃない。僕は壺の中に手を入れ、中の飴玉を大量に掴んでは、そのせいで抜けなくなった拳をとてもはがゆく思う。いつもそれの繰り返しだ。
それでも、僕自身を知るために君と話し続けるのだ。今はそうしたいのだ。

家に帰りいざ寝ようとして電気を消し、その時改めて僕は無意識的に枕を三回たたいている事に気がついた。
僕がまだ幼かったころ、何かの本でこんなおまじないを読んだと記憶している。枕を三回たたくと、枕の中の妖精か何かが僕にいい夢を見させてくれる、というものだ。
僕はゴミ袋の中に入れられた枕を想った。ちゃんとお別れも言えずに捨ててしまった枕に、少しばかりの詫びをいれた。新しい枕にも、彼らがいてくれるのならきっといいのだけど。そう思った。そして僕は目を閉じ、重い頭を枕に沈めると、あの犬を思い出しながら眠りについた。君と僕とが出会った犬。僕らがかつて触った犬のこと。



ある日僕は会社で仕事をしていた。何者かが、僕らのオフィスを破壊しようとしている。とっさに僕は君の手をとり、非常階段を目指した。新世紀型恐怖の大王はビルの真横から。僕らの真横から。
僕らはそのような状況下でも、そのような状況だからこそ、自分たちをドラマティックな場所に置いてみる。それは唯一の防御策。唯一の避難所。こんなこと言いたくはないけど、希望だ。うすく、まれな、のぞみだ。でもその場所は、野島伸司や吉本ばななのそれと一緒だ。人が沢山死ぬ。
やがて階下に寝そべっていたのは、君と僕とが触った犬。君と僕がかつて触った犬。粉塵霧の中、じっとこちらを見ていた。

煙の中にいなくなった人たち。その人々が僕らのドラマに必要だって、誰が思うんだろう。
ねえ、誰が思ったんだろう?

でも犬はそれには答えない。答えないでじっとしている。「きっといつか忘れるよ」って茶化したりもしない。じっとしている。そしていつしか思い出したように立ち上がって、どこかへ消えた。



その日僕らは、それぞれの家にいた。家にいて、各々の脳みそを覗き込んでいた。そして何かを考えている。でもそれが何であるかは、とてもおぼろげであり、でも明確で解かりきったことでもあり、けして上手くは説明できない。きっと自分自身へも説明できない。

君も僕も、特別なカミを持たない。いや、自分自身の中にはカミのようなものを持ってはいるが、なまじ自分と同化しているものだから、どうしてもそれを本心から信じることができない。こころのどこかで馬鹿にしている。しかし、それでも手探りでそれを求め、必死にすがりついてしまう。箱の中身は何だろう? 君は君を知らない。僕は僕を知らない。

ふと君は、あの犬がすぐそこまで来ている事を知る。なんとなくそう思う。そして玄関を開けると犬はそこにいて、だまって君を見ている。君は犬になにかできないか少し考えてみる。そして、ジャーの中に残っていたまぜごはんと、豚の角煮とを皿に盛りそれを与えようとする。でも台所から戻ってくると、そこに犬の姿はない。

玄関には、日向のにおいが何かのしるしのように残されている。
そして君は僕にメールを送った。でも、犬の事には何も触れない。でも僕は君の家に犬が来た事がわかる。メールの文面からなんとなくそう思う。だから僕は君に電話をかける。でも僕も結局、犬の事は訊かない。そうして話しているうち、僕は玄関に犬が来ている気配を感じる。でも今は電話中なんだ。

君と僕が触った犬はまだいる。今日はいないんじゃないかって日もいる。きっといて、座ってどこかをみている。たぶんきっと。きっと、そうだといいんだけどな。


なにしてる? なにしてる?
どうしてる? 僕はいいよ。
君は何してる? 僕はうたってるよ。
今日は何してる? 僕は音を調整中。

そんじゃね。
またね。

(Plastics 「GOOD」)



犬。ねえ、犬。
ずっといなくならないで。僕らのそばをうろついて。
どこかに行きたくなったら、そっと僕らに教えてよ。
お前にけして首輪などつけないから。だからどこまでも行こうよね。

どこへだっていけるんだから。





る。