27.8
ニジュウシチ、ハチ


何度新聞のラテ欄を読み返したところで、「新春」と冠の付いた番組は見当たらない。
正月は終わった。
わたしは再び病室の天井を眺め、考え出さなくてはならない。

―でも、何を?



「テストの前日に、部屋の模様替えをしたくなるような」。そういった感じのコンセプトで会社を辞めてみた。わたしはクリスマス前の、乳臭いパティシエルームから逃亡してしまった。
そもそも、あれが良くなかった。有名タレントが覗きで逮捕され、やがて覚醒剤所持で再逮捕。わたしは、目を覆いたくなるような痛々しい人間を目の当たりにし、俄然生きる勇気、躍動感、その他が湧き出てきた。そして、こう思った。
「こいつよりは、マシだ」。
そして、わたしは職場を見渡した。自分に磨きをかける事を忘れ、半ばオバサン化した先輩達。彼女達の体は、バター及び生クリームといった乳製品とグラニュー糖とで形成されている。
わたしはまたも思った。
「わたしは、こいつらみたいに(以下略)」。



しかしそれからというもの、朝方寝て昼頃起きる毎日。昼過ぎにごそごそ起き出しテレビを見ていると、なにやら風水特集なんぞをやっていて、その風水の先生が言うには、「南西の方角に頭を向けて寝ていると、恋愛にも人生にもルーズになってしまいます」って、ほんとかね。早速磁石を用いて、枕の置いてある方角を確かめてみたら、あらビックリ、ズバリ南西。そうかそういう事かとつぶやいて、すぐに枕を足元に置いて横になり、天井の染みとか眺めて、さあこれで私も大丈夫、半笑いで目を閉じると、次に目覚めた時には、日はもうとっぷり暮れているという体たらく。



そんなだから、夜の散歩が日課となった。薄暗い商店街を抜けて、幾分明るい駅の前を通り、違う路地を通ってまた家に帰ってくる。駅前には、胡散臭い二人組がギターをかき鳴らし演奏していて、それをボーっと眺めたりしている。



 お正月といえば炬燵を囲んで 
 お雑煮を食べながら 歌留多をしていたものです
 今年は一人ぽっちで年を迎えたんです
 除夜の鐘が寂しすぎ 耳を押さえてました 
 家さえ飛び出なければ今頃皆揃って お目出度うが言えたのに
 何処で間違えたのか



曲が終わらないうちに、わたしは電車に飛び乗った。
どこに行きたいのかは分からない。
千円で買えるだけの切符を買って、わたしは電車に飛び乗った。
「なんて陳腐な」。そう思った。実際に口に出してみた。

すると、海が。



そこは港町で、薄暗い駅周辺に屋台の光がポツリポツリと光っていた。
やがて、わたしはその中の一軒に入っていく。
他の屋台は何人かの客が訪れていたが、その店はひっそりとしていた。そこはイタリアンの屋台なのだが、場所柄的なものなのだろうか、屋台の形状や発する匂いなど、全てが異質だった。孤立していた。電飾ばかりが派手で、それがかえって寂しさを増長させている。
地方でこういう商売に手を出すと、必ず失敗するものだ。
わたしは、チーズだけのピザとビールを注文した。
「おネエさん、なんか可愛いね」
主人は若い男で、脳みそまで精液に浸かってそうなギラギラした男だ。
わたしは、この男を見た時から堅気の人間ではないな、と睨んでいた。

わたしはそういうタイプの男は好きでもなければ、興味もないのだが。



男のアパートで、少し話をした。
「仕事、何やってんの?」
「ケーキ屋。もう、やめちゃったけど」
「うちの屋台さあ、デザートとか力いれたらもうちょっと客増えると思うんだよ」
「ん、そうかもね」
「だからさ、うちの屋台手伝ってくれない?」
「いいよ、別に」
「ほんと?」
「うん。でも、しばらくここ泊まらせてね」

それからの男のはしゃぎようは、ただならぬものがあった。灯りを消して布団に入ってからも、男はしばらく起きている気配を発していた。



男が眠ってからもわたしは眠ることができず、結局朝方に男の家を飛び出し、始発に飛び乗った。
車内は、行商人の老婆と酔っ払いとわたしのみ。魚の匂いが取り巻いている。冬の早朝で、海は真っ黒だった。
やがて老婆は、背中から魚の入った風呂敷を下ろし、ダンボールを床に敷いて自分も座ると、木箱の魚を一匹づつ捌き始めた。

ダンボールがみるみるうちに、赤黒く染まっていく。

急に吐き気がして、わたしはトイレへと向かった。だが、間に合わなかった。

吐血した。

なんだか急に面倒臭くなった。
目の前に倒れ込めば、誰かが家に連れて帰ってくれるのではないだろうか。
実際にやってみると、床に転げ出た血液がなんだか温かくて、わたしは「ふーん」と思った。
それからは、ひたすらレールと車輪の摩擦音に耳を傾けた。



繊細さの称号/ストレス性胃潰瘍



毛布を被せ、光が漏れないようにしてテレビを点ける。深夜に追いやられた正月を発見する。
「新春お笑い十番勝負。トップバッターは、昭和のいる・こいるの御両人です!」
地味な関西のアナウンサー。門松や羽子板を模したチープなセット。

わたしは次第に衰弱して、今や虫の息の正月をむさぼる。
毛布越しの光みたいな、妥当な逃げ道を探す。


 春が訪れるまで今は遠くないはず

         ―春よこい



わたしは何時か、あの町に戻るのか。それを考えだす。
油臭い屋台の中で、生クリームを絞っている自分を想像する。



原作/つげ義春「やなぎ屋主人」+サニーデイ・サービス「スロウライダー」挿入歌/はっぴいえんど「春よこい」




る。