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層 造


層造 目次

倉重光則 SCARECROW〈案山子〉
篠原誠司 世界のかたち 
石井隆浩 ポートフォリオ
フランク・フアマン entwicklungsstufen
勝又豊子 記憶を旅する
菊井崇史 心が拡がり、今、ふれる軌跡を尽くすために イ、シ、ト、キ、ノ、ホ、ネ
座談 来たるべき層造のために 石井隆浩 勝又豊子 菊井崇史 倉重光則 篠原誠司

 評論集でも作品集でもない本をつくる。その目的のもとに六名は集い、自身が行ってきた表現を根本から見つめ直し、ことばを紡ぎ出した。表現の方法、年齢、性別、国籍を異にする各々のことばがページとなって重なり合う『層造』は、本自体が複製されたオブジェとしてかたちを成す。それは、六名の意識の内にある創作の源を語り、人が存在することの真の意味を私たちに問いかけるだろう。

定価:1,000円+税

層造 twitter https://mobile.twitter.com/artspace_books

 

「層造」は以下で販売しています

ナディッフ 渋谷区恵比寿1-18-4 Tel:03-3446-4977 http://www.nadiff.com
ギャラリー現 中央区銀座1-10-19 銀座一ビル 3F Tel:03-3561-6869 http://g-gen.main.jp
なびす画廊 中央区銀座1-5-2 ギンザファーストビル3F Tel:03-3561-3544 http://www.nabis-g.com

 

石井隆浩
1980年、群馬県に生まれる。現実の世界と自己の意識の関わりを、木などによる彫刻をもとにした空間よって表している。
http://www.tiworks.info

勝又豊子
1949年、宮城県に生まれる。彼女自身の身体感覚が追体験されるような空間を、写真や映像、鉄などによる立体造形を用いてつくり出している。
http://katsumata.main.jp

菊井崇史
1983年、大阪府に生まれる。自身の意識の奥底にあるおぼろげな情景や感情を、現実との接点の中でリアルなかたちで表した詩や写真、評論などを発表している。

倉重光則
1946年、福岡県に生まれる。白、青、赤などの蛍光灯によって、観る者が意識の中でその光と同化するような造形空間をつくり出している。
http://kurashige.main.jp

篠原誠司
1965年、栃木県に生まれる。自身の存在を取り巻く世界のかたちを、現実の風景の中で見つけ出し写真として表すほか、造形の評論、展覧会の企画を行っている。1998年より批評誌『Infans』を発行。

フランク・フアマン
1955年、ベネズエラのカラカスに生まれ、5歳で両親の故国であるドイツに移る。時間と空間をテーマに、一処に留まることのない世界の在り様を造形空間としてつくり出している。
http://frankfuhrmann.com


篠原誠司 世界のかたち

「篠原誠司 世界のかたち」
 私は、自身が世界とつながるための場所を求めて写真を撮り、美術の評論を記してきた。写真を通じて自分が今まさに存在する場所を表し、評論の中では表現者がつくり出そうとしている場所に迫ろうとした。
 私がこの世界に存在することで、身体と意識は、視えない影のようにつきまとう不変のかたちに包まれる。それは、生を受けてから私が無数に体験してきた場所との出会いがつくる、空間の原体験をもとにしている。そうしたかたちの源を明らかにするために、自分の意識の内にある唯一無二の場所と、現実の風景を重ね合わせながら、写真を撮り続けてきた。そして、他者の表現を論じる際には、各々が意識の大もとに持ち、造形を通して鑑賞者と共有しようとしている、表現者自身の存在について探ってきたのである。
 本書『層造』は、私を含める6名の文章と作品写真による、作品集でも評論集でもない、造形としての本である。私たち6名は、人の存在と場所との関わりに重きを置いて表現を行ってきた。場所に対するそれぞれの思いは異なるが、それだからこそ、この本は重層的な広がりを持ち、人の意識にとって場所とは何かという問いを読む者に強く語りかける。
 本書の中で私は、他の5名にとっての表現と場所との関わりを自分なりに論じた。さらに、最近撮影したモノクロ写真の中から、5名それぞれの場所の在り方を表していると思われるものを選んで当てはめ、自身の表現とした。それは、私が彼らと重なり合いながら、自身の写真表現と評論とを統合させる試みに他ならない。
「内なる現実の場 ―石井隆浩へ」
 人は、自身が立つ現実の場と、意識の内で想像される場という、異なる二つの場によって自己の存在を確認する。現実の中では、実際に見て触れた体験をもとにして、自身を取り巻く場所が実感される。また、意識の内では、記憶や夢の中の場所、想像の及ばない無限の時間や空間なども含めて、実際には体験されることのない場所までもが、自身の存在と関連付けて想起される。私たちは、この両者を合わせて自己を取り巻く世界として認識し、この世界とのつながりの中で、自己が存在する証を体感するのである。
 石井隆浩は、自己の意識が現実の場に及ぼす領域を、「庭」の概念を用いて定義し、木などの彫刻作品をもとにした空間によって、そうした場を視覚化させる表現を行ってきた。近作では植物をかたどることもある彫刻は、彼自身の存在をかたちとして表し、それらを取り巻く空間は、造形としてつくられた現実の場であると共に、彼を取り巻く世界を象徴している。そして、彼の意識の領域と、現実としての造形空間が融合する場の中で、私たちは、自分自身が存在する場についてもしばし思いをめぐらせるのである。
「脈打つ空間 ―勝又豊子へ」
 日常の中で私たちは、自身の身体を無自覚に動かしている。しかし実際には、身体は意識と重なり合ってその実像を成り立たせている。試みに、手を見つめながら指を折り曲げていくと、自己の意識が身体を統制していることが実感されるだろう。 
 では、写真や映像に映し出される自己の姿は、意識とどのような関わりを持つのか。そこに現れるのは、意識から切り離されて現実と混ざり合った自分自身の虚像である。唯一無二の存在として生きる私たちは、虚像となることで際限なく生産され、それ自体が自身を取り巻く世界の一部にもなり得る。
 勝又豊子は、自己の身体やその知覚をもとにした表現を行っている。作品は、身体が写真や映像で実際に映されることもあれば、象徴的な光景が空間の中に造形でかたちづくられることもある。彼女の身体感覚がかたちを成した空間で表されるものは、単なる虚像ではなく、生々しく脈打つもう一つの実像である。その場所で私たちは、彼女が体感した世界と向かい合い、自分自身の身体と意識をそこに重ね合わせるのである。 
「明滅する記憶 ―菊井崇史へ」
 現実の中で私たちは、実際に目にし、手に触れた実感と、意識の奥底にある記憶や思考との交叉を無意識の内に行いながら、現実を自らのものとして体感する。生を受けた時から積み重ねてきた無数の体験や思考をもとにした記憶の領域は、新たな体験が加わるごとに広く深くなり、人の意識を止むことなく成長させる。日常の営みの中では、その瞬間ごとに記憶の断片が呼び起こされて眼前の現実と結び付き、意識の領域が日々体験される世界とつながることで、私たちは自身の生を実感する。
 菊井崇史が記す言葉の内には、意識の内から取り出した記憶が断片となって明滅している。現実の中で得た、言葉が生まれる前のおぼろげな感覚は、意識の奥底を彷徨して探し求めた記憶と重なり合い、彼が生きた無数の瞬間を表す言葉の種となる。それは、彼の意識の内にある情景を想起させ、そこに触れた私たちは、日常では体験され得ない感情や思考を呼び起こされるのである。
「現実になった光 ―倉重光則へ」
 人は、無限の時空に生の楔を打ち込んで、その中に刹那漂っている。闇の中にたたずむ世界は、私たちがその存在に目を向け自覚することで、光を受けるように姿を露わにし、人と相対する現実となる。
 光が見せる光景、モノの姿、自己の身体。それらは、光の中で現実として浮かび上がる。それと同時に、光自体も世界の一部となって私たちを取り巻いている。日常の中で、人は光に対して無自覚だが、たとえば、水面に映ってきらめく陽光は、太陽の姿と光のかたちを同時に見せ、まぶたの裏側を照らす光は、自身が受ける光そのものを体感させる。
 倉重光則は、蛍光灯の人工的な光によって造形的な空間をつくり続けてきた。その空間を彼は、「蛍光灯の光に照らされた現実」と呼ぶ。白、青、赤などの光で覆われた非日常的な空間では、光を受けるものよりも、光源自体の存在感が強められ現実の一部となる。そこで光に包まれる私たちは、自己と光が一体となり、新たな場がつくられていることに気付かされる。それは、世界の中に漂う自身の生を確信する瞬間でもある。
「場所が記憶する出会い ―フランク・フアマンへ」
 現実の空間は、そこで人が出会い相関することで世界となる。私たちは意識に統べられた身体をもって生を営んでいるが、人と人とが出会う時、身体だけではなく意識も交叉し、その体験は記憶として意識の内に残される。そうした出会いが無数に重なり合い、私たちを包む世界がかたちづくられる。
 一方、制作者の意識をもとに造形としてつくられる空間は、それ自体が人と同様に自立する存在であり得る。そこに相対することで、制作者自身との交流がなされ、作品と向かい合った体験は、人との出会いのように意識に刻まれる。
 フランク・フアマンは、時間と空間をテーマとして制作を行ってきた。「諸行無常」ということばを引用して語られるその作品は、うつろう時間と空間のはかなさを読み取らせる。彼の作品と向かい合う私たちは、その一瞬間、時と場所を同じくするが、そうしたかりそめの出会いは、失われない記憶として永く意識に留まる。同時にそれは、展示が行われた場所そのものにも視えない記憶として残されるのである。

層造 (『層造』出版記念展)が開催されました。

会期:2014年3月24日(月)〜4月5日(土)
11:30〜19:00(日曜日休廊、土曜日〜17:30)  

会場:ギャラリー現(東京都中央区銀座1-10-19 銀座一ビル3F tel:03-3561-6869)
作家:石井隆浩(造形)/勝又豊子(造形)/菊井崇史(文筆、詩、写真)/倉重光則(造形)/篠原誠司(写真、評論)/フランク・フアマン(造形)

3月31日(月)レセプション
17:30〜 アーティスト・トーク
18:00〜 菊井崇史( 『層造』掲載本文朗読)×中嶋夏(舞踏

  ART SPACEはこのたび出版部を立ち上げ、第一出版物として、3月中旬に『層造』を出版いたします。『層造』は、表現が行われる「場所」との関わりに特にこだわって制作を続ける6名の作家ー石井隆浩、勝又豊子、菊井崇史、倉重光則、篠原誠司、フランク・フアマンーの文章、作品によって構成される本です。本のタイトルの『層造』は造語ですが、個々に存在するものが重なり合った時、別の新しいものを生むという意味を持っています。
 この本を通じて、表現も年齢も異なる6名の表現を一つの場所に折り重ねることで、本自体に、作品集でも評論集でもない、新たな表現としての意味を持たせることを目指しています。
 『層造』の出版を記念して行われた今展覧会「層造」では、表現の場を、誌面からギャラリーという現実に空間に移し、6名の作品が対峙しながら新たな場が創られました。
 展覧会第2週の初日にあたる3月31日(月)には、レセプションとして、17:30より6名による自身の作品解説が、18:00からは、菊井崇史の詩の朗読と、70歳を迎え新たな境地へと入った舞踏家・中嶋夏の舞踏とのセッションが行われました。

 

「層造」(ギャラリー現)会場
左から フランク・フアマン、菊井崇史 作品

「層造」(ギャラリー現)会場
左から 篠原誠司、勝又豊子。倉重光則 作品

石井隆浩 作品

勝又豊子 作品

菊井崇史 作品

フランク・フアマン 作品

『層造』表紙写真:篠原誠司(福島県大沼郡三島町・荒屋敷遺跡出土 縄文時代の漆の糸玉)