ことばの領分 2002


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 2002年の夏、Gallery ART SPACE、ART SPACE LAVATORY、ギャラリーそわか[そわか1]、ギャラリーそわか[地下室]の4つの展示スペースで「ことば」をテーマとするインスタレーション作品のプランを公募し、審査の上で選ばれた作家の個展がそれぞれ連鎖的に行われる企画が開催された。


 

【東京】Gallery ART SPACE 2002年7月24日(火)〜8月4日(日)
      150-0001 東京都渋谷区神宮前3-7-5-4F
      ・藤井信孝(1972年生まれ、神奈川県在住)
     ART SPACE LAVATORY(ART SPACE内のトイレの展示室)
      ・金崎由紀子(1980年生まれ、神奈川県在住)

【京都】ギャラリーそわか 7月30日(火)〜8月11日(日) 
       601-8428 京都府京都市南区東寺東門前町90
     [そわか1]
      ・平田さち(1979年生まれ、京都府在住)
     [地下室]
      ・叶野千晶(1970年生まれ、東京都在住) 


【東京】Gallery ART SPACE   2000年7月24日(火)〜8月4日(日)
藤井 信孝 展 『Text 人間の土地』
2002年7月23日(火)〜8月4日(日)

(Gallery ART SPACE)
 ギャラリーに入いると、赤く塗られたバルサ材を素材とする、全長、翼幅ともに約450cm の「飛行機」を型どった立体作品が天井から吊るされ、足もとが見えないほどに照明を落としたギャラリーの空間を満たしている。この機体のところどころには、バックライトを仕込んだ4.5cm幅の帯状の窓のようなものが計12ヶ所設けられており、そこにはサン・テグジュベリの著作『人間の土地』から抜き出したテキスト −例えば「ええ!わしは方角には明るいんですよ。あの星の見当が、すっかりチュニスさね!」− などが微弱なライトに照らされ微かに浮かび上がっている。そしてこの闇の中の作品は、タイマーの制御によって以下のような光のパターンを1サイクル5分ほどで繰り返してゆく。
 まず、バックライトが文字を2分間照らす−全ての照明が消え、機種の下方の床にスライド・プロジェクターの光が落ち、「アンリ・ギョメとぼくの僚友よ、きみにこの書を捧げる」というテキストを1分間投影する−壁の四隅に設置された4灯の強力なフラッシュ・ライトが、あたかも稲光のごとく20秒間点滅し、赤い機体の全容を観客の目に焼き付ける−再び文字が弱く映し出される−
 この飛行機は、サン・テグジュベリが実際に乗っていた「コードロン・シムーン機」を三分の一のサイズで再現したもので、ここではそこに「人間の土地」のテキストが重ねられることで、文学から離れた三次元的な表現がなされている。ところで、確かにこの中で「人間の土地」のテキストは作品の根幹となっているが、それは実際には断片として細かく分断されて「機体」の中に埋没しており、ギャラリーの中で私たちがサン・テグジュベリに思いをはせることは困難である。では「人間の土地」は何の役割を果たしているのか。
 藤井は、「読む」ことの不確実性が作品のテ−マであるという意味の発言をしばしば行なっているが、実質的には読み進めることのできないテキストの断片と、「人間の土地」に対する藤井のイメ−ジを象徴するであろう「飛行機」とが複雑に重なり合ってつくられた空間は、文字あるいは物語を追うこととその中で想起させられるイメ−ジとの関係性とは、読者の心理や周囲の状況次第でいかようにも変わってゆくという、絶対的な「読み」や理解は存在し得ない事実を暗に表わしているように思われるのである。
藤井信孝 作品写真1
藤井信孝 作品写真2
金崎 由紀子 展 『洗濯籠の蔭に巣くう小鳥』
2002年6月11日(火)〜7月7日(日)

(ART SPACE LAVATORY )
2002年6月11日(火)〜7月7日(日)
Gallery ART SPACE Produce 『ことばの領分2002』
 金崎 由紀子 展 『洗濯籠の蔭に巣くう小鳥』
 トイレの壁の正面に、幅25×奥行き22.5cmの板が36cmの高さに設置され、天井に取り付けられた同様の板との間の手前の部分に、22本の細いテグスが約1cmの間隔をあけて天地方向に均等にぴんと張られている。下方の板の上には薄クリーム色の羅紗紙にぼろぼろのマチエールをほどこしてつくった「かたまり」が置かれ、それは板から飛び火し、背後(80cm高)に設置されたクリップライトの弱い光に灯らされて、テグスと絡み合うようなぼんやりとした影を壁面に落としている。また、背後の壁には白く塗られた二つの簡素な棚が設けられているが、その一つには、この作品のおおもととなる『洗濯籠の蔭に巣くう小鳥』と題する物語を小さな印字で綴った、25.5×10.5cm、縦長で8ページの小さな本が、もう一つの棚には、金崎がこれまでにつくってきた「本」の形式の作品写真をまとめた『作品暦』および、写真とテキストによる本の作品、感想ノートの計3冊が置かれている。
 ところで、この作品のテ−マとなる物語のあらすじを簡単に説明すると、洗濯籠の蔭にある日小鳥が巣くうが結局は溺れ死んでしまい、でも、死んだ後も洗濯籠の裏がつい気になってしまうというものだが、そうした物語をたとえ知らなかったとしても、羅紗紙とテグスによる「鳥の巣」からは、かつてそこに生命があった痕跡を、何とはななしにではあるが感じ取ることができる。そして、『洗濯籠の蔭に巣くう小鳥』を読んだ後では、そうした印象は一段と確かなものになり、何もいるはずのないその場所に、小鳥をめぐる物語のさまざまな場面を空想の中で追うことができるのである。
金崎由紀子 作品写真1
金崎由紀子 作品写真2
【京都】ギャラリーそわか         7月30日(火)〜8月11日(日)
 平田 さち 展 『センツ』
2002年7月30日(火)〜8月11日(日)
(そわか1)

 ギャラリーの床の中央に、直径約525cm の薄紅色の円環が広がっている。近づいてみると、床面の傷や汚れ、タイルのグリッドなど、ギャラリーの床の本来の状態が円の下に透けて見えている。
 この円環は、まず型紙で大きな円を残してマスキングした上で、煉瓦を細かく砕いた粉末をコンプレッサーで中空に向かって噴出してその粒子を自然に任せて床に降り積もらせ、最後にマスキングを外して残ったかたちであり、間近に目を近づけてみると、微細な粒子が適度な距離を保って、しかしほんの数ヶ所では局所的に密集しながらほぼ均等に床を埋めている様子を認めることができる。
 ところでこの円環を見ていると、輪郭のみが鮮明であるが、その内側の部分からは実体の無い皮膜が床面に貼り付いているような印象を受ける。確かに粉末の集合体であるという作品の成り立ちを考えれば、円環自体のモノとしての存在感がきわめて希薄であることも十分納得できるだろう。しかし実際には、質量をわずかながらでも持つ物質でありながら円という「かたち」でもあるこの作品の不可思議な存在は、「ギャラリーそわかの一室」という空間のと結びくことで、空間のもとの状態を残しつつも場の性質を異化させ、同時に煉瓦の粒子そのものも、この場にしか生まれ得ない固有のイメ−ジを含み持つ物質へと変質しているのである。
平田さち 作品写真1
平田さち 作品写真2
 叶野 千晶 展
『a traveller 〜my life〜』

2002年7月30日(火)〜8月11日(日)
(ギャラリーそわか地下室)

 地下室の壁の上半分を一周取り巻くようにして、オーストラリア、ロンドン、パリ、沖縄、アメリカ、スウェーデン、フィンランド、エストニアなどで作者自身が撮ったサービス版のカラー写真数百枚が壁に貼られ、それらの下一列分には、ポストカード大の黒い封筒にそれぞれの旅の日記(コピー)を入れたものが並べて貼られている。さらに壁の合間の3本の柱には、自作の詩編をトレーシングペーパーに印字した赤い封筒が貼られ、これらの集積は、空間だけでなく作者が過ごした「時間」の隙間をも埋めるような印象を観るものに与えている。
 またこの空間には、階段状のものとテーブル状のものの二つの窪みがもとからあるが、前者の階段には、作者自身が影響を受けたものたちや思い入れのある私物 −さまざまな旅行書や音楽(CD)、ジョージア・オキーフなど− やPHS、小物類が彼女の日常を象徴するものとして置かれ、後者には、台上に円形に置かれた空(沖縄、アメリカなど)のカラー写真群を取り巻くようにして、日常の中で撮った電線や空、道などのモノクロ写真が、ところどこに貼られた詩の断片を伴って周囲の壁面を埋めている。
 床に目を移してみよう。部屋の奥にはスーツケースが一つ旅の象徴として置かれ、その周囲をゆるやかに囲むようにして、彼女がこれまで旅をしてきた場所を示す地図や写真、線によるドゥロ−イング、封筒を写真を組み合わせたもの、17個の小さな黒いポーチと「線路」を表わすようなドゥロ−イングとを組み合わせたものなどが、それぞれ床の上で小さなかたまりとなっており、ギャラリーの隅には彼女が作業を行なうための簡易な台と椅子が設置されている。
 写真に埋め尽くされた部屋。それがギャラリーに入ったときの第一印象であるが、それらの隙間を埋めるように貼られた、詩のことばを印字した小さな紙片や黒い封筒の中の日記は、他者には伺い知れない作者の心情の一端を表わしているだけではなく、部屋の中のすべての写真を「彼女の意識の産物」という共通項でくくることで一つに結びつけ、写真が撮られたときの状況をその真意と共に生き返らせるのである。
 そして、彼女が生きてきた時間の一端を示す軌跡でもあるこれらの作品は、この場にたたずむ私たちに、作者本人やその詩編と相対しただけでは感知することのできないかもしれない、彼女の本質に触れるきっかけを時として与えてくれるのではないだろうか。
叶野千晶 作品写真1
叶野千晶 作品写真2