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神谷清和 遺作展「海景」開催のご案内


 このたび、浦賀のギャラリー時舟にて、昨年9月25日に逝去された横須賀市の美術家・神谷清和(1937-2013)の遺作展を開催いたします。
 東京・日本橋に生まれた神谷清和は、戦時中横須賀に移り、戦後間もなく9歳で高間惣七に師事し、門下生として美術の基礎を学びました。1960年に多摩美術大学絵画科卒業した後、美術家としての活動を本格化させ、夢土画廊、櫟画廊、ギャラリーセンターポイント、シロタ画廊、Gallery ART SPACE等で数々の作品を発表しました。また、1970年〜1995年には多摩美術大学にて教員を務め、数多くのクリエイターを世に送り出しました。 
 このたびの展覧会では、死の間際まで精力的に制作を行った「アラベスク」のシリーズを中心に、2000年代以降の未発表作品を展示いたします。

 

 

神谷清和遺作展「海景」

2014年8月30日(土)〜9月21日(日)
11:00〜17:30(9月21日は16:30まで)
火・水曜日

Vol.1:「アラベスク」8月30日(土)〜9月12日(金)
Vol.2:「内なる想い」9月13日(土)〜9月21日(日)
*一部展示替えをいたします
8月30日(土)17:00よりオープニング・レセプションを開催いたします。

ギャラリー時舟
〒239-0821
神奈川県横須賀市東浦賀2丁目4-21 東岸渡船場隣
090-1053-8526/塩路明子
京急浦賀駅より徒歩約13分、浦賀駅より京急バス観音崎方面行「新町」下車徒歩3分、西岸渡船場より乗船2分

 

神谷 清和(かみや・きよかず)
 1937年、東京・日本橋に生まれる。戦時中、葉山に疎開し、戦後、横浜・六浦に移り住む。1946年より高間惣七に師事。グループ『円』展(横浜)、全日本学生油絵コンクール(東京都美術館)、高間惣七門下・赤別荘展 (横浜市民ホール)等に出品。高間惣七が中心メンバーだった旺玄会展に、第7回展(1953年)から第10回展(1956年)まで出品。第9回展(1955年)では会友推挙、第10回展では受賞を果たすも同年退会。1960年、多摩美術大学絵画科卒業。同年、「板倉靖樹、神谷清和、金子寛展」(東京電力ショールーム)を、1963年、「TABER RASEE展」(檪画廊ほか)を開催。日活での美術制作スタッフを経た後、作品制作と平行しながら、1962年〜1964年、大西憲二郎デザイン研究所にてテキスタイル制作(パターンデザイン)、服飾、インテリアデザインを手がけ、1965年からは高島屋、伊勢丹、東急各百貨店および西川産業、レナウン、ロマンにて、フリーの服飾・インテリアデザイナーとして活動する。1963年、横須賀へ転居。1965年にはフランスで滞在制作を行う。さらに中近東、アジア各国を巡る。1969 年には夢土画廊にて個展を開催。1970年、椿近代画廊にて「現代作家コパン ・ド・サロン展」に出品。 
 1970年より1995年まで多摩美術大学にて教員を務め、数多くのクリエイターを世に送り出す。その間、私学財団研究員としてヨーロッパ(スペイン、ポルトガル、イタリア、ドイツ、ベルギー、オランダ)に滞在。さらに香港、ベトナム、カンボジア、パキスタン、セイロン、インド、エチオピア、エジプト、ギリシャにて研究取材を行う。その他、ニューヨーク、メキシコ、グァテマラ、ソウルにも滞在し取材を行った。
 1978年および1980年、トーシン画廊にてグループ展を、1987年にはギャラリーセンターポイントで個展を開催。1990年代には、Gallery ART SPACE(1990年・1992年・1996年)、ギャラリーフィナール(1991年)、シロタ画廊(1995年)にて個展を開催し、精力的に制作・発表を行った。2013年9月25日、76歳にて逝去。

 



Passion Fruits Arabesque (2013年)



Stellar Arabesque (2013年)



Passion Fluits -La Vie- (2012年)



Granada (2013年)


Sevilla (2013年)


Passion Fruits Arabesque (2012年)


Arabesque (2012年)


Stellar Arabesque (2013年)


Passion Fruits (2013年)



Arabesque (2012年)

 



Rhrthm(blue) 2006年

Rhrthm(white)2007年



Rhrthm(orange) 2006年


Rhrthm(yellow) 2006年


Arabesque 花系譜 (2012年)

Arabesque 2006年


Arabesque 2 (2013年)


Granada-Arabesque-2(triangle) -Voice- (2012年)


Arabesque (2012年)


Arabesque Morpho Me cabs (2013年)


Arabesque Morpho Me Anakibia (2013年)


無題 (2013年)


Mob.0-13 (2013年)
 


シロタ画廊個展(1995年)


佐島のアトリエ・Studio Kにて


Studio Kで制作中の「Sajima'95」のシリーズ


Studio Kでのオブジェ群


ギャラリーフィナールにて(1991年)


晩年の創作ノート

 

パッションフルーツと父
 あれは去年の9月、父の誕生日間近の月曜日の事でした。父は私に初めて、パッションフルーツについて語ってくれました。パッションフルーツは、1995年に出会って魅了されてから、必ず作品に織り込んできたモチーフです。父が去年の春から夏にかけてたった3か月余りの間に、神罹ったかのように描き上げた一連の作品にも、勿論描かれています。父が作品の意味を教えてくれるのは初めてだったので、不思議な感じがしたのを覚えています。
 パッションフルーツの「パッション」とは「情熱」を意味する語ですが、実を切った時に十字架の形が表れる事から、「受難」そしてキリストを意味するのだと、父は教えてくれました。そして、作品の中心にある四角は唯一神、または宇宙を表しているとの事でした。
 1995年の作品から2013年までの18年間、パッションフルーツが父を惹きつけてきたものは何だったのでしょう。必ずしも順風満帆だったわけではない人生を送ってきた父が、「受難」を意味するパッションフルーツに、自身の境遇を重ね続けて来たのかと思うと心が痛みます。
 ところが、父の人生の集大成であるようなこの度の展示作品には、「アラベスク」というタイトルがつけられていました。父の創作ノートにはこう記されておりました。「涅槃」または「アラベスク」と。「涅槃」という、一切の煩悩から解脱した境地を念頭に置いて「アラベスク」を創作したのだとしたら、父は「受難」と言うテーマから解放されつつあったのではないかと思いに至りました。この時には、安堵の涙を抑える事ができませんでした。 (次女・中村真紀)

 

神谷清和 海と、音楽と、宇宙と
 神谷清和の作品は、生涯心の内に持ち続けた「海」に支えられ、日常では常に音楽に包まれ、さらに、宇宙という無限の存在に思いをはせる中でかたちづくられた。
 私が神谷の作品に最も深く接したのは、彼の展覧会を企画し作品を扱うGallery ART SPACEに勤めていた、1980年代末から1990年代半ばにかけてのことだ。それは、アクリル絵具用キャンバスを工業用ミシンで縫製して、波打つような立体のかたちとし、色鮮やかなアクリル絵具で彩色した「Border」のシリーズや、漁師が使うロープや浮きなども取り入れた大作の絵画「Sajima」のシリーズなどを、Gallery ART SPACEをはじめ各ギャラリーで精力的に発表している時期だった。
 20代だった私は、海が間近な三浦半島に当時構えていた、野比や佐島のアトリエをたびたび訪れた。そして、大音響のバッハやモーツァルトに身をゆだねつつ、制作途中の作品を前にして酒を酌み交わし、神谷が語る芸術をはじめとする様々なことばに耳を傾けた。
 ところで、神谷が最も海と深く関わりながら創作に没頭したのは、佐島港の漁師小屋を改装したアトリエ「Studio K」の時代ではなかろうか。そこでは、1995年に行われた銀座・シロタ画廊での個展の中心となった「Sajima」のシリーズや、海で拾った様々なものによる小さなオブジェ群などが制作された。それは、子どもの頃から身近に触れてきた海への想いが、最も直接的に作品と結び付いたものであり、それらの作品が発表の時を待ってアトリエの空間を埋める光景が、強い磯の匂いと共に、今も鮮明に私の記憶の中に残っている。
 その翌年、1996年に行われたGallery ART SPACEでの個展以降、神谷の作品がまとまったかたちで発表されることはなかった。そうした中にあって、日々の中で芸術に対する思考はさらに純度を増して深まり、色彩やかたちを追い求めるだけではなく、制作を通して、私たちの全てを包んで存在する宇宙と彼自身がつながるような、新たな段階の模索へと向かっていったような気がしてならない。
 今回の展覧会では、2000年代以降に制作された、表裏2層の表側を切り抜いて開けた多数の小さな窓から下層に描いたイメージが覗き見える「リズム」のシリーズ、1990年代よりモチーフとして取り入れてきたパッションフルーツのパターンを展開させ、死の間際まで制作が続けられた「アラベスク」のシリーズを中心に、未公開のままとなっていた作品によって展示が行われる。
 これらの作品について神谷は、創作ノートに様々なことばの断片を書き綴っている。音楽の本質について、自身と宇宙との関わりについて、そして、彼にとって十字架=受難の暗喩であると思われるパッションフルーツについて。神谷が生涯かけて築き上げた芸術に対する思想を垣間見せるそのことばは、身内しか知らない晩年の制作の中で、造形と結び付いてかたちを成し、作品として遺されたのである。
 これらの作品と相対する私たちは、神谷が追い求めた芸術、さらには海、音楽、宇宙をはじめとして、創造する心を支え続けたものたちに対する、彼の深い想いと出会うことができるだろう。(篠原誠司)